『僕と企画女優の生きる道』(京本かえで主演・ビーバップみのる監督 ドグマより発売中)

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 オーディションで選んだ女優の家に転がりこみ、そこから始まる37日間の同棲ドキュメント。しかし、みのる監督がこの作品でやろうとしていることは、ラブラブの同棲ドキュメントなんかではなくて、ラブラブにさせといてそこから一気に崖の下に突き落とすような、精神的陵辱ドキュメントである。冒頭に出る「女のコとすごく仲よくなって、幸せな気分にして、嫌がることしてみたい」というテロップの通り、女の方がみのる監督にメロメロになり(みのる監督はイケメンで、かつヒモ歴が人生の長さと同じくらい長いので、こーゆーことには手練なのですね)もうつきあってるのかな〜私たち? みたいになったところで「今日家で撮影やっていい? ごめんね今から女優連れてくからさ」ってな感じで目の前で他の女とセックスされてしまって、直視できずにジーッと読み飽きた『NANA』を読み耽るハメになったり、久しぶりにセックスできたと思ったら目隠しされていつの間にか他の男に入れ替わられてたりしてもう大変。

 まず、ここまでメロメロにするまでの駆け引きが面白い。転がり込んだ彼女の部屋は、けっこうイイ部屋。新しくてわりと広くて明るいんだけど、散らかってる。その中に半裸で寝転んでコンビニのおにぎり食ってる京本かえで。置いてあるものはそこそこオシャレな感じなのに散らかってる。巨乳を武器にAV女優になったものの、一般人の中では最強レベルのオッパイもAV女優の中ではフツーなワケで、仕事はあんまりなくてヒマな状態。「人生たのしーよー」「将来? あんまりわかんないんだよねー」「男性経験? わかんない。ヤリまくったもん」「自分がかわいそうに見えるのが好き」と、江原さんに見てもらったらなんかの霊がついてそうなセリフを撒き散らし、若き日のモラトリアムを満喫中。みのる監督の「好きだよ」攻撃には「勘違いしちゃうからダメ。私だまされやすいから」と一応拒否の姿勢を見せるものの、そこでみのるに「ごめん今ちょっとホントムカついた」と傷ついた顔で切り返されて、信じちゃうんですよ。うまいなぁ。『俺はホントに好きなのに、なんで信じてくれないんだよ』って言われてると思っちゃうよなー。

 そっから初セックスになだれ込むわけですが、もう惚れちゃってメロメロになってる上にこの京本さんもともとスケベっぽくて、顔ビンタされると「もっとして欲しいぃ……」Tバッククイ込まされてスパンキングされると「あーんもう立ってらんないぃ……」と若いのにオッパイだけじゃなくいろんなものが発達しているようで感じまくり、手コキでイカれそうになったところを騎乗位でハメちゃって、ひたすらマグロなみのるの上で狂ったように腰を振り続ける。女にここまでさせるって完全に強者のセックスという感じですが(ちなみに37日間も同棲しておきながら、通算セックス回数は5回以下だそうです。モテ男にとってセックスとは、やらせてもらうもんじゃなく「やってあげる」もんなんですね)、みのる監督、終わった後のピロートークでおもむろに「貯金ある?」って金の話を切り出します。ザ・ヒモイズム! 「とりあえずさ〜、100万円貯めようよ」(←何事にも言えることですが、この「〜ようよ」っていう言葉はクセモノで、一見「一緒にしよう」ってニュアンスだけど実際は言ってる方は何もしないわけで、結局自分が全部やんなきゃなんないハメになります。「そろそろメシにしようよ」ってお父さん言っても寝転がって新聞読んでるだけでしょ。翻訳すると「〜しろよ」ってことなんですね)って言いながら、なんとか100万彼女一人で稼がせる策を練り始めます。ヘアアイロンで彼女の髪の寝グセを伸ばしてあげながら「風俗とかさー……」って始まり、「ソープはやきもち焼いちゃうからやだ。キャバクラも逆に許せないから、ヘルスならいいよ」と、なぜか働かせる側なのに許可! 許可じゃねーだろと思うものの、すっかり力関係がデキ上がってます。そしてヘルス勤めが始まり、他の女とのセックス見せつけたりヒドいことしてる間にも貯金額は増えていき、3時間泣かれたりしてもなだめてすかして関係は続いてゆく。ここまでされて、どう考えても本気で好きとかじゃないのに、出て行こうとするみのるに「行かないで〜」と泣きつく京本かえで。じ、地獄の道行き……。

 と、ものすごいヒドい話なのですが、驚くべきことにこれが見てみると、全体の印象としては「可愛い」んです。みのる監督に惚れてダマされてもダマされても信じて、セックスで思いっきりやらしくなっちゃう京本かえでがだんだんものすごい輝きで可愛く見えてくるっていうのもあるんですが、作品全体の印象が可愛い。やってることは鬼畜としか言いようがないのに、その間になんか、裸のまんま洗濯したり、コンビニの弁当食ったり、出掛けたり、そういう普通の生活があって、なんとなく健全な一線があるんですね。目の前で他の女とセックスされたり、他の男とセックスさせられたり、そういうショック死したくなるような出来事も、視点を変えればべつに大したことない、ただ過ぎてゆくことのように見える。「今一緒にいるからいいや」っていう安心感が彼女からにじみ出てるんです。100万円で心が買えたら、いいよねぇ。努力で好きになってもらえたらいいよねぇ。そんなことこの世には、ないかもしんない。でも一緒にいる時間は確かにそこにあるわけで。その彼女の幸福感が、他人の同情や憐憫を拒むほどにまぁ、輝いているわけです。これが、可愛くなくて何であろうか。

 また、ビーバップみのる監督のバランス感覚もすごい。編集の上手さ、人心掌握術の上手さはともかく、みのる監督の一番の才能は、そのセンスの明るさとユルさにあると思う。「面白いAV
」というものを語るときによく基準にされるドキュメント作品がいくつかあるけれど、そのどの面白さとも違う新しい地点にみのる監督は立ったんじゃないだろうか。シリアスに寄らず、センチメンタルに寄らず、俯瞰に寄らず、なんなんだろうこの明るさと親しみやすさは。みのる監督はよく「違うんですよね」という言葉を使う。自分にとっては「違う」という意味で、たぶん、今までのどんな作品も、どんなものも彼にとっては「違う」のだろう。エロ稼業の捉え方には大きな幅があって、ひどくシリアスでアウトローなものとして捉えることもできるし、どうでもいい軽いいいかげんなものとして捉えることもできる。そのどちらも、どれも、今の若手の監督たちにとっては「違う」んじゃないだろうか。クリエイターと呼ばれるのも、職人と呼ばれるのも、そのどちらも「違って」いて、現在のその立ち位置は、言葉で言えるものではないんじゃないか。それはこうして、作品の中から、輝くような健全さで立ちあがってくるものなんじゃないだろうか。

 セックス、やってりゃ、死にたいようなこともあるかもしんない。恋愛なんかしていたら絶望することもあるかもしんない。でも、夜になったら寝るし、朝になったらお腹がすくし、きれいな夕焼けを見たら生きててよかったな〜なんて馬鹿馬鹿しいほど単純な希望を持てたりもする。そういう健全なリアリティがみのる監督の作品にはある。

 ちなみにみのる監督には『ナンパ★第三世代』という素人ガチナンパ作品もあるが、それがまたユルいノリで非常にイイです。強引にノセてヤラせるわけでもなく、説得や理詰めで口説くわけでもなく、なんとなく「やっちゃった」っていう展開で、出ちゃった女のコにとってこの作品がどういうもんになってるかはわかんないけど、深刻な「人生の汚点」という感じがあんまりしないんですね。本当は深刻な汚点になってるかもしれないけど、少なくとも見ていてそう思わせられることはあまりないんじゃないか。ビデオに出る、ということについて、みのる監督は否定も肯定もしない。そのことについて思いつめない。でも、切り捨てて忘れてるわけじゃない。この温度が、絶望に殺されずに毎日をやり過ごすことのできる温度なんじゃなかろうか。ヌルい地獄を生き延びる知恵が、みのる監督の作品には詰まっている。


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