エヴァ観てきました

★季節の変化についていけず、頭がくらくらして長い文章が書けないのでまた近況箇条書きを。


・「Numero」の最新号の米原康正の連載に「街からゴスロリ少女が姿を消していったのはなぜか?」という考察が書かれていてむちゃくちゃ面白い。ファッション誌だから注目している人は少ないかもしれないけど、この連載最高に面白いです。特に「ゴスロリ少女が『小悪魔ageha』に移動していった」という話、男がヴィジュアル系→ホストに移行していったのに対応して、女もゴスロリ→キャバ嬢ファッションに移行していったという考察は目が覚める思いでした。

・その『小悪魔ageha』の表紙キャッチが「生まれつきエビちゃんじゃなくたって 私たちは努力とともに生きていくんだ」みたいなやつ(うろ覚え)で引いた。私はわりとファッションで自分を変えるとか、モトのありものの素材をうまいことファッションで料理してかわいく見せるみたいなの好きなんですけど、これはなんかイヤだったな〜。ファッションて根性じゃないと思うよ。スポ根だよね、そのキャッチ。私が好きなのは「努力」じゃなくて「知恵」ですね。

・「エヴァ」新作観てきました。(※内容に関する記述が含まれますのでご注意)

・「今さらなんでエヴァなのよ」「もういいよ〜」「見る気も起きね〜」などと暴言をかましていたくせに直前になったらやっぱりものすごく観たくなって初日に行く私(席は事前にネットで予約済み)。もう私の言うことは金輪際信用しないでください!

・感想としては「12年前に得られなかったカタルシスが今やっと来た!」という感じです。

・物語がものすごくわかりやすくなっていて、いろいろすっかり忘れていたことも手伝ってかなり楽しめました。

・描き直されてるカット(特に景色)の部分が異様にカッコいい。

・ミサトの風呂場に干してある下着が、テレビ版:綿パンなどのダサ下着→新劇場版:赤や紺などのレース付きの妙齢女性の下着へと変更されていた! 監督、結婚を経ての変化か……? 妙齢の女はあんな『Cream』みたいな綿パンはかないよね。しかもキャラクターの絵が入っていたような……。あんなのはいてたら加持とセックスできないだろ! 相手は女たらしだぞ! 今で言う「ちょいワル」だぞ! Tバックとか必須だろ!

・ミサトとリツコがバーで語り合うシーンがあり「今の男は総じて自分にしか興味がないのよ」「我々女にはつらい時代になったわね」みたいな会話があった。庵野、言うね〜! 私がミサトにいま一番感情移入しているのは、年齢のせいだけではなく、とくに今回ミサトというキャラクターがすごくいきいきと描かれているせいもあるかもしれないと思った。現代とか、周りとか、自分の中にある消化できていないものとかと、きつい戦いをやっていく人という感じで描かれている。観た人の多くの人がミサトに共感するのではないか。昔は綾波にはかなわないという劣等感のようなものを感じていたけど、今は感じない。ストーリーの主軸は変えてないのに、ちゃんと「現代」になっているのがすごい。テレビシリーズは見直すと古く感じるのに、劇場版はそういう風には感じなかった。

 こういうセリフひとつ取っても、庵野さんという人は、アニメを現実に対して影響するもの、現実と拮抗するもの、ほとんど現実と変わらないものとして作れる人なのだと思う。現在を、現在の人の心の抱えている問題を描き出すという点では、ある種のドキュメンタリーを観ている感覚に近い。前のエヴァは現実に対して凶暴なまでに噛み付いてきた作品だったと思うが、今回は少し違う感触。細部ではなく、設定やなんかの新しさではなく、ストーリーの骨格とそこに描かれるキャラクターの成長を主軸にしっかり見せようという感じがする。「壊れてる」のがお家芸のようになっていたエヴァテレビシリーズ&旧劇場版とは、そりゃまぁ全然違う。

エヴァの蛍光部分の光り具合がぴかっとなっててカッコいい。

エヴァとは関係ないけど、最近「ONE PIECE」のチョッパーを見ると「チャッピー」と間違えて呼んでしまう。

・チャッピーのほうがかわいいと思う。あのかわいさは「チャッピー」だよ!

岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」(新潮新書)を買った。

・どんだけ流行の波に流されっぱなしで人生送ってんだとふと思う30歳の秋。

・私は岡田斗司夫が「痩せてキャラが変わった」ということに興味があったのだけど、その現実での「キャラ論」のようなものが出てきて面白かった。岡田斗司夫の立ち位置がルックスの変化によってどう変わったか? ということを東浩紀氏や伊藤剛氏にキャラ論で語ってほしいなと思っていたけれど、お二人の手を煩わすまでもなく岡田さんが自分で書いていた。

・岡田さんは、「デブの頃は知性に説得力がなかった」(デブキャラに知的なイメージがないため)と言い、痩せてから仕事が増えたと言っているけれど、私はそれは「知性がある/ない」の印象ではなく、「岡田=オタク評論」という印象、および「オタク=デブ」という世間で思われている印象からの脱却ではないかと思う(ものすごい偏見ですけどね。わかりやすく記号化されると「オタク=引きこもり」とか「オタク=デブ」とか、そんな感じに思われているんじゃないか)。もう「オタク評論」が専門とは言いにくい仕事ぶりなのではないかと思うし、そうなると「太っている、世間的に見てオタクっぽい外見」は、岡田さんにとってマイナスにしかならなくなり、書くものの変化、内面の変化に合わせて外見を変えた、キャラの転換を計ってそれが成功した、のではないかと思う。オタク評論をやる分には、太っていることは何のマイナスイメージにもならないと思うし(個人的には、それで説得力が減るとはまったく思わない)、むしろ問題は「オタク評論から少し違うところに向かい始めたとき」の説得力ではないかと思う。

・読み終わってすぐに岡田さんオススメの豆乳と野菜ジュースを買いに行った。どこまで流行に流されれば気が済むのか。

・「801ちゃん」のマンガがなぜムカつくのか、その理由を考え中。

・たぶん、「かわいくて彼氏もいるくせに中途半端にマイナーな趣味があるってだけでそれをネタにすんなよ!」みたいな気持ち。自分が男と口きけなくてやおいに走ったときの屈折やルサンチマンが原因だと思う。当時私はものすごくアレな外見でしたし……。

・っていうか、もうボーイズラブはマイナーな趣味ではないのかもしれない。

・どっかで801ちゃんのことを「ずるい」と感じている。

・セックスしまくっているのにもかかわらず「江古田ちゃん」にはムカつきを感じない。

・「江古田ちゃん」最大の発明は「猛禽」という言葉を生み出したことだと思う。

・「ものすごいサクセスストーリー」か、「自虐的な負け犬語り」か、そのどちらかしか楽しめないのかもしれない。前者・叶恭子(男で言うなら島耕作……?)後者・なんか今すぐ思いつかないな〜。私がもう自虐芸の半端なやつには飽きてきている。クセでつい書いちゃうけど。恵まれている人間の書く自虐ネタほど嫌なものはなくて、立ち位置を間違えると本当に面白くなくなる。

 たぶん、私の世代の私のような人間は「やおい好き」(今で言う腐女子)という言葉に「モテの世界ではマイナス」な要素をふんだんに感じとってしまうけれど、「腐女子」という言葉をもっとフラットにとらえられる世代の人は、「801ちゃん」を読んでもムカつかず、素直にほほえましい話と思うのかもしれない。かわいいマンガではあることだし。「モテの世界ではマイナス」と捉えているから、それなのに普通に彼氏とかいて仲良しの801ちゃんがムカつくのだと思う。受けるべき罰を受けずに楽しみだけを享受しているかのように感じる(すごい言い方だ! 罰って!)のだろう。自分が感じていた苦しみは、決して自分が「やおい好きだから」感じた苦しみではなく、単に「処女をこじらせた」「見た目コンプレックスをこじらせた」だけだったのに。それを「やおい好き」「オタク」という、当時の自分の属性のせいにしていたのだと思う。受けるべき罰なんて、ないですよ。ばかみたい。でも、頭でここまでわかっていても、801ちゃんを読む気には、やはりなれない。