美人という職業

 なにかと気になってしまい、やっているとついつい観てしまう番組に『ビューティーコロシアム』があります。最初はもちろんヒドすぎる(誉めてます)キャッチコピーのセンスや、変身のカタルシスに素直に酔いしれていたのですが、だんだんなんかいろんなことが謎に思えてきて、目が離せなくなってしまいました。


 ところで、とつぜんですが、あなたはなぜ、女が整形をすると思いますか?


 「キレイになりたいから」。そりゃそうです。じゃあ、「キレイになりたい」って、なんでそうなりたいんでしょう? 「ナルシシズムを満たすため」? 「モテたいから」?


 『ビューティーコロシアム』の巧みなところは、この「キレイになりたい」という欲望を「ナルシシズムを満たすため」ではなく、「劣等感からの解放」という形に言い換えたことだと思います。「苦しんでいる人が救われた」という形にすれば、整形への抵抗感はぐっと減る。


 では「モテたいから」の方はどうでしょうか。出演者のうち、数名に一人は「変わったら何をしたい?」という問いに「恋をしたい」と答えます。


 「モテたいからキレイになる」って、すごく自然に聞こえる言葉ですが、そこに整形が入ると話は別です。ショウビジネスの世界では整形はよく行われているようですし、エロの世界も例外ではありませんが、誰かが整形すると、必ずと言っていいほど私の周りの男性は「整形する前の方がカワイかった!」と力説します。カワイイ女の子が大好き。でも整形は大嫌い。そういう男性は、かなり多いのではないでしょうか。「なんで整形が嫌いなの? キレイになるんだよ?」と言ってみると、返ってくる答えはいろいろあります。「表情が自然じゃなくなるから」「胸とかニセモノだと感じてないような気がする」「カンペキすぎる顔になると怖い」……。じゃあ、見抜けないような整形だったらどうなのか。そう尋ねてもやっぱり浮かない顔。そんなにイヤか、整形。非常に理論的に「なぜ整形がイヤか」を説明してはくれるのですが、みんな冷静なようでいて内側はめちゃめちゃアツいです。たとえ何時間、何ヶ月この話題を続けたところで、絶対に「そうだよね〜。整形しててもカワイかったらいいよね」という結論には決してなりません。


 「モテたいから整形したい」。でも、男の人は整形嫌いが多い。すでに矛盾ではないですか。


 どうして男の人(私の身近な人にしか聞いてないので、男の人といってもほんのちょっとの人数ですが)は、整形が嫌いなんだろう? というのは、けっこう疑問でした。女の容姿の欠点を信じられないほどシビアに酷評する一方で整形もこきおろされたら、もーいったいどーしろというのよ、と言いたくもなります。けど、その一方で「整形がイヤ」という気持ちは、なんとなくわかるような気もするのです。


 昨年、日本画家の松井冬子さんの写真を、知人の男性数名に見せました。単純に、あまりにも美人すぎて驚いたから見せたのですが、その反応がすごかったんですね。「すごい、キレイな人だね〜」「かなり好み」みたいな反応はまったくなくて「写真映りいいだけじゃん」「ムードある風に撮ってるだけで、実は大したことないんじゃないの?」「写真公表してる時点で『美人日本画家』って言われること自分で認めてるようなもんだよね」……。これ、女の嫉妬じゃないんですよ? 男の意見。うわっ、と思いました。


 これって何なんだろう? とずっと思っていたんですけど、女の場合の「美人」って、ある意味社会的な成功と同じ意味でとらえられていることが非常に多いと思うんです。実際に美人でどれだけトクしているか、とかに関わらず、「美人はトクする」と誰もが思い込んでいるからそうなんでしょうけど、とにかく「美人なだけで恵まれている」という思い込みが、男女ともに激しくある気がします。


 そりゃ確かに「美」という才能には恵まれているでしょう。それを才能として使っている人には誰も文句は言わない。女優やモデルの美しさには、多くの人が感心したり惚れ込んだりして、ポジティブな意味で「美人」であることを受け止めています。問題は、「美人」が本職ではなく、余技の場合です。


 「美人○○」(○○には職業が入る)という言い方が使われるとき、それは「男性を喜ばせるため」に使われていると思いがちですが、実はそうではなくて、半分くらいは男のイヤ〜な気持ちを掻き立てるために使われているのではないかと思うんです。特に雑誌の見出しなんかは、嬉しい気持ちより意地悪な気持ちにフックをかけていったほうがずっと引きがいいわけで。「美人○○」って、ホメ言葉のように見えるけど、雑誌の記事などでそう書かれている場合、かなりの確率で蔑称として使われていることが多いように思います。実力を認めている場合は、たとえ美人であってもいちいち「美人」とは書かないでしょう。美人○○、なんて、一見ホメてはいても軽く見ている場合がほとんどだって、わかる人にはわかるでしょうから。


 「美人○○」に対する嫉妬は、美ともうひとつ別の才能、ダブルで成功をおさめている者への嫉妬なのです。だから嫉妬もダブルスコアに跳ね上がり、強烈なものになるのでしょう。「もう何もしなくても『美人』という成功を手にしてるんだから、これ以上オレらのシマ荒らすなや!」(何弁?)という嫉妬が根底にあり、それが「美人○○」を取り巻く変な状況の原因になっているものと思われます。


 「モテたい」が整形の理由だとしたら、なぜうちの母親(50代・夫大好き)までもが「整形、してみたくなるよねぇ……」とつぶやくのでしょう。ヘタな美人など風圧で吹き飛ばしかねないほど濃厚なフェロモンを持っていて男には不自由してない友人が「一度でいいから周りの人に『あの人美人だよね』と噂されてみたい」と言うのでしょう。それは、もちろんただ単に「美しい自分になってみたい」というナルシシズムなのかもしれませんが、「美人という勝ち組の仲間入りをしてみたい」という気持ちが、あるのではないでしょうか。


 男の人が整形美人にドン引きするのは、この「勝ち組になりたい」という、女の強烈な欲望をはっきり言語化できない領域で敏感に感じ取っているからではないかと思います。「大好きなあなたにかわいいと思われたいから、普段履かないスカート履いてきちゃった」的な、かわいくなりたい願望は嬉しいものとして許容しても、「サクセスしたい!」と同じ意味合いの「メス入れてでも美人になりたい」という欲望には完全にアテられてしまう。


 私が『ビューティーコロシアム』で気になるのは、「キレイになる」ことに、あまりにも重きを置きすぎているところです。キレイになりさえすれば、まるですべてがうまくいくかのような演出がされている。そりゃ、容姿に強い劣等感がある人間にとって「キレイになる」のはとてつもなく大きなことです。でも、キレイになって変わるのは、キレイになったというただそれだけのこと。通りすがりに「ブス!」とののしられるつらさからは逃れられる? 美人になったら平和になんて生きていけませんよ。美人になったら何と言われるか知っていますか? 同じく「ブス!」と言われるのです。松井冬子クラスの美人(歴代映画スターと並んでもひけを取らない、一般人が泣いてひれふすレベルの造形美)でもだよ。こわいよね。永遠に、誰もが認める「勝ち」なんて手に入らない。本当に美しかったらそんな言葉はね返せる? でも、人は誰でもトシをとるんですよ。その問題はどうする? 自己満足の美しさでいいとしても、どこで折り合いをつける?


 本当に大事なのは、キレイになることそのものじゃなく、タフになることのような気がします。「キレイになったら生きていることが楽しくなる」わけじゃない。「生きていくのを楽しくするための知恵を身につける」ことが大事なわけで。「生きていくのを楽しむ」なんて、そんな簡単なことじゃねえよ! とお思いの方も多いでしょうが、「楽しむ」なんて字ヅラはラクそうだけど、それが大変だからタフネスが必要なのです。涙と苦さと痛みと、激しいアップダウンに悩まされながらどうやって「楽しむ」のか。それは、ほとんど戦いでしょう。


 「キレイになったらすべてが解決する、人生うまくいく」みたいな切迫したものがないぶん、『おネエ★MANS』は楽しいんだよなぁ……。『おネエ★MANS』のみなさんも、最初は美しくなることがまさに「戦い」だったと思うんですけど、それを経てきたタフネスが見えるからあんなにもポジティブに感じるのでしょうか。今だから言いますけど、私、かなり長いことIKKOさんのことを女性だと思い込んでいました。ちょっと声の低い、男っぽさをみんなにからかわれている女性だと思ってたYO! 性別も見抜けないくらいですから、整形なんてまったく見抜けませんけどね。



※追記 あ、女の整形が嫌いな男性は、「整形して美しくなる」ということの目的が実は男への媚びではないということを感じ取っているのかもしれませんね。こっちの方が大きいかも。整形は「自分のため」にするものですから、男性はすごく「置いてかれてる感」があるのではないでしょうか。「男? モテ? そんなん眼中にないわよ」という女の姿勢にイラッと来たり、一抹の淋しさを感じたり、そういう姿勢を何か不自然に感じたりしているのかもしれない、と思いました。