『カイジ』はなぜこんなに面白いのか

mamiamamiya2009-11-03

※映画、原作マンガともにネタバレを含みますので『カイジ』を未読・未見の場合「それでもかまわない!」という捨て身な方のみお読みください。



 こんにちは。web『メンズサイゾー』の漫画評連載で『賭博黙示録カイジ』のことを書きたいと言ったら「メジャーすぎる」という理由で即座に却下されました雨宮です。映画観てから書こうと思ってたのでそれをいいことにあせらずのんびり映画を観てきました。さぁ、メジャーすぎるマンガが大好きな私がMacのキーボードにガン! ガン! と狂ったように額を打ち付けて、映画のCMの藤原竜也のようにおでこ血まみれになりながら書きますよ。むしろおでこでキーを打ちますよ。貸し本屋でカウンターに置いた『賭博黙示録カイジ』をバーコードに通されながら「お客様、こちら一度お借りになっていますが……?」と聞かれて「何度でも読みたいぐらい面白いんですよ!」と力説し、「そ、そうですか、僕、パチンコしかやらないんで」「私はパチンコもやりませんが……ククク……ギャンブルをやる人には、恐ろしい本かもしれませんね……ククク……」と店員さんをドン引かせた私が(※基本実話ですが若干肉がついております。っていうかそんなに好きなら買え)……ククク……(ざわ… ざわ…)。


 映画『カイジ 人生逆転ゲーム』は、すでにいろいろなところでツッコまれていることでしょうが、原作好きな人には「ええ〜!」となる部分がいくつも出てきます。限定ジャンケンでのあの素晴らしい頭脳戦がないこと、焼き土下座がないこと、第二部の内容がちょっと混じっているのに班長を倒さないことなどいろいろ気になる部分はありますが、それを全部やってると『二十世紀少年』みたいに三部作にするしかなくなりますし、地下労働所のシーンはやっぱり入った方が展開にメリハリがあると思います。映画を観るのは原作を読んだ人ばかりじゃないし、映画で初めて『カイジ』を知る人が「面白い」と思えばいい。最後のゲーム『Eカード』ではちゃんと勝負のカタルシスがありますし、『カイジ』の持つ原始的な面白さがそれほど損なわれているとは感じませんでした。鉄骨渡りのシーンは高所恐怖症の私にはキツすぎて手に汗びっしょりでしたしね。


 しかし、初めて見る人でも「ええ〜!」っとなる箇所が一箇所あります。それは二つの高層ビルの間にかけ渡された細い鉄骨を歩いて渡らなければならないという状況で、カイジが「靴の中心線を鉄骨の中心の溝に合わせて歩け! そうすれば落ちない!」と靴の中心にマジックで線を引き、みんなの靴にも中心線を引いてやるシーン(これはマンガにもあります)。今まで何も真剣に考えてきたことのなかったカイジが、必死にこのピンチを乗り切ろうとする名場面です。


 なのに、カイジはなんとその鉄骨を「ヨコ歩き」で渡るんだよ〜! 中心線意味ね〜! 監督もスタッフも原作読んでないんか〜! 確かにタテ歩きだと演技するときに上半身を前後にしか動かせなくて、横歩きのほうが全身で感情を表現するのには向いてるんだろうが……まさか、こうしてツッコまれることを予想しつつ「敢えて」ヨコ歩きにしたというのか……! そうだ、あんな重要なことに監督が気付かないわけがない! 侮るな! 原作ファンなど監督にとっては好き勝手なことを抜かすだけの、いわば「ゴミ虫」……。初めて観ればあれほど緊張感のあるシーンでそんな細かいことに気付く人間など、無に等しい……そしてゴミ虫に噛み付かれても、興行収入には何の狂いもない……監督がそこまで計算してオレたちのようなゴミ虫よりも「藤原竜也カッコいい〜。ってか超会いたい〜」とエレベーターの中で喋り続ける女どもを魅了するために竜也を「ヨコ歩き」にしたんだとしたら……!(※エレベーター内の出来事は妄想ではなく実話です)蛇めっ……蛇っ! 蛇っ! 人を騙し喰らう蛇っ…!


 あと、個人的には利根川が「鉄骨渡ったら一千万」と言い、「無茶だ〜!」とわめき始めるカイジたちに一千万という金の価値を「子供の頃からがんばって勉強して勉強して、受験を乗り越え、就職を乗り越え、そして毎日毎日真剣に働いてきた人間がやっと得ることのできる貯金が一千万なんだ!」と説明し(ごめんその巻だけ借りられていたので正確な引用ではありません)、続けて「何も積み重ねてないおまえ達がたった一日でそんな大金を得るには、これぐらいのリスクを背負う(=命を賭ける)のは当然」と言うシーンがあるのですが、このセリフの前半部分がまるまるカットされていたのが腑に落ちませんでした。私にはすごいリアリティのあるセリフだし、数字だったんだよな、「勉強して勉強して、働いて働いてやっと一千万」って。30代でやっと「1000万」というマンションの頭金払えるぐらいの貯金ができて、残り30年ローンを払う生活……。泣きたいほどリアルだよ……。


 そんな場面もありますが、それでもこの『カイジ 人生逆転ゲーム』は十二分に面白く、もう一回観てもいい! と思うくらい盛り上がり、アツくなれる映画に仕上がってました。


 その理由のひとつは、なんといっても藤原竜也の狂気の演技です。カイジ藤原竜也だと発表されたとき「原作つきの日本映画で若い男が主人公の場合、主演は松山ケンイチって映倫で決まってるんじゃなかったの?」と思いましたが(松山さんは友情出演されていました。いい人ですね)、そして友達に「丸顔のカイジなんてあり得ない!」と一刀両断されていましたが、私は藤原竜也がわりと好きで、色気あるな〜と感じていたのに、もうその美青年ぶりをいさぎよくかなぐりすてて地べたに叩き付けさらに踏み潰したような迫真の演技の魔力で、エスポワール号から降りる頃には竜也がカイジに見えてきました。後ろ髪のとび出し方ひとつまでカイジに似てるような気がしてくるし、鼻すじがピシーッと通ってるところばかりが目についてそっくりだとしか思えません。成功している美青年なのに貧乏臭いダメ人間が板につくのはさすが、世界の蜷川の灰皿投げを体験した役者!


 さらにそんな藤原カイジを盛り立てる香川照之。『クイズ・ミリオネア』のみのもんたを100倍ぐらい悪くしたような顔でカイジをにらみ、ほくそ笑み、「人間ってこんなにいやらしい顔ができるんだ……!」と人間の新たな可能性に気づかされる勢いで表情を作ってくれるのがたまりません。これぞリアル利根川(演じているキャラクターの名前です)。まさか生きている間にあの利根川の悪人ヅラを実写で拝めるとは思いませんでした。キャスティングにも演技にもブラボーです。松尾スズキ班長役も名演で「よくあんな信用ならない奴が主宰する劇団に所属なんかできるものだ……!」「たとえ有名でも、あんな役があんなに似合う人間にはなりたくない……!」と思うほどの悪班長ぶりでした。


 軽く脱線しますが、私は山本太郎に「坊主にメガネに関西弁」というトリプルコンボ(そして胸板厚そう)で好みのツボを一度に押されてメロメロになりました。一晩中「クズ! 人間のクズ!」と踏まれながらののしられたい……。『闇金ウシジマくん』を映画化する際にはぜひ主演は山本太郎さんでお願いしたいです。そしてなんでもしますから私を「闇金ウシジマくん製作委員会」に入れてください。そしてたくさん登場するうさぎたちを温めるための人肌ホットカーペットとして私を床に敷いて使ってください……。



 話を映画に戻すと、そんな役者陣の怪演スレスレの熱演も魅力ではありましたが、自分がここまで気持ちを引き込まれるのは、やはり『カイジ』の原作マンガで描かれているものの魅力のせいだと思いました。熱演も、原作の持つ魅力ありきで、それをマンガとは違う実写という形態で表現することに成功しているからこそ「名演」と感じたのだと思います。



 原作マンガである『賭博黙示録カイジ』は、カイジが部屋でしょぼいトランプ賭博で負けてるシーンから始まります。「正月開けてからびた一日働いてない、しょぼい酒としょぼい博打の日々」「そんな毎日のうっぷんがつのればプラーと外へ行き、違法駐車をしている高級車にイタズラしてまわるという、たんに非生産的なだけでなく他人の足までひっぱるという日々」。そんなカイジのもとにある日突然遠藤と名乗る男(映画では女で、天海祐希)が現れ、カイジの昔のバイト仲間が借金したまま消えたから、保証人であるお前が払えと言い出す。借りた金は30万。しかしその金は利子で385万にまでふくれあがっていた! そこからカイジの地獄が始まる。


 遠藤は言う。「おまえの毎日って、今ゴミって感じだろ…? 無気力で自堕落で非生産。どうしてお前がそうなのかわかるか? 金を掴んでないからだ! 金を掴んでないから毎日がリアルじゃねえんだよ 頭にカスミがかかってんだ」。そして、「バスケットのゴールは適当な高さにあるからみんなシュートの練習をする。あれが百メートル上空にあったら誰もボールを投げようとしない。今のおまえがそうだ。届かないゴールにうんざりしてるんだ。毎日いろいろな物を「見」はするだろうが、全部ショーウインドーの向こう側でおまえには届かない。その買えないストレスがおまえから覇気を吸い取り、真っ直ぐな気持ちを殺していく」「誓ってもいいが、もしおまえが今一千万持ってたらあんな悪戯なんかしねえよ…!」「おまえには負け癖が染み付いている。これはおまえの負け癖を一掃するいいチャンスだ。勝てっ、カイジ! 勝って大金を掴め! 人生を変えろ!」


 「多額の借金を返済するチャンス」とのせられ、ギャンブル船・エスポワール号に乗り込んだカイジたち債務者に利根川はこう言う。「おまえたちは皆、この世の実体が見えてない。まるで3歳か4歳の幼児のように、求めれば周りが右往左往して世話を焼いてくれる、そんなふうにまだ考えてやがるんだ。臆面もなく! 甘えを捨てろ」。そしてとどめがこれだ。


 「おまえらは負けてばかりいるから、勝つことの本当の意味がわかっていない。勝ったらいいな……ぐらいにしか考えてこなかった。だから今クズとしてここにいる。勝ったらいいな……じゃない! 勝たなきゃダメなんだ」「ドジャースの野茂、将棋の羽生、イチロー……。彼らが今脚光を浴び、誰もが賞賛を惜しまないのは、言うまでもなく、ただ彼らが勝ったからなのだ。勘違いするな、よく闘ったからじゃない。彼らは勝った。ゆえに今その全て、人格まで肯定されている。もし彼らが負けていたらどうか? 野茂はウスノロ、羽生は根暗、イチローはいけすかないマイペース野郎。誰も相手にさえしない。翻って言おう、おまえたちは負け続けてきたから今誰からも愛されることなく貧窮し、ウジウジと人生の底辺を這って、這って這って、這っているのだ。他に理由は一切ない。おまえらはもう20歳を越えて何年もたつのだから、もう気が付かなきゃいけない。勝つことが全てだと。勝たなきゃゴミ……」。の、野茂がウスノロイチローはいけすかないマイペース野郎! たとえがピタリと来すぎてこわい!


 船内ではその利根川の言葉に感涙し、負けつづけてきた人間たちが「勝つぞ!」と叫び出す。カイジもまた、その言葉に少し心を動かされながらも「あんな奴の言うことに簡単に感化されるのが結局、他人の都合にうまいことのせられてるってことじゃねえか。どうしてこう愚かしいわけ? だからこんなところまで堕ちてくるんだよ!」と、疑いの気持ちを持つ。


 そして人生で初めて、船内で行われるギャンブル「限定ジャンケン」に勝つ方法を真剣に考える。考えて考えても、騙されたりする。騙されたことを悔いながら、カイジは気づく。「これほどの痛手ではないにしろ、今までも小さく悔いてきた。進学や就職、そういう人生の岐路でその判断を他人に委ねてきたことを思い出す。これはオレの性癖なのだ。苦しく、難しい決断になると投げちまって、それを他人に預ける。自分で決めない。そうやって流れ流され生きてきた。その弱さがこの土壇場で出た……。この結果は言うなら必然、これまでのオレの人生のツケ……!」


 『カイジ』の魅力のひとつは、これである。カイジは、借金とギャンブルを通じて初めて自分の人生に対峙する。そしてまさに『人生逆転ゲーム』のプレイヤーとして、目の前にある現実に地に足をつけて立つのだ。


 「おまえの毎日って、今ゴミって感じだろ…? 無気力で自堕落で非生産」ってボソッと耳元で囁かれたら、私はビクッとせざるを得ない。「ご、ゴミなんかじゃないよ! 仕事だってしてるし……」と反論しかけるものの、本心ではそれがウソだってよくわかってる。毎日毎日全力で努力してるかって言われれば、していない。だらけてる日もある。っていうか自堕落で会社に毎日定時に通うのがムリだからフリーライターになったんじゃないの? 仕事してるって言っても虫の息の出版業界でフリーライターとかどんだけ先見えてないの? っていうかおまえの仕事に価値なんてあんの? おまえが必死に書いて小金を稼いでる原稿なんか、大金を掴んでる人間から見れば、ゴミ……! ゴミ! まさにゴミ! と幻聴が聞こえてきそうなくらい、その言葉はキく。フリーター時代のまさに貧して鈍していた頃の記憶もよみがえってくる。人の心のスキに巧みに入り込み、弱点を確実に突いてくる言葉があるのだ。「人生を変えろ!」うう、やっぱり、ビクッとします……。今の生活好きだけど、好きだけどそりゃできることなら超売れっ子になってお金持ちになって優雅にモナコに半年ぐらい滞在したり、伊勢丹で配送を頼むほど大量に買い物したりしたいよ……。っていうくらい意識が「金」「勝つことこそすべて」って方向に向いちゃうんですね。ふだんはそんな考え方してないのに。


 実際遠藤や利根川の言ってることは、正論は正論なのだ。勝たなきゃゴミ。そういう世界があることを誰もが知ってるし、自分もどこかで自分の意志にかかわらずそういう世界に接触し、参加させられている。自分は「勝たなきゃゴミ」と思ってなくても、勝手に負け犬呼ばわりされたりすることもある。そのイヤ〜な世界の理を、遠藤や利根川はネチネチと説明しているだけなのだから。


 しかしそれもまた「挑発」のうちだ。弱点を突いて動揺させ、怒らせることで勝負の土俵の上に立たせる、そのための罠なのだ。それはカイジたちに対しての罠であると同時に、読んでいるこちら側に向けての罠でもある。やったこともないギャンブルの世界での勝敗を人生に重ね合わせ、心ごとマンガの中に引きずり込むフックになっている。


 カイジはそれでも折れない。頭脳戦で勝とうと考え、名案を思いつくが絶対に勝てるとは限らない。それどころか逆に大敗するかもしれないという状況に追い込まれる。そんな中で土壇場の「賭け」に出たとき、カイジは初めて感じるのだ。「今、確かに生きているという感触、その震え」を。


 これもすごい。『カイジ』では勝ったときのカタルシスだけでなく、勝敗がつくまでの不安、疑心暗鬼、勝つと意気込んだときの燃え立つような気持ちまで、ギャンブルにおける心の動きが微に入り細に入り描かれている。ギャンブルの醍醐味をここまで感じさせてくれるマンガは初めてだ、と思うくらい、特に心理戦での何度もひっくり返る予想や勝算の描かれ方、どんでん返しはすごい。そして、それを読んでいる私はこう思うのだ。「自分はこんな風に『生きている実感』をヒリヒリするほど強く感じたことがあっただろうか?」と。


 最初はカイジに対して「だらしない奴」「どうしようもない奴」と見下していたのが、頭脳戦で考え抜くカイジを見ているうちに「がんばれ、勝てよ!」と応援する目線に変わる。しかしその「高見の見物しながら応援してる」上から目線は、「生きているという震えの来るような実感」を感じているカイジに下から射抜かれ、落ちる。カイジに対する気持ちは「憧れ」と「尊敬」に逆転する。そして目が離せなくなり、全部読み終える頃には「カイジさん……!」と、さん付けで呼ぶ後輩の気持ちになっている。


 と、ここまでながながと書いておきながらアレだが、そういう感情的な面白さよりもずば抜けて面白いのが、作中に登場するオリジナルの「ゲーム」の数々である。


 その内容を全部説明することはできないが、最初に行われる「限定ジャンケン」のゲームのルールの発想は特にすごい。「マンガの中に登場するゲーム」の域を越えていると言うとヘンだが、それぐらいゲームとしての完成度が高い。ゲームの土台がしっかりしているから、約5冊に及ぶ限定ジャンケンの勝負が一度もダレずに緊迫したまま「勝てる!」と盛り上がっては「いややっぱり全敗だ」と激しい浮き沈みを繰り返しながら続けられるのだ。このゲームの中でカイジが考える「どうすれば勝ち残れるか」という計算はたまらなく面白い。その次に行われる「Eカード」というカードゲームも、シンプルながらどうすれば勝てるか、練りに練られている(この「Eカード」はなんと映画公式グッズとして発売中! http://www.210.ne.jp/410/productsDetail/qi009 人生を賭けるときにお使いください)。


 この「純粋なゲームの快感」が、『カイジ』最大の魅力だ。ものすごい論理で組み立てられている心理戦なのに、感じるのは「理屈の面白さ」じゃなく、「血湧き肉踊る肉体的な面白さ」なのだ。こんなに至近距離から暴力的な力で人を揺さぶってくる作品はなかなかない。「人生ナメてた人間がドン底まで堕ちて、初めて人生賭けて這い上がろうとする」という極めてシンプルな構図のストーリーを、ありふれたよくある話にさせないどころか、やめられない面白さ爆発の話にしてしまう強度がこの作品にはある。


 ま、映画だけと言わず、マンガも読んでみてくださいよ。私はこれから地下の強制労働所でカイジが飲んでたようなキンッキンに冷えたビールを飲んで寝るとします。そんな感じなんだよね、カイジの面白さ。グイグイグイグイ飲んで、プハーッ、面白かった〜! みたいな。こんな頭悪そうなたとえしか出せなくて福本先生に申し訳ないですが……。

賭博黙示録カイジ(1) (ヤングマガジンコミックス)

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