★『耳をすませば』を、放映してればもちろん観るわけですが、観ると「なんじゃこいつらー!」という理不尽な怒りでぶるぶるふるえながらでも感動して泣くはめになります。猫にムーンとかいう名前をつけて(理由:満月みたいだから)「また来いよ」とかさらっと言える中学生のくせにかっこよすぎるキザ男と、男を「あいつ」呼ばわりする暑苦しい活発ポエム女……しかも中学生なのに結婚の約束とかリア充(←この言葉、今このブログに初めて登場しました。使うまいと思っていたのに! 「リア充」とか言い出したら本格的に負け組な感じがします)もたいがいにしろよ! こちとらジブリ四週連続放映+サマーウォーズ放映に喜びの舞をおどって毎週金曜夜は家にいよう! と夏の予定もクソもないままジブリの宣伝活動にまんまとハマって鈴木プロデューサーに踊らされた挙げ句感謝までしてるっつーの! なんなのこの差!? 図書館通い続けて数十年だけど王子さまとかいつあらわれるんですかね!?(ヒント:図書カードがもうない)でも泣く。あの団地の光景とか、自分の育った光景と似すぎているんだよね。


 あと、最近少女マンガで、クライマックス的場面がキスシーンであることに疑問を感じていたので『耳をすませば』の恋愛的なクライマックスが「手をにぎる」「抱きしめる」であったことに感心しました。キスが最初に来るのって、昔は気にならなかったんですが、「キスしたい」よりも先に「とりあえずさわりたい」のほうが先に来るんじゃないかと最近は思うんですよね。中学生のときはさわるとかとてもじゃないけど考えられなかったけど……。しかし『耳をすませば』のじいさんはうざいと思います。たぶん昔観てたらいいなと思ってたかもしれない(筆者は青春アレルギーがあるので、ジブリ大好きなのに『耳をすませば』を観たのは30過ぎてからです)。若者に理解のある、ロマンを追い続けるじいさんて。わりといやだなぁ。


★そして次週はハウルか。ジブリの中でダントツ意味がわからない作品なのに、ハウルがイケメンすぎてつい観てしまう。イケメンすぎるハウルがいきなり主人公をさらって逃げて同棲ってハーレクインっぽいよね。


★はっ、今気づいたけど『耳をすませば』、男のほうも「おまえ」呼ばわりしてたんだった。あと女のほう、男の呼び名が「名字+くん付け」→「名前+くん付け」→「名前呼び捨て」にナチュラルに三段活用されてるよね。そういう呼び名変化をナチュラルにできる奴のことを、我はリア充と呼ぶぞよ……。さっさとまとめてイタリアに消えてくれ!