★本日阿佐ヶ谷LOFT A東京三世社についてのイベントです。エロ本出版社の草分け的な存在である東京三世社について、松沢呉一さんがしっかりレクチャーしてくれる模様です。生き証人である東京三世社勤務経験者のみなさんも出演。私は司会で出ます。ご興味あるかたはぜひ! 夜7時からです。

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Charaの『breaking hearts』という本を読みました。タイトル通りの内容が綴られている本です。いい本です。すごい今っぽい本だと思いました。


 私は今の時代って、昔みたいに「失恋がどうした! 次行こうぜ次!」って感じに失恋が軽くないと思う。すごく重い。「どんなに尽くしても思っても受け入れられない」こととか、ものすごく好きな相手の心変わりがあったときに「いったい自分の何が悪かったのか」と、自分の欠点を数え上げてしまうようなこととかが、自分の手に負えないくらい重くのしかかってくる。本当にそのせいで心変わりしたかなんてわからないのに。昔の失恋にも同じことはあったはずなのに、なんか、笑い飛ばせない深刻さが今はあるように感じる。


 「心の傷を負う」っていうことが、すごく重いんだよね。傷つくことをおそれていてはダメとかいう話じゃなくて、傷つくことはちゃんとおそれないと、本当に命を奪われたり、身体がおかしくなったりする。誰もが何らかの責任や期待をしょっていて簡単には死んだりできない。心は死んでるみたいなのに生きてるっていう、そのしんどさを、なんだか今は多くの人がすごくシリアスに知っているような気がする。


 「なんでもいいから彼氏/彼女が欲しい」「イベント前にとりあえず恋人が欲しい」なんて思ってる人は、今もいるのかな。あんまいないんじゃないかな。本当に愛し愛されなければ、そんな関係むなしいしいらないと思ってる人のほうが多いんじゃないかな。恋愛は気力も時間も労力も、とてもとられる。何度も何度も、別れや負傷を繰り返せるほどタフじゃない。できれば一発で、運命の相手に巡り会って、そのまま「ハッピーエンド」にしたい。そういう気持ちの人が多いんじゃないのかと、ちょっと思う。


 失恋したことを、無理に明るく表現したり、離婚しても私は元気だって強調したりするのは、なんか今、そぐわない。この本の、傷を抱えてうずくまりながらもぼんやりといつか回復できることを信じたい感じが、とても今っぽく感じた。「絶対回復する」「回復してみせる」じゃなくて、あくまで「回復できたらいいな」であって、「回復することをやみくもに強く信じる」ではないところが。今、傷ついたらそんな簡単に無根拠なことを信じられないっていうのが、自分の実感として強くある。いきなりすごく絶望になったりせず、うすくあたたかい気持ちを持っているところも。


 ひとの家庭のことはわからないし、一方の言い分だけでは本当のことなんてわからない。両方聞いたってわかんなかったりするんだから。この本には具体的なそういう表現もない。だけど、考えちゃうよね。たぶん全力で母親をやっていたし、今もやっているCharaのことを。家庭と恋愛っていうことについて、ものすごく考える。私は家庭を自分で作ったことがないから、実感としてはわからないだろうけど、一時期ぜったいに家のことなんてなんもできなかったんじゃないかというくらい仕事してたCharaの元夫のこととか、Charaのこの恋が始まったときの文章のこととか、その頃と違ってただ「女の子」なだけでいられなかったはずのCharaの生活のこととか、考える。元夫の男性は「男の子」のイメージだけど、やんちゃな男の子って、今、ぜんぜんいいと思えない。本の気分に影響されてるだけかもしれないけど。実際会ったらすごい魅力的なのかもしれないけど。まぁ、他人にどう見えるかなんて、恋愛には関係ないよね。


 これはCharaのことを言ってるわけじゃないけど、誠実な人間が必ずしも恋愛において魅力的とはかぎらないし、不誠実な人間がそのことで罰を受けるとはかぎらない。誠実であろうと努力したことは報われてほしいと思うし、理不尽に人を傷つけるような人間には天罰が下ってほしいと思うけど、そんな法則はべつにない。そのことがとてもしんどくてたまらないから、今とても誠実な恋愛の形を描いたものが求められたり、誠実に相手に尽くすと誓う形での結婚願望が強まったりしてるんじゃないだろうか。『SEX AND THE CITY』でさえ誠実さを当然のように中心に据えている。性欲ありあまる私でさえ、性的に奔放な生活にはちょっと耐えられないかもって気がしてる。恋愛もあきらめ気味なのは年齢的な問題やモテないからじゃなくて(異論は認めるが、34歳なんてひよっこでしょ)、ある程度誰でもいいから恋愛したい、つきあってる状態を楽しみたいって思う余裕がないし、報われない恋愛をして深手を負うよりは、恋愛してない状態のほうが健全に思えたりするからだ。恋愛しないほうがいいなんて以前は絶対に思わなかったんだけど、変な形で傷を負っていくと、なんか陰惨な顔つきになりそうで自分がこわい。これ以上、恋愛で報われないことを証明したくない。それって、うまくいく恋愛しかしたくないってことだよね。そんなのありえないじゃない。両思いでもトラブルはあるよ。


 胃が痛くなるような思いは、恋愛してなくてもいっぱいある。これ以上そんな思いを抱えたくないから「幸せな恋愛しかしたくない」と思ったり、幸せな恋愛をする自信がなくて「恋愛に積極的な気持ちになれない」っていうのは、わりとあるんじゃないか。それでも、好きになるときはなる。胃が痛くても。どんなに他のことで手いっぱいでも、そうなるときはなるんだろう。そういう感情の理不尽さが、私は好きだ。


 昔より離婚が増えたからって、誰かと別れることが軽くなったなんて私は思わない。あと、ついでに、不誠実に人を傷つけた人には、バチあたってると個人的には思うよ。観測した範囲内でも、自分が加害者だった場合の観測結果でも。


★ひとことで言うと、恋愛が昔よりカジュアルじゃなくなったように感じる、ってことですね。

breaking hearts

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