★発売日なので『乱と灰色の世界』の3巻を、もちろんすかさず買いに行き、本屋さんが、売れてる本の新刊ではいつもそうするように私がレジへ持っていった本のシュリンクを切らずにレジカウンターの中の棚からシュリンクしてない本をハイと出してくるのを満足げに眺めながら購入してきたのだが、3巻は、やばい。やばすぎる。いろいろと刺激が強すぎる……。今回は、電車で読めないよ!


 入江亜季森薫、と一緒にしてしまうのも違うんだけど、このひとたちのマンガには、視覚的に圧倒的な快楽があって、ちょっとすさまじいのはみんな知ってると思うけど、森薫の絵が、マンガが、布地の模様のひとつひとつにまで描く快楽、見せる快楽、見る快楽で満ちあふれているように、入江亜季の絵もまたひとコマも余さず快楽的な絵で満たされていて、両者ともに、全身で絵に欲情してるようでもあり、でもきっちり職人的な抑制が効いていて、それはまったく読みづらくはならないし、押し付けがましくもならず、ただ美しい景色のように見ることもでき、集中して見るものだけがそのすばらしさに呼吸が止まるような思いをする。


 また一緒に語って申し訳ないけど、どっちも好きで、違いがはっきりあるのはわかってるけど似た傾向を感じる部分について書いてるので一緒に語ることを許してほしいが森薫といい、入江亜季といい、二人のマンガに共通して感じるのは、これは「女が女を見て嬉しいと感じる」その感じが、これほど的確に描かれているものはないということだ。


 女が女を好きだとか、美しいとか思って惹かれるときの気持ち、レズビアンではなく、恋愛ではないんだけど、いいなと思うときの気持ち、でも、一歩間違えばちょっと性的な方向や恋愛めいた気持ちさえ抱いてしまいそうに、同性を「いい」と手放しで思うときの、そういう目で同性を見ているときの輝きやきらめきや、色気やかわいさが余すところなく、というか執拗すぎるほど、描かれている。


 それは、一度男の視線を通って、性的な評価や美的な評価が女の肉体や容姿に絡み付きまくった時代のあとにあらわれた、男の視点に対抗するわけでも、女だけの特別な視点を強調するでもない、自分でも男目線か女目線かなんて意識していないかのような、非常にニュートラルで無邪気な「私はこれが好きで、こういうものに色気を感じて、こういうものも、こういうものも、こういうものも、何通りもの女に良さを感じている」という、喜びにあふれまくった確固たる宣言を絵で、マンガで、されているようなものだと思う。読んでると、ほんとに、自分が女のからだを持っていて、ほかの女とは違う個性をもっていることが、とても幸せに思えてくる。本当に魔法のような力でそう思わせてくれる。


 入江亜季のマンガは、男もいい。男も女もセクシーで、かわいらしく思いを伝え合うような展開がたまらなく良くて、男と女が、恋愛やセックスが、もとをただせばこんなにシンプルなものだったんだということを思い出して、幸せな気持ちになる。美人が魅力的なのはもちろん、一般的に醜女と評価されるかもしれない女の魅力を、ここまで描ける入江亜季は本当にすごい。そして、そして……陣みたいないい男、これまでマンガの中でさえ、見たことがない! 悪い男に懲りてるから凰太郎は私の心の結界の中には入ってこないけど(必死で拒んでる)陣は……。そして珊瑚がエロすぎてもう……。


 女のエロって何かって聞かれても、私は私が何をエロいと感じるのかしか答えられないけれど、男も女も共通で、うしろめたい気持ちとかじゃなく、幸せな気持ちとなんの段差もなくスムーズに結びつくエロい気持ちというものがあるとしたら、それは入江亜季のマンガに描かれているような、そういうものじゃないかと、よく思うのでした。


★しかし真夏という日本における発情期にうかつに読むとフラフラ知らない男の人や女の人についていってしまいそうになるマンガなのでみなさん読むときは気をつけてください。最近こんなことばかり言ってるのは、私がそういうヤバい状態だからです。まだ見ぬリアル陣さまを探してフラフラさまよってます……。

乱と灰色の世界 3巻 (ビームコミックス)

乱と灰色の世界 3巻 (ビームコミックス)