★今年の夏のいちばんの思い出は『まんが道』(藤子不二雄A先生)を読んだことですね。いまどきのドラマチックなマンガや、内面のややこしい部分を描くマンガに慣れていると、すごくシンプルで淡々とした表現に感じるのですが、印象的なエピソードをこれだけ絞り込んで描けるのがまず、ものすごいです。マンガに関わるエピソードと、田舎の少年が成長していく日常のエピソードが、わかりやすく、くどくなく、楽しんで読めて大事な部分は省略しないバランスで描かれていて感嘆しました。


号泣するようなデカい名場面に向かって物語が進んでいくようなタイプの話ではないのに、じわじわくるものがあって心からしびれます。満賀道雄才野茂に対する嫉妬や劣等感は読んでてとても身近に感じられるし、それ以上に満賀道雄から見た才野茂がいかにすごい人であるかも感じます。そして、満賀道雄才野茂のことを、どれだけ好きかなのか深く感じます。はっきり「好きだ」なんて描かれてないのに、ずっと「好きだ」という体温が伝わってくる感じで、読み終えて本を閉じたあとでしみじみと泣けてきます。


1巻を読み始めたときから、少年がひたむきな気持ちでマンガを描いてるだけでもうたまらないものがあります。高校野球見て「こんな若い子らが一生懸命この日のために毎日練習してきたんだなー」とジーンとくる人は多いと思いますが、まさにそんな感じです。しかも私たちが見ている「高校球児」はあの「藤子不二雄先生」なんですから、もうジーンとくるなんていうレベルのもんじゃないです。


私はマンガをだいたい現実逃避の手段として読んでいることが多いのですが、この『まんが道』だけは、読んでいると「こんなにすごい藤子不二雄両先生が、自分の何万倍も初心を忘れずに努力しているのに、私はなんなんだ!」と落雷にうたれたような気持ちになり、一度投げ出した仕事に着手してやりとげるという奇跡の健全なループが起こりました。仕事が進むマンガです。


ライフハックとか、世の中をうまく渡っていこうとか、そういうことではない地道な努力が、今読むととても新鮮に感じます。周りにどんな天才がいても、筆の速い人がいても、表面で真似するんじゃなく、ただ自分たちのできる最大限の努力をしている。自分に欠けているものをひたすら数えるようなことはせず、仲間とはげましあってがんばっていく。


ふたりの謙虚な姿勢を見ていると「非モテ」とか「非リア」とかっていう言葉を使う自分が、ひどく傲慢で浅はかな人間に思えてきて反省しました。自分がそういうことを言う気持ちの中には、どこか「人並みにモテて、人並みに充実した人生を自分だって送れるはずだ。なのに、なぜそうならないんだ!」という不満があったんじゃないか、だとしたらそれは傲慢な考えじゃないのかと。四畳半の下宿に引っ越して「広い!」と大喜びするふたりを見ていると、いくつか欠けたものがあるからなんなんだ、という気持ちになってきます。


長年忘れていた初心というものを強烈に思い出し、枯れ果てていたやる気がこんこんと泉のようにわき出してくる、仕事をするには最強のマンガでした。ちょっと何回か読み直して心に刻み付けてきます。