くるみのブログ

 いつのまにかもう2月も下旬。三十路へのファイナルカウントダウン(9月で30歳です)が鳴り始めているというのに、この歳月の経つのの早さよ。二月が逃げてゆく……。そんな中、新宿のブックファーストに出かけたところ、なんと店頭にバーンと「惑う女フェア! 出産、結婚、自意識……」というポップが。そして並びに並んだ結婚・出産本(「パリの女は産んでいる」とか、そういう感じの本)、そして自意識との戦い本(中村うさぎさんの本を始め、AV女優の暗〜いインタビューをまとめた中村淳彦さんの「名前のない女たち」まで)と、惑いすぎだろ! というラインナップで、私も思わずグルグルと本を手に取って惑ってしまいましたが、なんかしんきくさい気分になってきたので、それらは買わずに叶恭子「トリオリズム」を買ってきました。

 いや〜、もう、全文抜粋したいくらい素晴らしい。エロくて、自由で。私は、テレビで猥談をしていて、それが下品にならず、しかもマジメな話にもならない人は叶恭子さまだけだと思っていたのですが、本当に素晴らしいです。こういう風にセックスの話ができる人は、恭子さまだけでしょう。仮面だけ着けて全裸の仮面舞踏会とか、目隠しされて10人の女に全身を舐められるタン・シャワーとか、男2人との3Pとか、ハメ撮り(恭子さま風に言うと、プライベートビデオ・コレクション)とか、部屋にこもって数日間セックストランスしてたら男がやせ細ったとか、そんな話が美化されず、ちゃんといやらしくて楽しいこととして書かれているのは、素晴らしいです。ゴージャスすぎて笑いますけどね。冒頭からいきなり、滑走路にピンクの線があるなーと思ったら、バラの花びらが敷き詰めてあったとか、そんな話ですよ。そして随所に使われる英語の数々。有名な「グッドルッキング・ガイ」を始め、ひっきりなしに英語と日本語が混じり合う文面。オナニーの仕方も「ワンフィンガー」とか、アレのことも「エレクトしてお行儀の悪い状態になってしまうことがあります」とか、婉曲なんだけど直球で、エレガントかつかわいくこっけいな叶話術の極みを文章でこれでもかと堪能できます。結婚とか出産とかAV出演とか、気にするな! 大切なのはLOVE POWER……。私も、滑走路にバラの花とまでは言わないが、目隠しされて気がついたら横に男優の森くん(森林原人さん)と黒田くん(黒田将稔さん)がいたりするサプライズがあったらいいなぁ……。普段「アレは大きさじゃない」と力説していてもまったく説得力のないチョイスですけど。弟よ、はしたない姉でごめんなさい……。

 というわけで、私の人生の憧れの人は大橋歩叶恭子です。でも、セックスしたいのは美香さんです。羞恥心強そうだし、姉ほどふっきれてないところが、こう……。恭子さまが男を雇って美香さまをヤラせ、それを見て嫉妬と愛情でグチャグチャになりながらオナニーするとか、そういう百合本を知っている人がいらっしゃいましたら教えてください。

 で、今回は。ドグマ番外編ということで、ドグマアウトのある作品について。

「くるみのブログ」に感じるやりきれない嫉妬

 ドグマの専属女優であり看板女優である森下くるみが、ドグマ外の監督に撮られるのは、専属になってからは二度目(一度目は松本和彦監督)でしょうか。今回は、カンパニー松尾監督。森下くるみのハメ撮りというのも、TJ監督の「青い性欲」以来初めてではないかと思います。森下くるみを外部監督が撮る、ということは非常に珍しいし、しかもそれを撮るのがカンパニー松尾監督だと知ったときには、私は一瞬倒れそうになりました。それは、強烈な嫉妬の予感でした。

 弟よ、おまえは知らないかもしれないけど、姉ちゃんがAVをこんなに好きになってしまったのは、カンパニー松尾監督のビデオを見たせいなんです。だから、もちろん、カンパニー松尾監督は好きだし、松尾監督にハメ撮りされている女の人を、うらやましいと思ったことは何度もありました。けど、森下くるみと聞いた瞬間、その何倍も強いショックが、ドーンと来たのです。ほんと「全身の力が抜けました」(by平野ハニー from「由美香」平野勝之監督)みたいな感じでした。

 森下くるみという女優さんは、長い間私にとって、なんとも言えない存在でした。昔は、好きだとは思っていなかった。彼女がスケベな人に見えなかったから。最近は、よくわからなくなっていました。なんかときどき、スケベな人なのかもしれない、別にセックス嫌いじゃないのかもしれない、と思う瞬間があったから。それでも、彼女は、他のスケベな女優さんとは全然違っていたし、やたらと澄んで、清潔に見えて、美しかった。女優として、単なるズリネタとして、消費されない何かがあったのです。

 恥ずかしいことを告白すると、私は、森下さんのような女の人を見ると、欠点を探してしまうんです。これは自分の恥だと思うけど、美しくてスケベな人のどこかに欠点があってくれたら安心する。だから、長いこと彼女に取材をしたいと思えなかった。欠点を探してほっとしたくて誰かと話すなんて、そういうことをする人間になりたくなかった。だから彼女と会うことも、話すことも、長い間とてもこわかった。

 美しくて、スケベで、それで何も欠落していなかったら、それは私の理想です。自分の理想の女が、目の前にあらわれたら。自分の理想の女が、自分の好きな監督に撮られていたら。自分の理想の女が、自分の好きな人とセックスしていたら、どうでしょう。私は泣きますね、多分。泣くなんて表面的なことですけど、内心は足らない自分を悔いて、責めると思う。理想に手が届かない自分の横をすーっとすり抜けて、自然な形でその理想の姿になっている人がいる。そういうものを見てしまったら、死にたくなるんじゃないか。そう思って、とてもこの作品を観るのがこわかった。

 だから、仕事でこの作品を観なければならなくなった時、私は半分、ほっとしました。ああ、逃げずに済んだ、と思った。観ても観なくてもいい状況だったら、観なかったかもしれないし、観ないことが傷になったと思う。それを「観れなかった自分」というのが、情けなくて傷になったと思う。

 で、観たらまぁ意外とあっさりと観れてしまったわけですが、それはなぜかというと、松尾監督が森下さんという人に対して、ちょっと最初アプローチをしくじって苦戦していたからほっとしたというのもあるのかもしれません。ははは。しくじっていたからほっとしたって。どこの童貞の発言かと思いますね! もう今年三十路の熟女見習いの発言なんですけど……。最初っからラブにラブを重ねたような感じだったら、姉ちゃんちょっとツラい。ツラいとか言ってる自分がキモイですけどね。

 でも、弟よ! やっぱり、これは、ちょっと凄かったんですよ。何がって、久しぶりに観る森下さんのハメ撮りがこんなにエロいものだとは! この作品は、私は松尾監督の作品としては、女に対するツッコミが甘いと思うんです。だけど、そんなこととは関係なく、このムチムチの森下さんの、すげえやらしいセックスが収録されているだけで、十分に傑作だと思う。私服で京都を歩く森下さんが、そのあと旅館で浴衣に着替えて、セックスする。それがものすごく輝いているんです。いい意味で、こんなだらしない森下さんは初めて見ました。

 森下さんという女優さんの、知性や、多趣味なところや、考え方のしっかりしているところは、もちろんとても希有だし、森下さんという人の面白さや幅の広さ、深さを物語っていると思う。けれど、私は森下さんという人の、なんかこう、女として間違ってない感じが好きなんです。こう言っちゃなんだけども、一見ヒネてるように見えるけど、自分のセックスやスケベさを否定していない感じが、すごく好きです。そして、その「間違ってない感じ」は、ある種の、私のような女には、ツラいところがある。多趣味なところや、いろいろ好きなものの幅が広いことなら、なんとかできるんです、私はね。本も読めるし、映画も観れるし、そういうことならいくらでも、追いつこうとすることができる。けど、「女として」ってことになるとさぁ……。すっかり忘れていた苦手課目を試験で出されたような気分になるんですよ。ああ、やっぱり、この課目できないとダメなんだなぁ、って。

 本当はダメじゃないんです。そんな課目の関係ない場所もたくさんあるし、その課目だけが大事な課目じゃない。ただ、おそらく私の中では大事なんです。できなくてもいい課目だし、それが受験に必要ない場所もあるけど、私はその課目ができる人になりたいんでしょうね。だから、できないことがずっと気になり続けているし、できる人のことがまぶしく見えて、苦しい。

 ただ、私はそこからは実はほんの少し脱出しかけていて、苦しくて泣き寝入りする時期はもう過ぎている。私は、森下さんに会えました。会って、そんなに苦しくはならなかった。それは森下さんがちゃんと森下さんという人間で、私の理想とは違うんだということです。森下さんは、森下さんの理想を生きようとしていて、私の理想は、私が自分で生きようとしなくてはならない。誰も、代わりにはやってくれないんです。森下さんのことを私が「いいなぁ」と思うのは、その一点が一番大きいと思う。自分の理想を、なんとか生きようとしているところ。その姿勢は曲がっていないし、きれいだと思う。

 弟よ! おまえは彼女と一緒にAVを観ているそうですが、あいだゆあのビデオを観たら彼女が嫉妬して、怒ってしまうと言っていましたね。私は、その子と会ったことはないけど、その子のことが多分好きになれると思う。少なくとも、AV女優を見下したり、AVぐらいどってことないわって平気な顔してる女よりは、仲良くなれる気がする。自分よりエロくて、自分より美しくて、そういう女に自分の男が興奮していて、そこに何にも感じないってこと私には、よくわからない。彼女はたぶん、よーくわかってるんですよ、あいだゆあという女優さんの良さが。自分が男だったら、こんな女とヤリたいと思うだろうなーと、思っている。だからやりきれないんでしょう。「AVなんてフケツ!」「AVでオナニーするなんて最低!」みたいなのとは、違うでしょ。一緒に観ているんだから。おまえの性欲をひとごとだと思っていないから、怒れるんだと思う。私だって彼氏の家に原千尋のビデオがあったらちょっとキツい。でも原千尋を観たい気持ちはわかるから、どっちかを選べとは、言えないですよ。だって、原千尋、いいんだもん。AV一本と女ひとり、どっちを取るかなんて非常にばかばかしい話かもしれないけど、一瞬の欲情としてどっちが勝つのかっていうことだと考えたら、ぜんぜん、ばからしくない。

 弟よ、おまえは「一番興奮するのは花岡じったさん(ものすごいケダモノみたいなセックスをする、最強のAV男優です)だけど、一緒にいて安心するのはアナタなの」って言われて、嬉しいですか? 安心なんかいらねえから俺に欲情しろよ、って思わないか? でも、心のどこかで「その気持ちもわかる」って、ちょっと思ったりもしませんか? 私は、他の女に欲情する恋人の気持ちはよくわかる。自分にもそういう気持ちはあるから。あるから嫉妬するし、あるからリアルに気持ちがわかっちゃって許せないっていう堂々巡りです。

 でもね、姉ちゃん、その堂々巡りをずーっとやっていて、もう何て言うか、飽きてきちゃったんです。またこれか、って。自分の中でね、ばからしくなる。だから、なにか、違う関係や違う感情の回路を持ちたいんです。心を閉じるんじゃなくて、開いた状態で、そういうことが平気になれると思う。平気っていうのとはちょっと違うかもしれないけど、少なくともそれが致命傷にならない程度には、なれるはずだと思うんです。関係という意味では、馬鹿にさえ、されなければ。最終的に帰るところはおまえのところなんだから、とか、やりたいこと全部やらせてくれるのはおまえしかいないから、とかさ、そういう風に馬鹿にされるんでなければ。自分と比べて自信をなくすというのも、なんか、そうじゃない見方ができつつある。いつか、純粋に、AVを自分のズリネタとしてだけ、娯楽としてだけ観れるようになるんじゃないかという気がする。今だってそういう気持ちはあるし、明るい気持ちで好きな気持ちもある。別に、嫉妬したくて、痛くなりたくてAVを観てるわけではない。そこでドン詰まるために観るんじゃなくて、いつかそこを乗り越えるために、観たい。女優さんが、輝いていて、そのことを、欠点を探すような気持ちではなく、素直に誉める気持ちで観れるようになったらいい。決して男に媚びるために巨乳タレントを一緒になってホメまくったりとか、自分が見られて批評される側にまわるのが怖いあまりに率先して批評する側にまわって「誰がカワイイ」とか「カワイくない」とか言いまくる、痛々しい感じじゃなくて。

 自分の男の欲情をもっていく女への嫉妬や、自分よりすぐれている女への嫉妬や、いろんな嫉妬がある。そのうち、自分より若い女への嫉妬(これは、不思議とあまりない。自分が若い頃にいいことなかったせいかもしれないけど)や、そういうものも出てくるだろう。そういうときに、変なごまかしかたしたら、私のAVを観る目は、曲がると思う。ま、今だってまっすぐなのかはわからないですけど。他人事みたいにAVを観たくないんですよ。変にごまかして、変な形で平気になりたくない。逃げちゃダメだ! というエヴァンゲリオンのアレが聞こえてくるようです。逃げたら、嫉妬を、ガマンするしかない人生です。私はガマンの人生はいやだ。平和に、笑って、「くるみのブログ」観たい。森下さん、いいねぇって言いたい。いいねぇって言葉で嫉妬をごまかすんじゃなくて、好きだって言うことで薄汚い気持ちを隠すんじゃなくて、ちゃんと。たぶんそれは、案外簡単にできることのような気がするんですけどね。

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