ダーク週間 暗闇の中の子供・その1

二村ヒトシ監督の日記で知ったのですが『デキる男は乳首で決まる』という本が出版されているらしいですね。私は読んでないのですが、聞くところによると内容は「男も乳首でガンガン感じていいんじゃないの?」的なものらしいです。乳首の世界では男女同権、乳首リブですね。弟よ! 乳首で感じるのはけっこうですが、あまりにも男の乳首が市民権を得すぎて、「乳首なんて感じるんだ……(上からチラッと見下しながら微笑)。男のクセに」「やだーTシャツの上からでもわかるぐらい勃ってる〜! 男のコってブラジャーつけらんないからかわいそ〜」「男なのにこんなにピンクでいいと思ってるの? 男のコのクセに生意気だよ! もうちょっと黒ずんだ方がいいわよ男らしくて(と、黒ずませる手段に訴える)」などという、美しい日本語が失われてゆくのだとしたら姉ちゃんたいへん嘆かわしい事態だと言わざるを得ませんので、乳首で感じる男性の皆さんは演技でもいいから恥じらってるフリをしてくれるといいと思います。でもね、男の人が思ってるほど、女の乳首もべつにそんな優遇されてるわけじゃないような気もします……。時間で例えて言うならトイレ休憩のみのサービスエリアの停車とか、ひどいときは料金所ぐらいの感じじゃないですかね。そ、そんな冷遇されてんの姉ちゃんだけ? 貧乳だから? それとも何かほかに問題が……?


★今日から二〜三日間、AV作品二本のレビューというかそれについての文章を分割でアップしていきます。

 12月9日に、ハマジム制作のレーベル「pornograph.tv」より、2タイトルの新作がリリースされます。これは、有料サイト「PORNOGRAPH」ですでに公開されているものなのですが、オムニバスではなく一つの長編作品として見れるものになっています。PORNOGRAPHで配信されている映像がどうDVD化されているか、というと『PORNOGRAPH』『PRIVATE STYLE』『pornograph.tv』の三つに今後は分かれていくようで(今までは『PORNOGRAPH』というシリーズのみが発売されていて、その中にサイトの三つのコーナーが一つずつ入ったオムニバスになっていた)、サイトやDVDのことを詳しく知らない人には何が何だかわからないと思いますが、が、ものすごく簡単に言うとハマジムオリジナルの新作が出る。ということと同義だと思ってください。

 で、12月9日発売のタイトルは堀内ヒロシ監督の『ALICE あずき』と、カンパニー松尾監督『僕の彼女を紹介します』の2作品。これが、なんて言うか、ものすごくて、私は今あんまりAVを観たくないんですね。傷口に触れないで欲しいというか、そのくらいの感じ。それが、なんでそんなことになるのかというと、カンパニー松尾のテロップが切ないとかそういう話ではまったくないんです。テロップはむしろ最小限だし、恋愛なんて、なかったような気もする。じゃあなんで、こんな気持ちになってしまうのか。ということを、二作品のレビューとともに書こうと思います。

 ちなみにこの『pornograph.tv』立ち上げについて、松尾さん、堀内さん両監督に取材させていただきました。そのインタビューの模様は12月6日発売の『ビデオメイトDX』(コアマガジン)に掲載されます。どうぞよろしくお願いします。

『ALICE あずき』(堀内ヒロシ監督/pornograph.tv)

 冒頭いきなり「ことりはかわいい」。金子みすゞですよ。ロリ顔、という範疇をはるかに超え、「ロリ女優」などという範疇をはるかに超えた本物としか思えないロリータというかこんな言い方をしていいのかわかんないけど「幼女」が、金子みすゞの詩を、幼い、あまりにも幼い声で読み上げ、ていねいな字で一生懸命ノートに書き取る。この「あずき」という、どこかで時を止めたとしか思えない少女を見るだけでも、この作品を見る価値はあります。声、顔、肌、そして乳首の色や形まで完璧すぎる「少女」。それを、静かで冷たい詩情のある映像で撮ってある。

 堀内監督の撮る「少女」というのは、よくあるAVの文脈での「ロリ」とは、明らかに一線を画しています。「ロリ」ではなく、あくまでも「少女」です。ただ子供っぽく愛らしく、男の欲望に従順に従ってくれるような「AVロリ」ではない。堀内監督の描く「少女」は、心の中に普通の成人女性よりも強烈に濃い「女」を飼っていて、それでいながら平気で人の一人や二人殺してしまいそうな残酷さを持っていて、それゆえに透明に澄んでいる。という、逆説的でアンビバレントな存在です。グロテスクすぎるがゆえに澄みきっている。私がこの作品を観たときに取ったメモにはただ「こわい、こわい、こわい。」としか書いてありません。

 こわいのは、ここに出てくる少女・あずきが人を殺しそうに残酷で、大人の女よりも濃厚に「女」であるから、ではなかったんです。そういう本物の、天然モノの「少女」が出ているなら、私はただその前にひれ伏すだけで済んだ。神様の前にひれ伏すように、天才の前にひれ伏すように、ジェーン・バーキンの前にひれ伏すように、そうすれば済むだけの話です。

 この作品の内容は、すべて彼女の欲望や妄想に基づいて作られているのですが、「下校中に知らないおじさんに声をかけられ、家に連れ込まれて椅子に拘束されて犯される」「母親が出ていき、父親と二人きりになった家で、父親に家じゅうで犯される」「満員電車で痴漢される」と、欲望の対象が「男」なのではなくて、「男に欲情され、男の理性を狂わせて、そのせいで犯されたりイタズラされたりするかわいそうでかわいい自分」に向かっているのです。私はこのことに、ぞっとした。少なくとも彼女は、少女として見られる自分には自覚的なんです。そして彼女は、もう「少女」の年齢ではないのに、話し方も仕草も、演技ではなく普段からまったく「少女」的なのです。

 「少女」が、女の中でいちばんかわいく、いやらしく、男の心をそそるものだと知っていて、それを自分の欲望を満たすために利用できる。このあずきという「女」は、ぞっとするほど「女」で、たぶんとても、普通の人が気付けないくらい、自分でもそのことを忘れてしまうくらい、ずるいのだと思う。子供にしか見えないのに、30歳や40歳の女が束になっても勝てないくらいに狡猾で、いろんなことをよくわかっている。

 この「女」は、天然の「少女」とは、違う次元を生きている。あらかじめ少女に生まれたのではなくて、ある段階で少女として生きることを選択したのではないかと思う。そして、そのことで、天然の少女よりもある種はるかに強い黒い黒い魅力を放っている。

 私は、このあずきという「少女」は、好きか嫌いかで言ったら好きではないんです。でも、自分が男で、このコが近くにいたら何かやってしまうような気がする。言われるがままに同じ電車に乗り込んで、痴漢して警察に突き出されたり、ねだられるままに血が出るまで犯しつづけたりしてしまうかもしれない。ささいな言動を「誘ってる」と勘違いして強姦してしまうかもしれない。憎いし、怖いんです。憎いし、怖いから、そういうことをしてしまうかもしれないと思う。すべての「女」に対する復讐としてこのコをむちゃくちゃにしてやりたいと思ってしまいそうな気がする。それぐらい、このコは、ある種の女性性を極端な形で象徴しているように見える。このコを見るとき、憎らしさはそのまま欲情にすり替わるし、怖さはそのまま泥沼のような欲望にすり替わる。

 このコのようなずるい部分は、私にもあるんです。ウソをついている自覚もなくウソをつき、だましている自覚もなくだましている部分は、ある。絶対にある。そのことを悪いことだとは思わないけど、このコは、いかんせんうますぎる。うますぎて、気持ちが悪いんです。「このコは、この先、19、20歳と年をとっていくとき、どうするんだろう」とも思う。まぁ25、30までは大丈夫でしょう。30歳ですさまじくロリにしか見えない人というのもいますから。40、50は? 少女でなくなったとき、この人は自分の価値をどこに見いだすんだろうか? 男との関係の中でそのことを、どう処理していくのだろうか?

 そのことが気になりました。パッケージの写真の、人形にしか見えない(これこそ押井守っぽい)この姿を見ていると、もはやこの人が「人」であるのかどうかすら疑わしい気持ちになってきます。(パケ写真→http://www.pornograph.tv/main/video_sample/71a_azuki/index.html)この写真だけはヤバすぎるので18歳以上の人はちょっと、寝るとかには見ないでください。