『ライフ』

★『エクス・ポナイト』(詳細は一日前のエントリをどうぞ。来てね!)を楽しみにしている皆さんにはまったくもって関係ない話で申し訳ありませんが、私は今マンガ『ライフ』(すえのぶけいこ講談社コミックス)に夢中です。貸本屋で借りて今9巻なんだけど続きが気になって仕方なくて、でももうお店開いてないのでこうして真夜中にやるせない思いをキーボードにぶつけているわけですが、みなさん、これ、読みました? 読んでて声出るぐらい面白いよ、マジで。


 前々から気になっていることなのですが、ケータイ小説について語られている言説の中に「ああいうこと(ホスト・援交・レイプ・死別などなど)が今の十代には本当にリアルなのか?」というのがありますよね。あれがすごく、不思議なんです。私が中学生の時には『BE-BOP HIGHSCHOOL』とか流行ってましたし、『ホットロード』も流行ってたわけですが、それらを読んでいたのはヤンキーだけではありませんでした。


 『ライフ』は、ドラマを観た人はご存知だと思いますが、高校生の巧妙かつ陰湿かつ悪質ないじめの日常を描いたもの物語です。現在10代である主人公の世界と、現在30代女盛りの私の日常がリンクするはずもない。けど、私はこの物語を読んでいて、他人事ではなくまるで自分のことのようにドキドキするんです。私の日常には、援交(『ライフ』には、9巻の現時点では援助交際は出てきていませんが)も、ドラッグも、レイプも、いじめも、学校の中の逃げ場のないスモールサークルな人間関係も、暴力も、ない。ないけど、そういう世界が今この日本の中にあることは当然知っているし、一歩間違えばそういう世界とつながりができてしまう恐怖も知っている。自分は経験がなくても、友達の友達ぐらいまでたどれば、レイプや援助交際や、サラ金やヤクザや暴力沙汰や、そういう経験のある人はたくさんいる。これが『リアル』でなくて、何だと言うのでしょうか。「自分が経験したこと」だけがリアルなのではなくて、「自分が経験するかもしれない怖いこと」もまた、リアルなのです。だからこそ、ケータイ小説や少女マンガには、失恋や死別や暴力やレイプなどの「一歩間違えば自分が出会うかもしれない恐怖」が描かれるのではないでしょうか。「これが今の10代のリアルなのか?」と問う人には、こう返したい。「これはあなたにとって、リアルではないんですか?」と。暴力やレイプや売春は、本当にあなたから「遠く」て、「リアルではない」ことなんですか?


 『ライフ』はマンガであって、ケータイ小説ではないので、ひきあいに出すのはちょっと筋違いだし、このマンガはむちゃくちゃ良く出来ていて面白いので、ケータイ小説の例えを出すことで「つまんないんだろ」と思われたらイヤですが、材料が昼ドラ並みにてんこ盛り(実際深夜ドラマになりましたしね)な部分はあるとしても、女同士のいじめの逃げ場がない感じは、もう息苦しくなるくらい巧妙に描かれています。こうだった、昔。しかも私が思い出す、こういう風に巧妙だった「いじめ」は、小学校のときにあった。小学校だったからまだマシだったかもしれない。高校生のいじめには「セックス」がからんでくる。要するにレイプや、性的な脅迫です。どうですか。むちゃくちゃ恐怖でしょう。処女なんか、童貞なんかとっくの昔に捨てたすれっからしの30代ですら、レイプで処女を失うなんてことは、想像するだに恐怖で、その恐怖は夜眠れなくなるほどの実感をもって迫ってきます。


 『ライフ』のてんこ盛りぶりといえば(ネタバレになります)、一巻でリストカット、二巻で緊縛&おもらし写真脅迫調教という、昔ジェットコースタードラマと呼ばれた『もう誰も愛さない』がスローモーションに見えるほどのスピード展開にも顕著にあらわれていますが、どのぐらい面白いか伝えるためにまずちょっと9巻の人物紹介を抜粋してみましょう。「椎葉歩(主人公)/高校1年。高校受験がきっかけで友情が崩壊し、リストカットを覚える。 羽鳥未来/歩の友達というより精神的支え。バイトで忙しいが期末はトップ。 安西愛海/歩がカツミとつきあっていると思い込み、今や憎しみ全開。 佐古克己/愛海の恋人。ゆがんだ性的嗜好の持ち主。外面は最高。 狩野アキラ/歩と未来を襲おうとした連中の中心人物。愛海とH関係あり。」


 リストカットの精神的支えと憎しみ全開と恋人とH関係とゆがんだ性的嗜好……。これで面白くならないわけねーだろ! と言いたくなるほどに刺激物満載でお送りしています。ま、この愛海ってのがかわいこぶってるくせに悪の親玉みたいなヤツで、最初はただのヤなやつなんですが、巻を追うごとに想像以上にドス黒い本性を剥き出しにしてくるんですね。でも、私はドラマも多少観てるんで、ヤなやつなのは想像ついてるわけですよ。でも、本気でざっくり刺さってきたのは、このシーン。


 7巻69ページ目から始まる一連のシーンです。愛海は不良グループ(という言い方も古いよね。世代が違うからゆるして……)の狩野アキラとラブホに入る。狩野はホテルを出るが、愛海は「楽しいからもーちょい堪能してから出るー」と一人部屋に残る。部屋に残った愛海は部屋のテレビをつける。テレビにはAVが映る。『あんっ』『かわいいよ』『かわいいね』『世界で一番かわいいよ……』という会話(&喘ぎ声)が流れてくる。それを聞いた愛海は、突然全力でシーツを掴んで引き裂き、ライトスタンドを持って「思い知れ!」と叫びながら振り回し、調度品を破壊。「マナ(愛海の一人称)が一番かわいいんだ。マナが一番愛されるはずなんだ!! マナを裏切るヤツは許さない。どんな手を使ってでも……!!」とつぶやく。のです。


 異様な迫力の、笑いたくなるくらいすさまじいシーンなのですが、これ、笑えないんですよね。「自分が一番かわいいんだ、自分が一番愛されるはずなんだ」って、笑えない。こういう気持ちにとりつかれている女の子、いっぱいいるでしょう。いっぱいいるし、こんな気持ちにとりつかれたら、頭おかしくなるの当たり前でしょう。「自分が一番かわいいんだ」と思ってるコのことを、私はあんまり笑えない。自分だって思えるもんなら「自分がこの世で一番かわいい」と思ってみたかったし、この世で一番かわいくなれない限り、自分の中の嫉妬や、憧れや憎しみは、絶対に消えてなくならないのだと思い込んでいた時期が10代にはあった。愛されて当然だと自信をもって平和な気持ちで毎日を送ってみたい。誰だって、そう思うんじゃないか。愛海は、そう思いこんで平和な気持ちになりたいけど、自分が一番かわいいわけではないことを知っているからこうなっているんだよ。その気持ちを、どうすればなだめることができるのか。「自分よりかわいい女の存在を消す」(殺す、という意味ではなく学校の中で社会的に抹殺する)以外に、どんな方法があるのか。考えただけで呼吸が苦しくなる。『ライフ』には、そういう息が詰まる局面がたくさんあるけど、中でもこの場面が一番キツい。


 この愛海の内面描写は、「いじめる側の論理」として一般化できるものではないと思うけれど、今の若い女の子の「美」に対する執着、「愛される」ことに対する執着をこういう形で描き出したのは、ひとえにすえのぶけいこの才能だと思う。男社会で、出世して金持ちになるなんて一握りの女しかできない世の中で、女のステイタスは学力でも金でもなくただ「美」と「愛され」なんだ、というそのことを、ものすごい爆発力で前に出してきたこの展開にはただうなづくしかない説得力があり、考えれば考えるほど早く10時になって本屋開いてくんないかな……という気持ちがつのるばかりです。


※ちなみに『ライフ』のドラッグ描写ですが、錠剤的なものではなく、いきなり氷砂糖的なものが出てきます。それを飲み物に落としてクルクル混ぜて「ちょこーっと気持ちよくなるだけッ」と言われて「ゴッゴッゴッ」と飲み干して(『僕の小規模な生活』の妻が「もっもっもっ」と菓子パンを食べてた擬音にちょっと似てるけどだいぶ違う……!)「あー……うっ」「ふふっ」「サイッコー!!!」(微妙に宇川直宏的!!!)「キャハーッ キラキラだぁー?」とカラオケボックスを飛び出し「…オマエ濡れすぎ」「だってひさしぶりなんだもん」という展開に! たのしそうでなによりです。

ライフ(7) (講談社コミックス別冊フレンド)

ライフ(7) (講談社コミックス別冊フレンド)