エヴァ廃人状態

★寝〜てもさ〜めて〜も『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のことしか考えられません……。そして思い出しては泣くというちょっと精神的にどうかしてる人っぽい言動を繰り返してます。ヒマさえあればまた観に行こうとしてるし、こんなことはちょっとなくて、自分でもどうしたらいいのかわかりません。私にエヴァの話しないで! 絶対暑苦しく語り続けてむちゃくちゃうざいから!


 いままでと何がそんなに違うのか? というと、具体的にストーリーが全然違うんですが、そしてアクションシーンのかっこよさもしびれるんですが、もうやっぱり何よりも今回は「人とつながろうとすること」が描かれている、というところが、深く深く刺さって抜けないです。


 親子や友達、恋人、仕事仲間、そういう人たちと普通に会話を交わし、私たちは「つながって」いるつもりでいる。そうやって言葉を交わして「つながる」ことは、すごく簡単で、すごく難しいことだ。本当に本当に深いところでつながった、と思える他人が、あなたには何人いますか? つきあってきた恋人の数じゃない、結婚した人数でもない、そうじゃなく本当に「誰かが自分に向かって、本気で手を伸ばしてくれた」ことがあるか、自分は誰かに向かって、恥ずかしいことも傷つくこともおそれずに「手を伸ばした」ことがあるか、不器用な、愛情と呼べるかどうかわからない気持ちを、渡して、受け取ってもらったり、誰かに手渡されたり、したことがあるか。そして、そういうことをしてもなお避けられない悲劇というものを、経験したことがあるか。


 今度のエヴァが描こうとしているのは、人が生きること、人の感情、そういうものの本質にかかわることだと思う。でも、この作品はそういうものを手のひらの上で弄ぶようなものじゃない。たぶん、ずっと考え続けてきて、ずっと感じ続けてきた、ひとつの答えのようなものを、見せてくれるんじゃないかと思う。


 こういうことがこんなにも刺さってくる自分は、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。でも『序』を観て、「だいたいあんな感じでしょ?」と思ってたら、裏切られますよ。テレビシリーズや旧劇場版、『序』を観て「エヴァ知ってるよ」って言ってたら、それは違うよ。それはまだ、何にも知らないのとおんなじだと思う。それくらい『破』は、全然違います。感情的な部分に興味がなくても、いままで謎のまま終わっていたところがすべて明らかになりそうな気配があって、それぐらい設定がきちんと立て直されている。


 昔は、エヴァがセックスというものを描いていたこともショッキングだったけれど、今度は、それ、どうなるんだろう。なくてもいいような気もするし、やっぱり描かないといけないのかどうか、目指している地点がまだ、わからない。わからないんじゃないな、私は怖いんだな。次の『Q』が、これ以上の深度で刺さってくるなら、エヴァという作品は、自分の中でのいちばん大きな恋愛や、いちばん大きな痛手とともに、自分の中でのひとつの大きな事件になってしまう。いやもうなってるんだけど。そういうふうになるからこの作品は、昔からすごかったのであり、そしていまになってもっと深いところまで、こっちが経験した十年分の成長を押し返して刺してくるから、すごい、と思う。


 しかし、観たあとしばらく廃人のようになるな〜。時間の感覚ない。観る前と観た後でなんかもうガラッと変わってしまって「……今、何月だっけ?」みたいな感じになってます。お休みの前の日に観ることをおすすめしますよ……。