★ここんとこの都条例問題で、最初は「規制は自由な表現を損なう!」という論調がよく見受けられたが、最近「マンガ自体はすばらしいものがたくさんあるから規制すべきでない。ただしエロ表現が過激すぎるものに限ってはちょっとどうかと思う」という論調をチラホラ見かけて、すごくうんざりしている。


 言いたいことはわかるんだ。ストーリーや表現したいテーマ上、それを避けては通れない未成年のセックス描写や近親相姦描写のある作品だったら、それは許されるべき。だけど特にそういう必要性もないのにただひたすらエロを描くためにやってるものは多少規制してもいいんじゃないの? ということなんだろう。私だって例えば手塚治虫の『奇子』がダメとか言われたら、どうかそれだけはごかんべんを……他のつまんないマンガをもっと規制しちゃってもいいからこれだけは……と言いたくなるような気持ちはないでもない。


 ないでもないけど、そうやって「さらに弱い者を叩いて犠牲にする」ことで一部だけは規制しないでくれっていうことには、やっぱり強い違和感を感じる。


 いちばん強く思うのは、「表現」と普通は呼ばないようなものや、すばらしくないものだったら規制してつぶしていいのかってことだ。単なるズリネタだったら、下品ですばらしくないから規制していいのか。


 面白いマンガを描いている人の顔は、みんなすぐに思い浮かべられるだろう。その作品が読めなくなるとか、おかしいって思うだろうし、そのマンガ家の先生がどれだけ骨身を削ってすばらしい作品を生み出しているか、知っていたり想像できたりするだろう。


 エロマンガを描いてる人や、エロ本を作ってる側の人間の顔を、思い浮かべられる人は少ない。名前すら知らない人のほうがずっと多いだろう。


 「誰もが知ってる著名なマンガ家のすばらしい作品が規制されるのは絶対にイヤ」「そんなことはあってはならない。文化の衰退だ、表現の自由の侵害だ」だけど、「顔が想像できない無名の集団だから規制していい」「エロなんかどう考えてもすばらしい作品とは思えないから規制していい」っていうムードを感じると、すごく嫌になる。


 知らない人間だから、自分とは関わりのない存在だから、エロに対してなんの知識もないのに安易に叩いていいと思ってる人や、他のことなら知らないことが恥だったり、きちんと調べないでものを言うのが恥ずかしいっていう気持ちがあるのに、エロに関してだけは単なるイメージでものを言ってもいいと思ってる人が多いことにも腹が立つ。どうせゲスな世界なんでしょ、って思って、チラッと見ただけのエロマンガの表紙とかを基準に適当にものを言ってる人が多すぎるんじゃないのかな。「自分の好きなものは規制してほしくないけど、嫌いなものはどうなったってかまわない」っていうのは、個人の気持ちとしてはよくわかるけど、少なくとも「規制の是非」を論じる態度ではないんじゃないか。


 エロやズリネタは、すでにいろいろ規制されてきている。だからもっとやってもいいって思われてる部分もあるのかもしれない。「規制の中で育ってきたのが日本のエロだ」とか言われちゃってるし。私はそれを言っていいのは、苦労して規制の中でエロを作ってきた側の人だけだと思ってる。規制を正当化する側が言うことじゃない。


 「エロにも芸術性があるから規制してはいけない」とか、そういう言い方でもダメじゃないかな。汁ダクの近親相姦ものの「芸術性」を、どうやったら証明できるんだ。「表現としてのすばらしさ」をどうやったら立証できるんだ。私はすばらしいと思うけど、それが「エロ表現として下半身にゾクゾクくるからすばらしい」って言ってもダメなわけでしょう。エロ表現の中にも優劣はあるし、すばらしいものもあるのに、それ全部一緒くたにしてダメと言われるのも腹が立つけど「すばらしくないものは切り捨てていい」っていうのもおかしいと思う。


 エロが社会に与える悪影響がまったくないとは言わないし、言えない。1人でも2人でも悪影響を受けた人がいれば「なかった」とは言えない。エロを好きな人たちだって「エロくて最高なんだから規制しないでくれ」なんて恥ずかしくて言えないだろう。そういう、口をつぐまざるを得ない人間は、声を上げない人間は、いくらでも締め付けていいのかって思う。


 こういう問題は、考えても頭がグルグルしてだんだんわけがわからなくなってくるし、自分一人の中でさえはっきりと意見がまとまっているわけではないし、正直言ってこんなむちゃくちゃとしか思えない規制が改正案として出てくるだけでもあきれはてて口をきく気力すらなくなるっていうのが本音なんだけど。