★さっきテレビで明石家さんまM-1の歴代優勝者を知らないことを、NON STYLEに「なんであんなにお笑い観てるのにそこ観てないんですか!」とツッコまれ「俺、お笑いで争うの好きやないねん。自分が面白い思うたらそれでええと思うねん」みたいなことを言って、思わず興奮で鼻息荒くなった。


 「D-1CLIMAX」というAV界のイベントがあって、それは毎回何名かの監督がオーディションで女優を選び、自分が本当にエロいと思う作品を撮ってその売り上げポイント(+ライターなどの批評ポイント)で競うというものだったんだけど、この「オーディション」が、すごいもので、ずっと何年も私はこのオーディションのことを引きずっていたんですね。


 このオーディションでは、女優さんがそれぞれ「エロアピールをして下さい」と言われ、自分がどれだけエロいかをアピールする。それが自分で「私はエロいです!」と必死になればなるほどエロくなくなってゆくというパラドックスはあるし、なぜ自分がここに来たのか、今の仕事にどんな不満を持っていて、どういう作品を撮って欲しいと望んでいるかを涙ながらに訴える人もいるしで、とにかく観ている側としては、驚いた。呆然とした。裸で踊ったり裸で泣いたりする女優さんたちが舞台に立っている目の前の光景をバカバカしいものとして捉えることはできなかった。


 このオーディションを「嫌いだ」と言うのは簡単だ。「間違ってる」と言うのは簡単だと思う。じゃあ、女優が自分の本音をしゃべれる場所ってあんのか? とも思う。女優が自分から「私はこういう作品に出たい、こういう監督に撮って欲しい」と言える場所はあるのか。面接でなら、言えるのかもしれない。まぁ、もうこのオーディション自体、ないんだけどね。


 女は、競争しなくていいんだ、ってちょっとだけ思った。自分がいいと思った女がいい女であって、いい女選手権みたいなので優勝とかしなくてもいいんだって。私があのオーディションに感じていた一番の違和感は、あの中で誰かが「選ばれ」て、誰かが「選ばれない」ということで、選ばれなかったコの中にもすごくいい女優さんはたくさんいたし、それがただ「選ばれなかった」ということで何かの資格を失ったような気持ちには、なってほしくないということだったんだと思った。


 そう思っても、自分と誰かを比べるクセは簡単には治らないし、美しい人を見れば自分なんて……とも思う。明石家さんまにだってそういう気持ちはあったんじゃないか。自分の時代はもう終わる、と感じたこともあったんじゃないか。


 競争するのが嫌だ、といくら自分が言おうと、自分はいつでも他人の「比べる視線」に晒される。そのことを明石家さんまが知らないわけがない。長い長い芸歴の間で「比べる視線」に媚びてもダメなんだ、と悟っているのかもしれない。そう、自分は自分にしかなれないんだから。