すあまさんの抱き枕

 WEBスナイパーのすあまさんの連載最終回(http://sniper.jp/008sniper/00840suamania/post_1662.php#more)を読みました。すあまさんは抱き枕を恋人にされていたのですが、人間の彼女ができて抱き枕と泣く泣く別れたと書いてらっしゃるのですが、この文章がなんか、個人的にふだんあまり意識しないようにしていたツボに刺さりましてですね。しばらくこのカーテンの色が脳内をオーロラのように舞う日々を送っております。


 これを読んで思い出したのは、以前ラブドールとの愛の生活をブログにしたためていた人が、ほんとに彼女ができてやはり彼女に「ラブドールに嫉妬してしまう」と言われ、ラブドールと別れたという話でした。そのときに感じた気持ちと、すあまさんの文章を読んだときの気持ちは非常に似ています。


 こういうお話を読むと、自分の中で「それ(ラブドールや抱き枕)ぐらい許してやれよ! お前(彼女)よりずっと長いつきあいなんだよ! 家族同然なんだよ!」という気持ちと、「いや、それがわかっているからこそ許せない……」という気持ちが同時にわいてきて、何が正しいのかわからなくなります。その人が選択したことがもちろん正しいのだと思いますが、自分がそういう状況に置かれたときにどうするのかということに関しては、答えが出せない。


 小さい例を出すと、自分の恋人が持っているAVに対してどうするかという問題があります。私は品川庄司の庄司がミキティにAV捨てろと言われて捨てたっていう話を聞いたときは、庄司のクソ野郎! と思いました。ミキティのこともちょっとその……悪く思いました。AVぐらい許してやれよ! お前めちゃくちゃ愛されてんだろうが! みたいな気持ちです。


 じゃあ自分が恋人のAVに対してどうするかというと、まずラインナップを見ます(見せてくれる場合とか、見えるような場所に置いてある場合だけど。家捜しとかはしません)。そんで「女優の趣味いいな……。これなら許すしかない」とか心で品評。ちょっとミキティよりよっぽどどうかと思う最低行為ですが「いいセレクトしてんじゃん」だったらとても「捨てろ」とは言えないんですね。逆に明日花キララとかあった日には別れ話が浮上するかもしれません……。


 まぁそのへんは仕事柄っていうのもあるんですが、それでも自分の嫉妬のツボってどこにあるかわからなくて「やるな! 実力派!」っていう女優さんのAVは無条件に許す気持ちになるのに、たまにルックスが自分の好みの女優さんのAVがあったりすると「へぇ〜そうなんだ、元モデルのこの超絶美脚が好きなんだ……。いいよねー顔もなんかエロくてさぁ! さぞかし観てて楽しかったことだろうよ!」と般若化することがあったりしてわかりません。ああでも自分の好みじゃないけどエロいな〜と思う女優さんでも「こういうの好きなんだ、ふーん」(やはり般若化)っていう場合もあるな。結局、AVファンっていう同じ立ち位置で見れば許すどころか共感さえできる問題が、自分が女で恋人でって立場になるといきなりなんか変わってしまうんです。


 それでも、AVはまだそれに欲情することが理解できるからいい。エロマンガも官能小説もそれに欲情することは「わかる」し、自分も持ってるからいい。自分がそれらのものを持っていることは、自分にとっては「何でもない」ことだからです。浮気に類する感情ではないと断言できるし、そういうものを多少欲するのはしょうがないとも思える。自分が欲してるわけだしね。でも、わかるがゆえの嫉妬もある。自分が興奮したことのある女優さんならなおさらです。


 まぁ、問題は相手がAV業界に関係ない人の場合、相手が女優さんに会うことはないのに私はAV男優さんや監督さんに会う機会があるってことでしょうか……。AVに関しては「嫉妬するから捨ててくれ」「仕事を辞めてくれ」と自分が言われる可能性はあるかもしれないし、分が悪いですね。書いててむなしいんだけどそんなこと言う恋人いねーよ!


 で、自分が嫉妬する側になった場合の話に戻りますが、私はどれだけ嫉妬してもたぶんそれを「捨てて」とは言えない。『自分が「捨てて」と言ったから捨ててくれた』っていうのは、もうすでに「違う」。でも「捨てて」と言わなくて捨ててくれても、それが「キミが嫌だろうから捨てたよ」っていうのじゃ、やっぱり違う。めんどくさいもんですが「自分のために我慢して捨ててくれた」じゃ、だめなんです。「我慢」じゃ、ちがうんです。


 我慢なんかしてほしくない。けど、実際に自分は嫉妬するわけだし、そこんとこはどうしようもない。それを考えると、私は「自分がいないほうがいい」と思う。極論ですし、いい子ぶっているようでもあるし、本当はそんなもんおしのけて自分が本妻の位置に居座って相手の愛情や欲情を独占したい気持ちは重々あるんですが、それでも「自分のために何かを捨てさせた」ことに勝利感なんて感じないし、自分が相手に「我慢を強いている」「楽しみを捨てさせた」ことへの罪悪感のほうが強い。そんなことを強要する権利は、いくら恋人でもないと思うんです。


 よくある例えで言うと「仕事と私とどっちが大事なの?」という問いを自分が発する前に、「そんな問いのない生活が、この人にとってはいちばん平和だ」と思ってしまう。「趣味と私とどっちが大事なの?」でも同じかな。邪魔者は自分です。


 邪魔者になりたくないのに、なってしまう状況は堪え難いと思います。邪魔者ではないと照明してもらうために何かを捨ててもらうっていうことは、自分でもたぶん考える。言えなくても絶対に頭をよぎります。その趣味が自分の理解できないものであれば、特にそうでしょう。


 AVやエロマンガや官能小説は、それに欲情する気持ちがよくわかるから、それゆえの嫉妬がある。でも同時にそれを大切に思う気持ちもわかる。では、欲情する気持ちやそれが楽しいと思う気持ちが理解できない趣味を相手が持っている場合はどうか。たぶん、理解できないがゆえに「そんなもの何が楽しいの?」「何がいいの?」「いらないじゃないの」と、簡単に切り捨ててしまうんじゃないかと思うんです。


 そして相手がそれをとても大事にしていたら、わからないから疑心暗鬼になる。嫉妬はおおまかにわけて「理解できるからこその嫉妬」と「理解できなくてわけがわからないからこその嫉妬」のふたつがあって、どちらかだとはっきり決められる場合と、両方が微妙に入り混じった状態とがあると思います。


 自分の場合を考えると、私は、これ言うの恥ずかしくてすごいためらいがありますが「萌え」ってことにいちばん嫉妬するんですよ。私はそれが「まったくわからない」わけではない。女なのに女のキャラに萌えるのは変かもしれないけど、たまに萌えっぽい感情を持つこともあるし、自分が萌えなくても「このキャラに萌えるのはわかるな」と思うこともある。奈須きのこの小説を読んでるとき、私は確実に萌えてます。西尾維新とかも萌えてるな……。男側に感情移入して読んでいるけど、たとえば古野まほろの小説を読んでるときは、男の主人公に感情移入して女のキャラに萌えながらも、女の自分は女のキャラに嫉妬するという分裂があります。それよりも読むことの快楽が勝っているから読めますし、好き好んで読みますが、読むことの快楽のほうが弱かったら苦しくて読めない。


 私は自分の萌える気持ちが恋心に似てると思うから、それに対する嫉妬がすごく強いんです。萌える気持ちは「理解できる」。ただ、本気で惚れる気持ちまでは「理解できない」。だから理解できるからこその嫉妬と、理解できないからこその嫉妬が入り混じります。その分裂に引き裂かれる。


 そしてそれらのキャラよりも自分のほうがいいとは言えない。「人間だからキャラよりいいでしょ」とは言えない。人間の自分は嫉妬するし、めんどくさいし、怒ったり泣いたりするし、とるし、劣化するしね。っていうかすでに三十路だし劣化してるしね! 平和な生活を望むなら、こんな女いないほうがいいと思ってしまう。セックスできるとはいえTENGAが体温を持つ時代ですからなんかそんなメリットもない気がするよ……。


 なにより自分が、特定のキャラクターに対して「これが理想の女だ」という気持ちを持っているんですね。ラキシスとかクローソーとか。世代がわかる理想でアレですけども。自分という人間がめんどくさいことも、よくわかってる。めんどくさいぶん、つきあってなにかいいことあるのかって考えると、はっきり言ってないよ。私のことがものすごく好きで好きで見てるだけで幸せっていうくらいの人であれば違うのかもしれないし、それこそが恋愛というもののもたらす錯覚かもしれないけど。


 こないだ友達と話してて「エロゲとかでよくある、草原に白いワンピース着てつばの広い帽子かぶってるような女いないですよね〜!」と言われて「ご、ごめん私そういうのに憧れて白いワンピースもつばの広い帽子も持ってる……」と懺悔したのですが、よくよく考えるとそういうものがうちにはけっこうある。昔の映画の女優さんしか使わないような、たばこを吸うときの木でできたフィルタや、実用的ではない小さな小さなバッグや、挙げたらきりがないけど「キャラの記号」みたいなものがあるし、見ると「欲しい」と思っちゃうんですよ。だてメガネもある……。なれるもんなら「キャラ」になりたいっていう気持ちがどこかにあるんでしょう。いやどこかにじゃないな、確実にある。


 たまに男のひとが、女性がDQNなイケメンにキャーキャー言ってるのを見てがっくりきたようなことを書いてらっしゃるのを見かけますが、私は男のひとがキャラに萌えてるのを見ると地味に落ち込みます。かなわないし絶対になり得ないものだから。もちろん若くて綺麗なAV女優にも、芸能人にもなり得ないわけだけど。なれるものならなりたいという欲望の一部が物欲に変わっていることを、私は自覚せざるを得ません。


 ちなみにやおいにはまっていた中学生時代は男のキャラのまねをしていたよ……。誰かは言わないが普段着のあるキャラだったので普段着をまねする分にはコスプレと認識されないのをいいことに服をまねしてたよ! 三つ子の魂っていうやつですね。今これ書くまでそのこととこのことがつながるとは思ってなかったです。私はそのキャラが「受け」であるやおいしか読まなかった。まさに自分が欲情し、同時に欲情の対象になりたいという気持ちだよな。


 他人が欲情する、自分以外のものに自分は決してなれない。恋人であるひとが、私にほかの何かになってほしいと思っていなくても、私はその人の好きな、抱き枕やラブドールや何かのキャラやAV女優になりたいという気持ちを持ってしまうことが多くて、それは自分のいちばん卑屈なみにくい部分だと思う。恋愛をきっかけに誰かに認めて欲しい気持ちと同じくらい、恋愛をきっかけに自分を徹底的に否定されたい気持ちがあるんでしょう。自分を好きだけど、自分を嫌いだと思う気持ちもあって、それがそういう、他人に迷惑な形で出てきそうになる。


 そういうのを、私はもう卒業したいです。嫉妬自体をしなくなるように、浮気性の人とつきあってそういうのに慣れて平気になってしまえればいいと思ったこともあった。無理だったけど。今度があれば、そういう無茶やショック療法みたいなことじゃなく、もっと自分にできる限りのことをていねいにして、折り合いをつけたいと思う。