『セックス・アンド・ザ・シティ2』

★みひろさん(通称みっひー)原作の映画『nude』の試写に行ったところ、音楽/宇波拓、エンディングテーマ/テニスコーツで少々びっくりしましたよ。主演の女優さんがいさぎよい脱ぎっぷりをしていて、おお、やるなぁ! と覚悟を感じました。が、AVで騎乗位ゴム出しフィニッシュはねえよ……とか細かいことが気になってしまう自分がにくかったです。映画なんだから気にすんな! と思うんだけど気になる。まだゴム出しフィニッシュについては「騎乗位を見せたい、しかし精液は見せたくない」という意図が見えるのでいいんだけど、セックス後のカットが早すぎる(発射後即撮影終了してる)のとかは単純に「変だよなぁ」と思ってしまう。事実の通りに撮らなきゃいけないわけではないし、私もたとえば戦争もので銃器の扱いが変だ! と言われてもどこが変なのかわからないので、映画の中での都合を優先させてくれてもいいよーと普段は思っているのだけど、知っているものになると気になるものですね。


★今日どっかで森薫の単行本の読者ハガキがもったいなくて出せない! という話を読んだんだけど、『エマ』の後半の巻数の本で、たて続けに数冊あの読者ハガキが2枚ずつはさまっていたことがあって、私はそれを「もったいなくて出せない人がいるから2枚はさむことにした」のだと思い込んでいたけど、そんなことはなかったのかな。『乙嫁語り』は1枚しかはさんでないし、『エマ』の最終巻も1枚だったので、たまたまなんらかのミスで2枚はさまる幸運が続いていたのか……? ものすごく行き届いたサービスだと思って感動してたんだけど、どっちなんだろう。「出すのもったいなかったら普通のハガキでもいいですよ」っていうことが書いてあった気もするので、たまたまなのかな。


★『会長はメイド様!』ビーチハウスの回だ! さいこうに萌えて死にそう。ビーチバレーの回は次回かな……二週連続で幸せすぎる。目隠しで背中にキスとかオプション(目隠し)がほどよくエロすぎると思うんですよ。う、うみ、行きてー!!!


 と思ったらエンディング変わったんですね。バラに埋め尽くされる拓海。ああやべー誕生日のシーンがエンディングに入ってる! このエピソード好きなんだよなぁ。雑魚キャラでいいからこの世界に私も入れてくれないだろうか……。舞台高校だけど。


★『セックス・アンド・ザ・シティ2』を観てだいぶ経ちますが、友達の感想などを聞くにつけ考え込んでしまいます。


 多く聞く意見は「ものたりない!」というもので、「サマンサだけががんばってセックスしてて、他の人たちぜんぜんやってないじゃん!」という部分にガックリきている人が多いみたいです。私もこの意見にはおおむね賛成。


 サマンサの、50歳過ぎてもやりたい男をなんのてらいもなく誘ってはセックスするイケイケぶりは爽快だし、これを支持する女性は多かろうと思います。けど、じゃあみんなサマンサになりたいのか? というと、たぶん違う。


 なりたいのはキャリーでしょう。この映画でキャリーが、結婚後に夫との倦怠期が来ることにおびえ、ほんの出来心で他の男とキスしてしまい、なんとたかがキスごときで悩みまくって罪悪感に耐えかねて夫にそのことを告白し、泣いて悩みまくるという、ヘタレと言いたくなるほど性に保守的な女になりさがっていることは、私にはすごく重要なポイントのように思えます。


 私もですけど、ほどほどの年齢まで生きてれば、何人もの男と別れを繰り返したり、性欲のままに男と関係を持ってみたもののいやな思いをしたり、でも気持ち良かったり、でも傷ついたりみたいなことがあったりして、だんだん疲れてくる。そういうときに夢見るのはこの後におよんで「純愛で結ばれた結婚」だったりするわけです。みんながそうかは知らないけど、私はかすかに恋愛にも、肉体関係にも疲れてて(ぜんぜん問題のない肉体関係ならいいけど、だいたいなんらかのリスクがあったりする。怖い)、だいじな人と何かを積み上げていくような生活に憧れたりする。


 でも、今までの恋愛はすべて別れという「失敗」に終わっていて(別れ=失敗、とは思わないけど、成就しなかったという意味でね)、さらに長くつきあっていると、精神的・肉体的に飽きるっていうことが、今まではあったりしたわけで「結婚」っていうことを想像すると、その「自分が相手に飽きる」「相手が自分に飽きる」っていうことが、ものすごく恐怖なんです。「幸せな結婚がしたい」とか言っときながら「やっぱ飽きた、ごめん」って最悪じゃないですか。


 もう人を傷つけるのにも疲れたし、自分が傷つくのにも疲れた。だから浮気とか不倫とかして、また恋愛の泥沼に飛び込むのには抵抗がある。「愛し合う幸せな結婚」という、最後の砦を守りたいわけです。それは、表面的な「平和」や「幸せ」ではだめで、だからこそ「元彼とキス」という、致命的な裏切りにはならない裏切りが行われ、それが愛を試す試験になり「本当に心から愛し合っていること」を確認する作業が行われて「やっぱり私、幸せ」ってなる。


 こういう幸せの形を、本人が望んでいるのか? というと、まぁ確かに望んでいるんでしょう。でも、ちょっと考えてほしい。このキャリーの幸せの形っていうのは、あくまでも「男がひかないぎりぎりの範囲での幸せの形」じゃないか。


 過去に他の男と遊びまくっていたとか、結婚してるのに他の男とデート&キスとか、その時点でひきまくる男の人もいるでしょう。男でなくても、私も自分とつきあう人がそういうことをしてたら、いやだ。


 だけど、サマンサよりは受け入れられるであろう態度なんです。キャリーのやってることは。シャーロットになれない程度の浮気心があり、ミランダほど仕事できない、サマンサほどハジケられない、そういう女の気持ちはキャリーに向かう。そのキャリーが、キスはしちゃったものの、一人の男に一途な妻をやっている。夫に夢中、夫が大好き、文句はあるけど夫がいちばん! それがキャリーの現在です。


 私が気になるのは、この「夫にひとすじ」っていう態度は、本人がそうしたいというのとは別に「他者の視線」を考えたときに、男にも女にも受け入れられやすいものだからそうしているんじゃないか、というところです。作品として、女性に支持されるものを考えたら、これしか答えが見つからなかったんじゃないか。


 性的に奔放な女は、男に好かれにくい。好かれにくいというか「かわいい」と思われにくい。そして今、そういう女は、女からも受け入れられにくい。おそろしいことだけど、私は自分自身の中の奔放な部分や、性的に貪欲な部分を受け入れてはいても、それを前に出すことが少し怖くなっている。それを前に出したら「誰にも愛されないのではないか」という恐怖がずっとある。


 サマンサの奔放さにあこがれつつも、未婚でヤリまくりの50代になりたいと思う女はそんなに多くはいないでしょう。思っていても、自分が50代になったときに、男をひきつける性的魅力をまだ備えているという自信がある女は少ないと思う。じゃあどうすればいいのか。男もひかない、女もひかない「夫に一途な妻」という立ち位置が、今もっとも憧れられる「恋愛における女のポジション」なのではないか、という結論を『セックス・アンド・ザ・シティ2』は描いているように見える。


 愛にひたむきな女性の姿として、キャリーを描いてきた『セックス・アンド・ザ・シティ』の現時点での最終回答が「夫に一途な妻」っていうのは、私はぜんぜん嬉しくないし、これを観て元気になりようなんてないと思う。結局それしかないのか、と打ちのめされたような気分にすらなりかねない。


 せめて映画の中でぐらい、むちゃくちゃやってよって思う。ありえないくらい元気でタフな女の姿を描いてほしいと思う。


 けど、ああいう答えしか見つからないっていう気持ちも、実はわかる。何より自分がくたびれちゃってるからだ。男と渡り合って自己主張するのにも疲れたし、男に「めんどくさい女」「女として自己主張の強い女」と思われることにも、疲れた。疲れただけじゃなくてそういうことやってると、さらにモテなくなる感じがする。


 疲れてるのって、自分だけじゃないんじゃないかとも思うし、自己主張してモテなくなったらどうしよう、って思い始める時期が全体的に来てるんじゃないかとも思う。女がどう社会に身を処していくかという方法について、ターニングポイントが来てるのかな? とも思う。ガンガンいこうぜ! が『セックス・アンド・ザ・シティ』だったのに、それがここまで「家庭を守る」方面にシフトしたのは、登場人物の加齢によるものだけではないだろう。


 私はこういうふうに疲れたまんま、これ以上疲れないようにということだけを考えて生きていくのも嫌だし、モテなくなることにおびえて、びびりながらドン引かれない程度の行動をさぐりさぐりやっていくのも嫌だ。どっかで、元気になりたいものだと思う。


 結婚したキャリーの生活にあこがれないこともないけど、あんな男と一緒に暮らして浮気もしないでいることが最高のハッピーエンドだとは思えない。いやー、こんなこと言ってると最後までふるえるような幸せを求めていばらの道を全力疾走していた『ハッピー・マニア』のシゲカヨを思い出しますね……。ハッピーエンドは一生来ないのか……。だから適当なところで結婚してその幸せを守ろうぜ! いばらの道よりはマシ! っていう『セックス・アンド・ザ・シティ2』が提示する結論になるんだろうな。ふりだしに戻る。


 私が気になるのは、ひとりの男を愛して結婚して愛し続けるみたいなのがハッピーエンドなのはわかるけど、セックスには飽きないのかとか、ときめかなくなっても浮気しないって言えるほどの幸せは結婚生活のどのへんにあるのかとか、そういうことなんだが、そういうことに『セックス・アンド・ザ・シティ2』はまったく答えてくれてないんだよね。一生に一度は経験してみたい刺激的なセックスとか、ないわけ? 愛情とは別の性欲って、ないわけ? それをなにがなんでも満たしたい! って思うほどもんもんとしたりはしないわけ? っていうのが気になるんです。「加齢で性欲が落ち着いた」とかいう説明があればよかったのかもしれない。加齢で性欲どうなるの? って知りたいし。


 なんにせよ、今まで「ウソのない本音」が信条だったであろう『セックス・アンド・ザ・シティ』が、なんだかいきなりきれいごとを言い出したみたいで、ちょっと距離を感じたことは確かです。距離を感じつつも「今はこれが精一杯」なのかなと、少し思った。『アグリー・ベティ3』に期待するけど、ベティは若いんだよな。ドラマで答え探すなって感じですけど。