★ワールドカップおわった……。映画館で観てたんですが、人少なかったなぁ。ガラガラの客席に向かって試合終了後劇場の人が「4年後にまたお会いしましょう!」と言ってて、ほのぼの。オランダのユニフォーム着たひとが、スペインのユニフォーム着たひとたちに「優勝おめでとうございます!」と言ってたのもなごみました。スペインを応援してたけど、あの試合観てたらオランダもすごい気合い入ってるし、たとえ応援してないチームであってもずっと試合観てたら強いこともすごいこともわかるし、ロッベン速いし怖いしここで点入れられたら何も言えないっていう見事すぎる場面が何度も来るしで、ああもうこの試合終わらないでーいやでもハラハラするの疲れてきたからなんとかして! っていう感じでした。大きな画面で観るといいですね。


 深夜なのでタクシーで映画館まで行ったら、運転手さんに「こんな時間に映画やってるんですか?」と聞かれ「サッカーのワールドカップの中継をやってるんですよ」「どっちを応援してるんですか?」「スペインです」というやりとりをしたら「スペイン! フラメンコですね!」とすごい笑顔で言われて、フラメンコ全然関係ないけど情熱の国だからがんばれ的なことが言いたかったんだろうなと思ったらおもしろかったです。サッカーそんな興味なさそうなのに、人が楽しみにしていることを「楽しそうでよかったですね」っていう感じにニコニコ見守れるって、いい人だなぁと思いました。ハードな客商売でそういう気持ちを持つって、たいへんなことだと思います。


★「美しいサッカーより勝てるサッカーを」って、ワールドカップ中何度も聞いたんですが、この言葉ってなんだか象徴的で、ずっと前から不景気なエロ業界で「売れなきゃ話になんない」という状況があることになんだか重なって、考えこんでしまいます。


 美しいサッカー=勝てるサッカーではないし、いいもの=売れるものではなかったりもするんだけど、だからといって勝てるサッカー=汚いサッカーではないし、売れるもの=良くないもの、ではなかったりする。勝つための試合の中で信じられないほど美しいパス回しがあったりするし、売れるために死力を尽くしたものが内容の充実したすばらしいものだったりもする。


 私はサッカーのこと、くわしくないので意味を取り違えていたりするのかもしれないけど、「美しい」と「勝つ」が二者択一のことだと思えないところがある。たぶん、サッカーの「美しさ」を本当の意味で理解できるほどサッカーを観る目がないからだろうけど。


 勝てなきゃそこで終わり、もう試合に出られない、という状況と、売れなきゃ次が出せなくてそこで休刊とか、AVだったらシリーズがそこで終わるとか、そういう「もうここでおしまい」っていう状況の切羽詰まり方は近く感じる。勝つことは最低条件で、美しくやろうなんていう余裕なんかない、なりふりかまわず勝ちにいかなきゃだめなんだ、という感覚は、少しはわかる。世界一を決めるワールドカップとエロ本の状況をおなじみたいに言うと笑われるかもしれないけど、こっちだって会社つぶれるかもしれないとか生活かかってる必死さはある。


 サッカーのことはわからなくても、エロでは「こんなものが売れるのか!?」って思うこともあるし、美しくない勝利があることはわかる。美しくても勝てなかったものがあるのもわかる。


 負けたら意味がないって、やってる側は観てる側とは比べものになんてならないほどの強さと重さで感じているだろう。自分も、やる側になったら、負けてもいいなんて思えない。


 でも、観るときや読むときには、思うんだよね。負けても、素晴らしい試合だった、観てよかったって思うし、売れてなくてもそんなこととは関係なくいい本だとか、こんな本が出てよかった、読めてよかったと思う。


 勝つことと、美しいことのあいだで激しく渦巻いているようななにかのことを考えると、その渦巻きそのもののすごさにみとれるような気持ちになる。


 勝つために緻密な計算を繰り返している本人には、自分の美しさは見えないだろう。それで負けたら何が美しいだ、美しいなんてクソ食らえって思うんだろう。


 「美しいサッカー」の、本来の意味とはちがうだろうけど、ワールドカップにはものすごく美しい瞬間が何度も何度もあって、しびれた。


 「美しい」って、誰かが誰かに押し付けることはできない。自分で美しいんだって主張したからってそれがみんなに認められるなんてことも、ない。勝手に他人の心に生まれて消えていくものみたいに思える。美しい本人と、美しいと感じる他人の間では絶対に共有できない、そういうものみたいだ。


 美しさを讃える表現って、実はものすごく難しくて、それができているのが、もしかしたらすごくいい批評っていうものなんじゃないかと、少し思った。