★『耳をすませば』の何に泣くかよくよく思い出してみると、前半でほぼ恋のはじまりから両思いまでの甘い展開があるのに、両思いになってから「私は彼にふさわしい人間ではないのではないか」と、自分と相手とのつりあいなんかを考えはじめて、言葉にはされていないものの「このままでは相手に置いていかれてしまう=嫌われて恋愛が終わってしまう」的な恐怖と、それまではそこまで必死に考えていなかった自分自身の生き方みたいなものを、恋愛をきっかけに考え始めるということが同時に起こってしまい、すごい焦燥感とともに「自分のやりたいこと」が発動する切実な感じが、いちばんうっと来る。恋愛のあまずっぱさに泣けるというのとは、ちょっと違っていて、あの焦燥感とか、このままでは置いていかれるとかいう怖い怖い感覚がすごくわかるから、いつもそこがいちばん泣くところになっている。あのあたりのシーンだけ、主人公と自分の距離が縮まって、他人事ではなくなり、むやみやたらとリアルに感じてあのあたりの展開がこわい。


 そこがものすごいリアルなだけに、あの甘い甘いハッピーエンドの場面で『このお話は「努力したから愛してもらえる」のか、それとも「自分がどう努力するとかと関係なく、恋愛というものはある」ということなのか?』と考えてしまう。もしも主人公がこの先自分の才能を活かすことができなかったとしたら、その恋愛は終わるのか? とか。あんなに苦しんだのに、恋愛的にはびっくりするほどあっけなく報われて救われてしまうので「これって、どういう意味なんだろう……」って取り残されたみたいな感覚になる。


 そういうことを考えずにいられないのは、たぶん私があの激甘のハッピーエンドですら忘れられないほどの恐怖を、物語の中の寒い季節に感じているからだと思う。自分がああいうチャレンジに挫折した場合を先回りして想像して、それに対する救済がほしいと思ってしまうからなんだろう。挫折を想定すると、恋愛で報われるかどうかとは別に、誰に好かれなくても自分で自分を許せるか、受け入れられるかという問題もある。あのラストシーンは『努力が想像以上にめいっぱい報われてうれしい』という方向に甘いと思うんだけど、恋愛で『努力が報われる』っていうのは、なんだかしっくりこない。そりゃ報われてほしいけど……。このお話のなかではこれってどういう意味なんだろうって考えだすとわからなくなる。じつは恋愛のなりゆきそのものが主題ではないから、恋愛的な物語は二の次にされているのではないか。


 「これって努力が報われたってことなの? それとも主人公がなにもしなかったとしても、この男は主人公のこと変わらず好きなのかな? だって最初好きになったときは別になにもしてなかったわけだよね?(図書館で隣に座ったりしてたときは、男は主人公の作詞した歌詞すら読んでいない)べつに、夢に向かってがんばっているから好きになったわけではないよね? じゃあ何もしてなくても好きなんじゃないの?」とグルグルしてしまったのだけど「考えれば考えるほどヘヴィな話だよな。まだ中学生なのに、とつぜん日本においてきぼりにされて、自分の足で立つことを恋愛の場で求められるなんて。まだ、めいっぱい甘えていちゃついたこともないのに、そんなきびしいことを、いや『求められて』いるのですらなくて、正しくは『自分の足で立つことができなければ恋愛そのものを継続することすら不可能』で、最低限の条件としてそれがあるんだよね……。最初の頃に恋愛は成就していて、それが継続できるかどうかを試される物語で、主人公は『恋愛を継続する最低限の条件』をきっちり満たしたから、『継続できて、結婚という新たな成就の約束』を手にするっていうことなのか……!」とか考えてたらよけいに胃が痛くなってきました。うわー! 挫折とかとてもじゃないけど許してもらえないきびしい物語だなぁ。ぜんぜん甘い恋愛じゃないじゃないか。ビシビシ成長しなければ受け入れてもらえないどころか自然消滅まちがいなし! むしろ甘えは許されない! 運命の恋ってハードル高っけえええ! とおそれおののく明け方。窓をあけても運命の人はチャリで迎えに来てません! 寝ます!