★三十歳をすぎるとだんだんからだの肉がやわらかくなってくる。筋肉しっかりつけてる人は違うかもしれないけど、わたしのように普段動くのがきらいななまけものの肉は、自分で触っても気持ちよくてずっと触ってしまうぐらいやわらかくなる。今日友達に「そんなことない?」と聞いたら「あるある。肉ついたりして見た目はアレだけど、触感は上がるよね!」と言われ、しかも友達も自分の肉が気持ちよくて触っていることを知り、なんか生きててよかった気分になった。


ビューティーコロシアムを観たら、キャッチコピーのセンスがさらに極限までえげつなくひどくなっていて、そのインパクトには毎回感心するばかりなんだが、肝心のビューティー改造後が「顔も服もむりやり流行りものを押し付けただけ」みたいな感じになってたのが、萎えた。なんでも二重にして細くするのは毎度のことなんだけど、今回は顔も服もお仕着せ感が特に強かった印象。そして自分の知恵も使わず、「キレイになりたい」「人生変えたい」と言うくせに整形するお金を自分で貯めるわけでもなく、ビフォーアフターとひどい再現VTRを流されることと交換に人まかせで一足飛びにキレイになろうというのは等価交換みたいなものだから、べつに複雑な気持ちになったりせずに見せ物を見るようなつめたい気持ちで見てもいいんだと急に思った。


 自分にも波があって、誰かすごく美しかったりかわいかったりする人のことを、死ぬほどうらやましいと思ったり、自分はどう転んでもその人のようにはなれないということに深く落ち込んで、明るい気持ちで「ああいうのかわいい。私もちょっとああいう感じのファッションを試してみようかな」って、いろいろ楽しむ気持ちになるまでに時間がかかることもあるけど、落ち込みつつもそういう自分の卑屈な気分にどんどん飽きてきて、自分でもくだらねーなーと思うようになって、こんなのは無駄だとはっきり思うようになった。


 卑屈さとか劣等感は、もう一生分ストックがあるからこれ以上いらない。ビューティーコロシアムを観て我が身を振り返るようなことをするのも無駄。落ち込む方向に使ってる時間も労力もない、と、バサッと切り捨てることができた気がした。楽しい気持ちになることに貪欲になると、切り捨てていいものとの境界線がパッと見えてくる。わたしにはこのやわらかくて気持ちいいからだがあるから大丈夫。脚も腰もむちむちだけどアナスイのショートパンツはくし、スキンフードのかわいいコスメで化粧するよ。どうせなら、ナルシスト全開で人生送ったほうがぜんぜん楽しいってことに気がついた2010年夏。つばの広い女優帽をかぶってフフフーンと出かけたら風で飛ばされました。負けない!