★「こないだ引っ越ししたんだけど、ゴミ袋20袋ぐらい捨てたんだよ〜。なのにまだクローゼットいっぱいで服入れるとこないの。今までどうしてたんだ! って思っちゃう」。私は、こういう話を聞くのが大好き。私も引っ越しのとき、思い切って家具を3つ捨て、ついでにその家具の中に入れてたものなどをどんどん処分してみたら、ものすごくスッキリしたことがあるのだ。


 その「捨てる快楽」の虜になった私は、引っ越しの話が中止になって引っ越さなくてよくなったあとも服だの食器だのをどんどん整理し続け、服やバッグはゴミ袋20袋とは言わないまでも段ボール数箱分リサイクルショップに送り、数袋ぶん捨てたり、ほとんど着てなくてなおかつものが良いものは友達に「着る?」と聞いてもらってもらったりして「使わないものが家にあって、なんとなく『使わなきゃいけない』プレッシャーにさらされている」「使わないものがずっと家にあって視界に入る」という不快さから逃れ続けている。


 厳選して捨てたおかげで今では着なかった服が日の目を見たり、着用頻度が上がったりして、なんだかそれだけで自分が無駄のない生活をしているちょっとステキなエラい人になったかのような錯覚にとらわれたりもしていたのだが、ふと考えてみるとこの夏、いや春夏通して、服をほとんど買ってないことに気がついた。


 ……それって家計簿的にはかしこい感じだけど、新しい服がほとんどないって、おしゃれ視点からはどうなんだ。どうなんだっていうかまずくない? よく「ある時期でファッションや髪型が止まっていて、時代から取り残されてイタい感じになってる人」みたいな表現があるけど、アレに成り果てているんではなかろうか。気づかないうちに流行遅れバレバレの服を着てまわりを凍らせているのでは……。


 いちおう流行は考慮しているつもりだったけど、そもそも自分のセンスがあてにならないので、冷静になって考えてるつもりでもその土台がまちがってる可能性がある。さらに私は流行を無視してたまに変な服を着たくなるときがあって、流行の中心に乗りまくってブイブイ言わせたことがない。もう「流行」というものについてはそもそも理解がほとんどないのではなかろうか。


 古い服をひっぱりだしてきて着てたりして、それが気に入ってるんだけど、もしかしてそれってただの貧乏くさい人っぽいかんじになっているのでは……。ちょっと前まで「かしこい洋服ライフを送る自分万歳!」な気分だったのに、テンションだだ下がりもはなはだしい。


 服なんてそもそも、実用品として必要なのって3組ぐらいなもので、あとは装飾品なのだからもともと無駄といえば無駄なものだ。いっぱいクローゼットに眠っているものがあって当たり前なものだ。それを賢く着ていこう! という思想がまちがってたのかも。引き出しパンパンだけど知るか! バッグ一生分持ってるけどでも、買うんだよ! っていきおいで買うのが真のおしゃれ好きのような気もしてくる。


 でも自分は、おなじような服をずっと着ているひとが好きなんだよね。なんか、いつも同じ感じでいることが裸に近い感じがして、セクシーだと思う。服と肌がなじんで、「これを着てる」っていう過剰な意識がなくて、服とからだに距離がないというか、そういう感じが好きだ。


 秋冬は、セーターとワンピースと、靴も買いたいな。