★おととい深夜に「ラブソングができるまで」という、ヒュー・グラントドリュー・バリモアが出ている、音楽がよくできてるいいラブコメをテレビでやってて観ていたら、笑ってるときに急に不安が襲ってきて、ビックリしました。
映画観て笑って、日常の感覚を取り戻したら、はじめて不安を感じたみたいです。
どこか高揚してて、それまで怖さを感じなかったし、頭も「非常時モード」になってたんでしょう。


おかげでそれ以降は必要以上にリラックスしてしまい、一応買いにいったけど懐中電灯が売り切れてたので代わりに買ったセンサーライトを眺めながら「これ多分一年後の断捨離で捨てるよな。こんなときだからってこんなもの買うなんて、しょせん私の断捨離はファッション断捨離……」と反省したり、出来心で『賭博堕天録カイジ 和也編』を読んでこれが「人は生きるか死ぬかの状況に追いつめられたら簡単に愛や友情を裏切る! 俺がそれを証明してやる!」な内容だったので、面白くてグイグイ読んじゃったけどこれ今読むには最悪のチョイスだったんじゃないかと読み終わって思いました。心に悪い……。


その後コンビニで『GINZA』買って読んでたら、うわーかわいい靴! 服! って思って不覚にもボロボロ涙が……! 大丈夫かお前。


被災地の人は、おしゃれどころじゃない。
原発で今も働いてる人がいる。新しくできたおいしい店に行きたいとか、そんなこと言ってる場合じゃない。
そうなんだけど、心が娯楽に飢えてる。
毎日、もしかしたら帰宅難民になるかも、もしかしたらいつ余震で避難しなければならなくなるかもって思う。小さいバッグで出かけられないし、避難に必要なものを少しは持って出かける。11cmのピンヒール履けない。用事が済んだらすぐ帰る。寄り道しようと思っても、やってない店もある。
いつも通りの、楽しいテレビがやってない。
ものすごい些細なことです。我慢できないようなことじゃない。
だけど、こうやって少しずつ少しずつ、日常の楽しみが失われていくことが、どれだけ心を暗くするか、よく感じます。
家を離れるのが不安で出かけられない。節電で街が暗くて、夜の一人歩きが怖い。
何より「あのワンピース欲しいんだよね」なんていう、くだらない会話をする雰囲気じゃない。
「そんな金あったら募金しろよ」って、自分の中でツッコミが入る。こんなことしてていいのかって、今大変な人がいるのに自分だけ楽しんでていいのかって、妙な罪悪感にとらわれたりする。


普通に生活できて、自分や家族や友人の身が安全で、水もガスも電気も使えて、
そんな日常を望んでるけど、そんなのは最低限のことで、
もっとくだらないことや、バカバカしいこと、生きていくのにそんな必要じゃないことを享受できる、わがままで贅沢な邪念たっぷりのほんとの日常を取り戻したい。
人を押しのけて、自分より大変な目に遭ってる人に不自由させてまでそうしたいなんて思ってないけど、
人が大変だから、笑うのを我慢したり、楽しいことや明るいこと、バカバカしいことを自粛したほうがいいっていう考えは、ちょっと危険だと思う。
無意味にピリピリしてるほうがずっと、具体的に危ない。


出版業界もAVもたぶん今とても大変だし、これからもっと深刻に耐え忍ばなくてはならない状況はいっぱいあると思う。
だから、楽しむことを我慢しちゃいけない。
自分が我慢してたら、人が楽しんでることも許せなくなる。
いつか幸せになることも大事だけど、今も幸せで楽しかったらそのほうがいいに決まってる。
人に迷惑かけない楽しいことって、たくさんあるのにね。
ガラガラのスーパーの中で、カニ缶と生ハムと輸入もののチーズとお酒がたっぷり売れ残ってる。
カップヌードルとどっちが食べたいか、自分の心に聞いてみろと言いたいよ。
そして食べたかったら食べちゃえ! こんなときに会社も休みにならず、がんばってバッグの中にポカリとかチョコレートとか地図とか入れて、地下鉄にびびりながら通勤してる自分へのご褒美だよ!


不安で参ってる人や、守るべき家族がいて気を抜けない人は、原発の安全性や余震の確率にかかわらず、事情が許せば関西や九州に行くのもいいと思います。
急にみんなが移動してパニックになるのは怖いけど、今は飛行機とかまだ全然ガラガラです。
ちょっとでも息がつければそれでいいし、ものがいっぱいあるスーパーとか見てホッとするなら十分だし、実家があるなら家族も顔見て安心するだろうし。
でも普通の仕事の人はそんなこと、できないよなぁ。うーん。


しかし、福本伸行先生のマンガは最高に面白いけど、今はあんまおすすめしないです……。