「言語道断」とロナウジーニョ

 おととい、自分も原稿を書いているので届いた『言語道断 vol.2』を読んでいたら水足哲という人の書いた「出版不況の煽りをひっそりと受け、風前の灯火のアダルトビデオ誌とAVライターの現状」という記事が目に入った。「ホラー小説家・友成純一氏や作家・本橋信宏氏、ジャーナリスト・奥出哲雄、スポーツライター藤木TDCメディアックス代表・岩尾悟志などを輩出していたAV専門誌の現状はどうなっているのか?」と始まり、「作家になった人たちはやっぱり勉強熱心で読書家。AVやアダルトを自分の軸を持って面白がっていた。でも今のAVライターは売れてる女の子を追っかけまわしたり、つまらないイベントを取材して喜んでたり、作家どころじゃなくてエッチなことすら書けないレベル。昔のあの時代に戻る(雨宮注・前述のような書き手が生まれた時代のこと)なんて、天変地異が起こっても不可能でしょう(アダルトメディア研究家・山県征一氏)」「女優とは取材仕事で一緒にお茶を飲んだだけで大喜び、メーカーには単なる広報屋として利用されてるだけということに気づいてない。そんなライターばかりだから、誌面が恐ろしくレベルが低くなって、遂に崩壊の危機を迎えている(倉田達也氏)」というコメントが続き、最後は「現在のAVライターは作家になる意欲も才能もない人間ばかり。妙な期待を抱いた本誌が間違っていたのかもしれない(後略)」と結ばれている。

 「モテないオタクが、業界入り。AV女優に会って楽しく過ごすだけで満足してしまって、そこから先の進歩がない」(倉田氏の発言)というのは、あまりにもステレオタイプなAVライター像で、本当にそんな人いんの? と驚いた。とはいえ私も「モテないオタクが業界入り」というケースで、女だから女優に会って大喜びって話はあてはまらないにせよ、そういう私の知らない現実(モテないオタクが業界入りしたようなAVライターばかりだという現実)はさておき、大筋で「作家・ジャーナリスト・経営者になれない現在のAVライターは意欲も才能もない」と言われていることはさすがに意欲も才能もなく、勉強熱心でもない私にもわかるのだが、AVのことを書きたくてAVライターになったのに「作家やジャーナリストになる気概がない」ことを憂われても、ねぇ。と的外れな指摘に溜息のひとつもつきたくなるというもので、AV雑誌が作家やジャーナリストの書く文章が載っている場所より下だという価値観を前提に「妙な期待を抱いた本誌が間違っていたのかもしれない」と言われたら、そうですね、そうなんじゃないですか、としか言いようがない。時々、編集者に「雨宮さんは“本当は”何が書きたいんですか?」と聞かれることがあるけれど、“本当に”書きたいものがエロのほかにあるのなら最初っからエロ出版社に就職しないし、エロライターにもならねえよ、と心の中で毒づくのが常で、文章が下手だとかレベルが低いということを、AVライターとしての文章も明晰で面白い本橋信宏藤木TDCに言われるのならまだ反省して新たな意欲もわくのだが、「AVライター」として指している対象があまりにも漠然としていて、言われている中に自分が入っているのか入ってないのか判然としないためいまひとつ当事者意識が持てず、でも「作家やジャーナリストになれていない」のは今のところ間違いないのだから、やっぱり私もこの中に入っているのだなと思い、それにしても「有能な書き手を輩出できない文化は、ますます崩壊にむかって進んでいきそうだ」と結ばれた文章の載ったこの雑誌がこの号で休刊になるというのは皮肉というかブラックジョークのようだ、と考えて、センチメンタルな調子の編集後記にうんざりしつつ(編集後記は前号もセンチメンタルだったので、別に休刊だからというわけではないのかもしれない。まぁ、前号は創刊号だったから感慨深くてついセンチメンタルになり、今号は最後の号だからついセンチメンタルになった、という偶然なのかもしれないが)、気分を変えようとブラジル対ガーナの試合を見ることにした姉ちゃんでありました。それにしても、今日の文体がなんかおかしいのは金井美恵子の本を読んでいたからで、勉強熱心でも読書家でもない私でも金井美恵子ぐらい読むのだけど、サッカーに興味をもったのは金井美恵子がサッカーのことを書いていたからというせいもあったのだった。

 ワールドカップで初めてサッカーをまともに観て、私はロナウジーニョのことがものすごく好きになってしまい、AVライターごときでもいちいち批判されたりするような面倒臭い現実があっても、ロナウジーニョの姿さえ観ればすっかり明るい気分になれるのだが、この日(ガーナ戦の日)はロナウジーニョは不発と言えるほど活躍があまりなく、がっかりして寝たら、不完全燃焼だったストレスが身体に出たのかあっという間に発熱してしまった。

 ロナウジーニョみたいな人と一緒に暮らしたら、楽しいだろうなぁ。「仕事なんか終わりにして、お酒のもうよ」とか言われてさ、ベランダでお酒を飲んで、そのしわ寄せで仕事が遅れていらいらしてジーニョ(愛称)にやつあたりして、そしたらジーニョがカードのCMみたいなかなしそうな顔をして「ちょっと公園いってくる」ってサッカーボールを片手にしょんぼり外に出てゆくのです。あと2時間仕事したら、私はアイスのスターバックス・ラテとチョコレートチャンクスコーンをもってジーニョを公園にむかえに行く。そしてジーニョがスコーンを食べたら「ロナウドみたいになるよ」と意地悪を言って、しゅんとさせる。そして一緒にボールを蹴りながら家に帰って、お日さまの匂いのするジーニョの髪に顔をうずめ、彼が低い声で歌うブラジルの子守歌を聞きながらうとうとと眠りに落ちてゆくのです。すごい妄想だね! われながら30女の言うこととは思えないよ。ほんと、AVライターっていいとこないね!

 弟よ、ロナウジーニョという名前は本名じゃないんだよ! 本名はロナウド・ジ・アシス・モレイラというのです。こんなことをウィキペディアで調べて、しかも名前の由来まで暗記しようとするなんていう小学生並みの行動は久しぶりです……(覚えて誰かに自慢したい)。サッカー全然観たことなくても、うちの小画面テレビ(液晶ですらない代物)でさえあの冗談みたいなフェイントとか、マンガみたいな現実離れした足さばきのすごさはさすがにわかるし、彼が魅力的なキャラクターであることも顔見ればわかってしまうのだが「ロナウジーニョが一番好き」と言うと、意外と「えぇっ!?」という反応が返ってくる。世間的には「サッカーはすごいけど、顔とか、男としてはちょっとアレな人」という認識のようですね(弟よ、貴様は「サッカーうまいけど、歯が出てるじゃん!」と言ったよな!)。彼は「サッカーを楽しむためには笑顔を忘れないことが一番だ」と言っているらしく、あのけもののようなキュートな笑顔を見ると、私は自分の身の回りだけでなく、日本で起きていることのすべてがいやになってしまいそうになる。中田(英。私と同じ年)も、笑えばいいのにね。彼の抱えているやりきれなさ、複雑さぐらい、サッカーを知らない私にもある程度はわかる。日本になんか生まれちゃって、今年30歳で、さぞかし苦しいんだろう。でもあんたも(タメ年だからあんた呼ばわり)、細い目をもっと細くして、笑えばいいんだよ。笑ったってあんたが抱えている苦労をみんな忘れはしないし、一生懸命マルタン・マルジェラドルチェ&ガッバーナでお洒落武装したりしなくても、多くの人がサッカー選手に憧れ、敬意を持つ。それに、少しはキュートに見えると思う。ブラジルとやるなんて、サッカーが好きならついつい喜んでしまうことなんじゃないの? うわっ、やばいなぁ、と思いつつも、顔がにやけてしまうようなことじゃないの? 何かを「楽しむ」には、ある種のタフネスが必要であり、私はロナウジーニョが持っているそれに憧れ、彼と同じピアスが欲しいと思ったり、彼のユニフォームを小さいTシャツにしたやつを探してしまったりするのでした。

 次回は姉ちゃんの好きな、松本和彦監督の新作について書こうと思います。