氷上のジゴロ

★えーと、出版関係者の皆さん、よく聞いてください。私雨宮は、キム・ギドク監督のファンです。新作公開に先立ちまして、レビューを書く人を探していらっしゃる方、キム・ギドク特集みたいなものをやろうかとお考えの方、来日中のキム・ギドク監督に「日本のAV観たいんだけど、いいのないか?」と聞かれてお困りのコーディネーターの方など、みなさん雨宮にご連絡ください(え、営業!? こんなところで?)。


★献本いただいたエロ本で何かしてしまうと、編集部員に見られているような気がして落ち着かないのは私だけでしょうか。エロ本ライターのみなさん、どうですか。なんか……気まずいんだよな。やっぱ知らない本のほうが良かったりするのはなぜでしょうね。「快楽天」の編集部の人とか、一生絶対に知り合いたくないかもです。ファンタジー温存計画です。


★23日の「報道ステーション」を見ていたら、北朝鮮スケートリンクスルヤ・ボナリーが滑っている映像が映って、ものすごく驚いた。スルヤ・ボナリーアメリカから北朝鮮に招待され、式典のために一回転のジャンプを見せていた。ここで言う一回転とは、ヨコ向きの回転ではない。タテの回転、つまり宙返りである。オリンピックや競技会では禁止されている技なのだが、ボナリーはよくエキシビションでこの技を披露している。男子の選手にはできる人も何人かいて、同じくエキシビションで披露しているのを見たことがあるが、女子でこれをやっている人は、私はボナリー以外見たことがない。しかも、ボナリーはこれをやったあと、片足で着氷するのである。


 私は別にフィギュアの熱心なファンではないし、ほとんどフィギュアのことは知らない。と言ったほうが実情に近いのだけど、ひとつだけ今も大切に持っていて、ときどき見返すフィギュアのビデオがある。それは、長野の冬期オリンピックのビデオだ。長野のオリンピックのときに私がもっとも注目し、楽しみにしていたのがフランス代表の女子シングルのスルヤ・ボナリーと、同じくフランス代表の男子シングル、フィリップ・キャンデロロだった。


 ふたりを初めて見たのは、高校生の時、94年のリレハンメルの冬期オリンピックだった。フィギュアには珍しい黒人選手であるボナリーの、軸がまったくぶれないタテ一回転のジャンプはその年のエキシビションで見た。そして、同じくそのときのエキシビションで、キャンデロロの異様な技を見た。ヒザをついて回り最後にはあぐらのような姿勢になるスピン、しゃがんだ状態からつま先を前に出す妙なジャンプ、おそらく正式な試合では出せない技なのではないだろうか。見たこともない技をキャンデロロは自慢げに披露していた。


 キャンデロロはその年は銅メダル、ボナリーは確か4位だったのではないかと思う。ボナリーもキャンデロロもとにかく本番に弱いというか、よくジャンプで失敗する選手だった。技術の確かさに定評があり、他の選手とは明らかに身体の資質そのものが違うようにしか見えないボナリーはよく「技術屋」と陰口を叩かれて表現力のなさをなじられたそうで、試合の演技はどこか硬く、肝心のジャンプもよく失敗していたが、試合ではない場所で見せる演技には独特の個性と美しさがあって、私は好きだった。


 キャンデロロは、そのオリジナリティとキャラ立ちは群を抜いていたものの、よくジャンプでミスすることと、長身でスタイルの良い他の選手に比べると、ちょっと肉付きが良くてずんぐりして見えることが欠点と言えば欠点だった。身長やスタイルは関係ないのかもしれないが、キャンデロロはフィギュアの持つ「優雅さ」とは、あまり相容れないタイプだったように思う。身長やスタイルの点で言うと、同時期に活躍した選手に、カナダのエルビス・ストイコという人がいて、顔も大きくてずんぐりむっくりの筋肉のかたまりのような無骨な男だったのだが、彼のジャンプは最高にキレが良くて力強いものだった。それは、ある意味でとても「美しい」ジャンプで、とても正確で素晴らしかった。ちょっと野暮ったく、泥臭い魅力のあるキュートな選手だったと思う。彼はリレハンメルで銀メダルを穫っていた。


 高校のときにその二人を見て、フィギュアスケートという世界に面白い人たちがいると知った私は、二人の名前を覚え、長野五輪を楽しみにしていた。そして大学生のとき長野五輪が開催された。


 ボナリーはショートプログラムの成績はそこそこだったものの、フリーのプログラムの最初の方でごまかしのきかない大きな転倒をし、そのミスを引きずってそれ以降も三回転以上のジャンプはほぼ全て失敗するという惨憺たる状態だった。最初こそ期待でわいていた客席も、ボナリーが飛んでミスをするごとに徐々に歓声が小さくなり、途中からは拍手すら起こらなくなった。もうメダルはおろか、上位入賞も無理だという諦めの空気が会場を覆っていた。そのときだった。


 ボナリーはその場で、一回転の宙返りジャンプをしたのである。解説者もアナウンサーも息を呑んだ。「これは……競技会では禁止されているジャンプですね」解説の人はそう言ったけれど、会場はわいた。ボナリーも一瞬、やったという顔をした。余裕はなかった。着地した脚が少しぐらついていた。これをやったら、上位入賞どころかいったいどのくらいの減点をされるかわからない。スポーツマンシップ、というものが私にはよくわからないけれど、反則である行為をそれと知っていてやるのは、きっと良くないことなのだろう。滑っている最中に、ボナリーは今年のエキシビションには出られないことを、ほぼ確信したと思う(4位以内に入賞しなければエキシビションには出られない)。そうであれば、日本で、この大会で最後に滑るのは、今滑っているこのフリーのプログラムである。一つぐらいいいとこ見せて帰りたいと思ったのか、くやしくて自分にはこんなこともできるのだと言いたかったのかわからないが、これにはとても驚いた。ボナリーの無念と、その場でやれることをやらずにいられなかった、あざやかな大人げのなさがぐっと胸に来て、もはや点数など、目に入らなかった。


 そして、この年のキャンデロロは、本当に凄かった。


 キャンデロロがこの年のフリーの演目に選んだのは、三銃士のダルタニアンだった。フランス代表ということもあるし、どこか茶目っ気があり好戦的な感じのダルタニアンのキャラクターは、試合以外のときには客席の女の子にキスしたり、上半身裸で滑ったりして客席の歓声をかっさらって「氷上のジゴロ」という恥ずかしくもよく似合うキャッチコピーをつけられていた彼によく合ってもいた。しかし、それ以上に、彼がこの年にやったことは、もう「発明」としか言いようのないことだった。


 それまでも、小さな発明はいくつもあった。彼しかやらない技、彼しかやらない表現。もしかするとそれを全部やめて、極めてスタンダードな演技をすればもっと上位を狙えたかもしれないと思えるときもあった。彼の個性やオリジナリティは、ちょっとこういった競技会からすると「規格外」のものだったのである。競技会で「表現力」として評価されるものの基準は、素人目に見ていてもかなりコンサバな「美しさ」であり、「優雅さ」であったから、彼の「面白い」演技は、あきらかに不利だった。


 ダルタニアンの演技の構成は、確か四部ぐらいに分かれていた。二部が終わると同時に一度無音になる瞬間がある。そこで、キャンデロロはリンクの、上辺の端に立ち止まり、音楽が鳴るのを待った。


 そこからの彼の動きは、本当に度肝を抜かれるほど斬新なものだった。彼はリンクの端から端を斜めに、一番長い対角線上を、なんと直線に、フェンシングで相手と戦っているかのような演技をつけながら、滑るのではなく踊るようなステップをつけて、ひと息に渡ったのである。曲線の動きが基本のフィギュアで、このように直線で、滑るのではなくステップを踏むなどあり得ないことだった。しかもそれは「戦いの場面」を表していて、音楽とも、演目とも、ぴったりと合っていたのだ。客席の誰も、こんなものもちろん見たことがない。すさまじい歓声が起こり、手拍子が起こった。この演目でキャンデロロは銅メダルを穫った。


 このオリンピックは、キャンデロロの最後のオリンピックだった。エキシビションではいつもウケを狙ってヘンなことをやる彼は、この年もふざけたプログラムを用意していたようだが、途中で曲を止め、音楽を変えさせてフリーと同じダルタニアンをもう一度やった。この年、誰もが見たがっていたのはいつものふざけたキャンデロロではなく、ダルタニアンという演目であれだけのことをついに成し遂げたキャンデロロだった。常に観客の目を意識している彼には、そのことがよくわかっていたのだと思う。彼はこの大会のあとプロに転向し、結婚して初夜が明けたベッドの上で記者会見を開いた。どこまでもどこまでも、人を面白がらせることしか考えてない人である。


 私はこの年、スポーツというのは何なのか、フィギュアは果たしてスポーツなのか、そうである必要があるのか、ということについてものすごく考えた。キャンデロロのやったことが、あきらかに歴史に残ることであるにもかかわらず技術的な点数で銅メダルになったことが、私には当然だとわかっている反面、どこかで納得ができない部分もあった。フィギュアの基準からすれば「銅メダルで上出来」という内容だったのだと思うけれど、誰もがその年に一番熱くなったのはキャンデロロだっただろうに、こういう結果になるのはどういうことなのか、と、何度も考えた。フィギュアはスポーツで、芸術とは違うのか。フィギュアはスポーツだから、ショウとは違うのか。そりゃ、そうなんだろう。スポーツである以上、スポーツの基準で採点されなければならない。じゃあ、キャンデロロやボナリーは、なぜ「スポーツ」をやっていたんだろうか?


 スポーツなのに、目の前の観客を喜ばせることをいつも考えているようにしか見えない。単にスポーツをやるのなら、あそこまでやんなくてもいいんじゃないかとも思った。たぶん、どこかの時点で彼らはフィギュアの世界に入り、その中で、自分のやれることとできないことの両方を知ったのだと思う。長い手足を伸ばして優雅に滑るロシア風のクラシックなフィギュアは、キャンデロロにもボナリーにも無理だ。体型に似合わないし、やったところでそれに向いている体型の選手には勝てない。


 キャンデロロは、確かに面白い変わったことをやってはいたけれど、どこかの地点までは、それは自己満足だったのかもしれない。「俺は人とは違う」「人と違う、面白いことをやっている」「この個性を認めてみろよ」という気持ちが、あったのかもしれない。けれど途中から、年齢的なリミットが近づいてくるにつれて、本当に自分が武器にできるものは、今まで遊ぶ道具に使ってきたその「アイデア」しかないのだと、どこかで彼は気付いたのだと思う。技術じゃ負ける。体型じゃ負ける。勝つには、アイデアを使って「見せる」しかないのだと、彼は気がついて、大きな賭けをした。そう、個性っていうのは、自己満足の遊びに使うもんじゃなくて、本当に一番大事なときに、もっとも有効な形で使えなければ、にせものなんだ。


 キャンデロロがフィギュアという「スポーツ」を、舞台に選んだ理由は、なんとなくわかるような気がする。それが一番大きな舞台だからだ。世界中の人が見て、熱狂する、もっとも大きな舞台である「オリンピック」があるからだ。彼は世界中の人を、びっくりさせ、笑わせ、喜ばせて大きな感情の渦の中に叩きこみたかったのだと思う。どこかの地点まで歯車が噛み合わず、「ちょっと変わった人」で終わりかねない面もあったが、彼はその地点を乗り越え、自分にしか持ち得ないものの力によって、まぎれもない本物になり、世界中を大きな渦に叩き込んだ。


 なにか、新しいことをやるのがこわいときに、私はこのときのキャンデロロのビデオを見る。自分のやろうとしていることは、これと同じくらいに「正解」であるかどうか、エキシビションで変わったジャンプやスピンを見せて喜んでいたときのキャンデロロのような「ちょっとした自慢」みたいなものなのか、見ているとわかってくるような気がする。やりたいことと、やれることと、それをやる場所のことが、これくらいちゃんと、噛み合っているか。このビデオを見るときにいつも考える。そして、あまりにも圧倒的で感動的だったこのプログラムを見て、いつも泣いてしまう。


 スポーツと名のつくものがすべて苦手で、嫌いだった私がフィギュアを好きになったり、サッカーを好きになったりしたのは、それが「表現」ということと、なんら変わりのないことだとどこかで感じたからだと思う。大きな制約があって、不自由がある。キャンデロロはその不自由さの足かせを、どこかで武器にしたのだ。この足かせさえなければ、と大会の規定をうざったく思っていた時期が、彼には絶対に、あったと思う。どこかで「この足かせをつけたまま、俺はどこまでも滑ってやる」と彼は思ったのではないだろうか。足かせをつけたまま、胸をはって勝負する気持ちに、なったのではないか。


 キャンデロロの直線ステップは、次の大きな競技会ですぐにロシアのアレクセイ・ヤグディンが「仮面の男」の演目に取り入れた。今、キャンデロロのあの演技がテレビで流れたとして、どれだけの人がそれを斬新なものだと感じるかどうか、私にはわからない。でも、もし見ることのできる機会があれば、ぜひ一度見てみてほしいと思う。


※今、順位が合っているかどうか調べようと思って書き終わってウィキペディアを見たら、ボナリーが禁止技を行った理由に、私が思ったのと同じような意見が書いてあって、やっぱりそう思った人が他にもいたことがちょっと嬉しくなったりしました。

スルヤ・ボナリー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%BC


※そして、キャンデロロのところには、例のあぐらをかくスピンについて「通称・キャンデロロ・スピン。全く採点対象にならない無駄な技」とバッサリ切り捨ててある文章が……。そ、そこまで言わなくても……。しかも「氷上のジゴロ」というのもちゃんとウィキペディアに載っているんですね。「氷上の貴公子」とかはわりとよくあるんだけど、「ジゴロ」はもう彼以外聞いたことないですね。プルシェンコとかゲイっぽいしな〜。ここまで「女好き」が匂う人もめずらしいです。

フィリップ・キャンデロロ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AD%E3%83%AD


※「ゲイっぽいしな〜」と書いちゃった以上、いちおうプルシェンコの項目も見てみたら、子供がいますね。しかし「女装やかぶりもの、肉襦袢に金色のブリーフパンツという姿で腰を振りながら踊り狂うなど、奇抜なパフォーマンスも平気でこなす」って! やっぱものすごいゲイっぽいじゃないですか。トリノの彼のジャンプのイヤミなまでの決まり具合もスゴかったですね。バイオリンの彼とてっきりデキているのだと思っていましたが……。

エフゲニー・プルシェンコ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B2%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3


★なんだかアイススケート場に行きたくなってきましたね。