女にいちばん似合う職業

★雨宮も書いている『リビドー・ガールズ』(パルコ出版)発売になりました! 私の縄張り新宿では、ルミネ1のブックファーストの新刊台に山のように平積みになっているのを目撃しました(そしてこっそり数冊買ってみました。さ、サクラ……?)。

 『リビドー・ガールズ』についての情報は、編集者の神谷巻尾さんが更新している『リビドー・ガールズ』ブログ http://libidogirls.cocolog-nifty.com/blog/
 目次は執筆者の一人である真魚八重子さんのサイト(http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20070302)にあります。真魚さんのところには、私も参加させていただいた座談会の話や、それについての真魚さんのお話が書いてあって、面白いです。

 ホメあっていてもなんか女同士の気の遣いあいみたいに思われたらアレですが、私は真魚さんの、モワーンと半径5メートル以内に漂う「女の空気」が好きです。まー『リビガ』(すでに正式名称を書くのがダルくなり略称に!)には著者近影はないのでみなさんわからないと思いますが、雰囲気のある方なのですよ。……とか言ってるとまた吉田アミさんのように真魚さんのこともわるい妄想に使ってしまって、さながらギャルゲーのように周りの人すべてをキャラ分けしてしまいそうなのでちょっとこのへんでやめときます。バイク通学してきた真魚さん(皮のつなぎ着用。髪がヘルメットからハラッとこぼれる)と校門前で出会う設定とか、図書委員の真魚さんが図書準備室でタバコ吸ってるところを目撃して注意する設定とか(「うるさいなぁ……」ってけだるく言われる。真魚さん、喫煙してましたっけ?)なんか学園モノにすると際限なく妄想できそう。みくにまことさんとは、廊下でぶつかって転びます。「いってぇ〜……。あんた誰?」がみくにさんの第一声です。ドジっ娘です。堀越さんは部長です。文芸部です。デキの悪い部員の恥ずかしい文章を全員の前で音読する羞恥プレイが得意です。みなさん怒らないでください。全部ただの妄想ですから。


★出版記念というのもおおげさですが、ちょっと『リビドー・ガールズ』という本について書きたいと思います。この本が「女の子のための、女が書いた本」であるから買いにくかったり、抵抗を持ったりしている人に、読んでほしいことを書きます。


 私はこの本の原稿のオファーをいただいたときに、この本が「女の子のための、女が書く本」であることに強い抵抗がありました。


 私の主戦場はエロ本です。私は、25歳のときにフリーライターになって、今30歳です。その6年間は、屈辱の6年間だった。私はAVのレビューを書く仕事をしていますが、「女にAVはわからない」と、今も昔も言われます。女は射精しないからわからないんだと、「女の人から見たらAVなんておかしいでしょ?」と言われる。おかしくなんかないのに。その一方で「エロ業界では女ってだけでトクだ」と言われ、「女がエロいこと書けば読者は喜ぶんだから、顔写真出してエロいことを書け」と言われる。要するに、女は女性性をウリにして読者のオカズにされてりゃいいじゃん、っていうことです。私はそれを否定しませんが、自分は、そうでない文章が書きたかった。普通の文章を書くためには、女であることはとても邪魔だった。25歳のときに私が選んだ方法は、女である自分を極力否定することでした。写真は出さない。女っぽいことも書かない。顔写真入りのコラムや体験取材をしない。「やっぱり女だから」と言われそうなことは書かない。慎重に「女」の特徴を隠そうとした。「女」であることを求められる仕事を断ったことも、何度もありました。


 私が6年間、無言で叫んでいたことは、「私は女じゃない。女じゃないからエロの話をさせてくれ。男の仲間に入れてくれ」ということだったと、今は思います。一方、実生活での私は、自分が「女らしく」なく、「女の子っぽく」できないことに強い劣等感があった。実生活では「女らしい、ちゃんとした女になりたい」と思いながら、仕事では女であることを否定する。強烈な板挟みで、皮膚のないまま外気にからだを晒されているような感覚だった。どこを触られても痛く、触られればすぐに涙が出そうな、そんな状態でした。希望なんか見えない。光なんか見えない。私は、私という一人の書き手なのではなく、ただ「女の書き手」で、実生活では「女の出来損ない」でした。仕事では「女だからダメなんだ」と思い、実生活の、特に恋愛では「女っぽくないからダメなんだ」と思っていた。どちらの意味からも、自分が女であることは本当に押し付けられた焼きごての印のようなもので、その印が自分にあることが苦痛でした。そこに「女としてしか見られないのは、ちゃんと書けてないからじゃないか」という悩みも、もちろんあった。


 それが変わったのには、いろんなことがあったけれど、大きなきっかけになったのは去年の夏の「批評家サミット」に参加したことだったと思う。私は佐々木敦さんと、お客さんの前で一時間話したけれど、その日初めて会った佐々木さんは、私を当たり前に「私という、一人の書き手」として扱ってくれた。そんなこと、別になんでもない普通のことなのかもしれない。けど、私にはそれはほとんど初めてのことだった。涙が出るほど嬉しかったし、ものすごい解放感があった。私はあの場所で、いつもしていたように自分をおさえつけなくても良かったし、女だからといって誤解されることや、偏見で見られることをおそれなくて良かった。女だということを「弱点」だと感じないで済んだし、そんなことをまったく意識せずに済んだ。「批評家サミット」は、イベントの内容自体が刺激的な体験でしたが、私にとってはその「なんでもない普通のこと」も、大きな衝撃でした。他の出演者の皆さんも佐々木さんと同じように私に接してくれ、私は初めて今いる世界から一刻も早く抜け出したいと本気で、切実に思いました。エロの世界から脱出する、ということではなくて、女であることに苦しみ続ける世界から、早く抜け出したいと思った。


 具体的にどうすればいいのか、よくわからなかったけれど、とりあえずもう自分をおさえつけるのはやめようと思って『リビドー・ガールズ』の仕事をさせてもらうことにして、とにかく書こうと思った。女の人に向けて書くとは言っても、結局、自分に書けることなんてそんなになくて、自分の面白いと思うことや、自分がショックを受けたもののことしかない。何を迷ったり考えたりしてたのかと思いました。何かを隠したり、おさえたりして、いろんなものを書き分けられると思ってたこと自体、大きな思い上がりだった。書けることなんてそんな、ない。書くか書かないかをえらそうに迷ってるほど、ないんだと、よくわかりました。最初は読む人の顔が見えなくて、見えない敵と戦っているような気持ちでいましたが、書いてるうちにそういう気持ちではなくなった。これは、実生活でも本当に変化があったと思えることなのですが、自分の中で「女」が弱点で、焼き印でなくなった瞬間から、私にとって他人の「女」が「敵」ではなくなりました。そうなると、女の人を読者に想定して書くことが、あんまり怖くなくなった。女の友達が、この年になってあたらしくできるようにもなりました。


 「AVは男が観るものだから、女にはわからない」「女は射精しないから、男の欲望を理解できない」。さも本当のように、正論のように聞こえる言葉です。じゃあ、男とセックスして男に射精されたことのない男に、男の欲望が本当に「わかる」のか。AVに出てる女が、本当に感じてるかどうか、ウソで喘いでるかどうか、男に「わかる」のか。男の監督が、自分の欲望をそのまま撮ったような作品を、我が身にその欲望を引き受けるようにして男が観ることができるのか。「AVは女が出るものだから、男にはわからない」という言い換えだって、できる。「同性にしかわからない」「同性だからわかる」と、「異性だからわかる」「異性にしかわからない」は、かなりの部分で言い換えが可能だし、そんな言葉の遊びなんかに何の意味もない。男の欲望を女が理解できないのなら、女に男を誘惑することは不可能でしょう。男に女の欲望を察知する能力がなかったら、セックスで女を満足させることなんてできるはずがない。ふたつの欲望に、重なりあう部分があるからセックスできるんでしょう。まさか避妊しといて「本能だから」は、ないよ。こんな複雑な欲望や複雑な快感のすべてが「本能」だとは、私は思わない。


 男に女のことがわからないなら、上村一夫はなぜ『同棲時代』を描けたのか。女が「自分のことだ」としか思えないようなものを書くことができたのか。あれは明らかに「男だから描けない」のではなく、「男だから描けた」「男でも描ける」ということでしょう。内田春菊がなぜデビイのような男が描けたのか、それにも同じことが言える。わからないなんて、うそだ。わかりあえないなんて、うそだ。自分が「わからない」ことを、他人にまで押し付けるのは、やめてくれ。


 私は「女」だから、男の監督の欲望に反応するし、共感だけじゃなくそれを気持ちで受け止めることができる。私は「女」だから、性欲をおさえきれずにAVに出る女の気持ちが、ときどきよくわかる。「女」は「男」に、言い換えることが可能だし、「わからない」と拒否することもできる。「わからない」から興味を持つことも、「わからない」から夢中になることもできる。私は、もう、女であることを、おそれない。そのことを弱点と思わない。射精できないことを、くやんだりしない。男に生まれなかったことを責めたり、しない。


 ハローハローハロー世界のみなさん、私の名前は雨宮まみ。企画女優のような甘い名前にしたくて夢幻魔実也エスパー魔美から名前をとりました。名前にまみが二回あります。どうぞよろしく。私は「女にしかわからない」とは思わないし、たとえ「女にしかわからない」ことがあったとしても、わからないことを読んでもいいと思うから、『リビドー・ガールズ』読んでください。男の人も、女の人も。

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