槇村さとる先生の「Real Clothes」、2巻が出ているのに気付いて初めて買ったら1巻がどこに行っても品切れ。ガマンできず2巻から読み出したけどこれは……たまらんものがありますな〜。洋服と女の人生の話。なわけで、27歳の女(長く交際中の彼氏アリ)が、洋服売り場に配属されて(かな? だと思う。1巻を読んでないのでこのへんがイマイチ不明)自分のセンスの無さや女としての磨きの足んなさなどに初めて向き合い、仕事か結婚か、っつか将来どーすんのか、どんな自分になりたいのか。という問題と悪戦苦闘していく。という、なんつーの? これ以上いまどきのそこそこ大人の洋服好き女子が共感できるマンガはないんじゃないか。


 槇村さとるってマンガ家何年やってるんだろう? 服のセンスなんてほっときゃ鈍る。とくに自分が着ない服、自分の年代ではない服のことなんて、すぐにわからなくなる。のに、この現役感はなんなんだ。さすがお洒落マンガ家というか、おそらくふだん、たゆまず続けてこられたであろうセンス磨きの道のりがもう! 惜しみなくここに! 発揮されているわけですよ。日本版「プラダを着た悪魔」のような魅力(さえない女が磨かれてキレイに変身してゆくのを見る快感&超ド迫力のオシャレ女上司over50歳の小気味よいセリフを聞く快感)もありつつ、服を見てるのも楽しい……。というか、洋服哲学とかオシャレ哲学が書いてある本が大好きなんだなぁ……(よほどつらい道のりがあったのだと思ってください)。そんなこの本の帯の文句は「つまらないもの着てると、つまらない一生になるわよ」。い、いま何時? 高島屋開店まであと何時間? はやく、はやく買い物に! つまらない一生になっちゃう!


 「洋服を買う」ということは、楽しみでもありますが、私はけっこう長い間、その行為にかなりの苦しみをともないました。鏡を見なきゃならない。似合わない髪型。店員さんと違う人種としか思えない化粧。着てきた服のバランスの悪さ。脚の太さ。肩幅の広さ。胸のなさ。そして選ぶものの統一感の無さ。買っても買っても「合わせる服がない」「着ていく服がない」のは、なんでなんだろう。親の仕送りで服を買いながら罪悪感しか残らなかった。若い頃は、それでも「お金がないからいい服が買えないんだ」と思い込んでいた。「かわいい!」と思って買った服なのに、着たらなんかおかしい。居心地が悪い。電車のホームからホームへと乗り換えるときに鏡に映った自分を見てすぐに家に帰りたくなる。そんなことがずーっと、自分で服を選ぶようになった中学生から25歳ぐらいまで続きました。その後も、断続的にそんな瞬間が訪れて、去年109で買い物しててエスカレーターの前で泣きそうになったのが最近のいちばんひどい「発作」です(店員さんがみんな細くて、化粧が上手くて、気合い入ってて輝いていて自分は今すぐ死んだほうがいいと思った)。ちいさな発作(「今日失敗した! 早く帰りたい」「誰にも見られたくない」「今すぐ服買って着替えたい」など)は、今でもけっこう頻繁に起こります。


 部屋の中に何度も失敗した買い物の犠牲者(服)の山を築きあげていれば、そりゃ買い物には慣れてきます。どうしたら失敗するかも、なんとなくわかってくる。どんな色や形が似合わないのかもわかってくる。それでも失敗するんだけど、服と髪型のサジ加減ひとつで見栄えが8割ぐらいは増したり減じたりするんだからそりゃもう見た目を賭けたギャンブルなわけでやめられなくなっちゃうんですよ。「勝てる」人になるのか、負けが込んでくだけの人になるのか、その分かれ目はわかんないんですけどね。赤エンピツ片手にエレガントに予想をし、張り込んで勝負をかけてくしかないです。この夏もう考えたくないくらい負けてますけど……。