マネー・チェンジズ・エヴリシング

★伊勢・鳥羽を満喫して帰京いたしました。いや〜、伊勢神宮、ヤバいね!!!!!!!!!!  パワースポットと聞いてはいたけど、パワースポットというものがどういうものかもよく理解してなかったんですが、あの、アレですね、もののけ姫とかいそうな感じってことですね。オーラとか一切見えない私でさえ、目を閉じて祈っているとなんかモヤモヤしたものが見えそうになってきて(暑さのせい?)ビビりました。特に外宮が静かで、空気が澄んでいて一日中居てみたい気持ちになりました。鉄砲玉旅行だったので、あまりいられませんでしたが。



★一昨年に行った占いで、私は「2008年、経済的に不安定になって、お金なくなるかも。でも大丈夫、あなた、貧乏には三日で慣れるタイプっていうか、お金があってもなくてもそれにすぐ適応できるから」と言われていました。で、思っていたほど大変な状況にはならなかったんですが、7月の頭に母親と祖母が上京してきて、そのときに思わず、考えこんでしまったのです。


 母親は仕事を持っていて、中小企業ではよくあるように「有給休暇という制度があっても、実際には取れない」という状態ですが、一年に一度、東京に遊びに来て都会の空気を満喫するのを楽しみにしています。だから土曜日が休みの日に、土日の一泊旅行で来る。そりゃ一年に一度ですから、ガイドする私も気合いが入ります。せっかくだから、全部の食事でおいしいものを食べさせたいし、あまり疲れさせない移動範囲で、でも東京にしかないかわいいものや面白いものを見たり、買い物を楽しんだりしてほしい。


 今回は、私は母と祖母にネイルサロンをおごることを決めていました。カウンターだけみたいな狭い店じゃなくて、ゆったり大きなソファに座らせてくれて、心からお客に接してくれるいい店で。母はネイルサロンが初めてで、終わった後もその次の日も、空港に向かうバスの中でも、綺麗に塗られた自分の爪をジーッと見ていた。こんなに喜んでくれるんだったら、何でもっと早く連れていかなかったんだろう、と思った。母と祖母が帰った後も、いっぱい悔いが残った。なんでもっといいお店に連れていけなかったんだろう、欲しがってたあのバッグ、私が買ってあげられなかったんだろう、それどころか私は自分の服を買ってもらったりしてしまったのですから、後悔は何倍にも膨れ上がりました。


 6月、私はかなり買い物をしていたんですね。セール前のプレセールの時期にワンピース三枚、トップス三枚、サンダル四足、バッグ二個、ストール一枚……。まだ袖を通していないものさえあるのに、なんで服を欲しがって買ってもらったりしてるのか。そしてそんな浪費のために、親に寿司の名店でおごったりできなくなっているのか。バカです。ホントに。物欲の奴隷です。


 そもそも、自分がなんでそんなに服が欲しいのか。私は自分のクローゼットを開けて、真剣に考えました。着てない服がいっぱいあるし、使ってないバッグもある。そこそこ高かったし気に入ってるけど、着てもあまりしっくりこなかったり、バッグ本体が重くて使いづらかったりして使ってないものだったり、そういうものを「着なきゃな〜」「使わなきゃな〜」と思いつつためこんでいて、値段だけはそこそこリッチな(あくまでも我が家内でのリッチですが)クローゼットができていた。


 買い物の失敗は、誰にでもある。でも、気に入ってるのに着てもしっくりこない高い服を買ったことには、他に理由があるんです。それは、私がそのブランドやお店の雰囲気に憧れていて、その店に来るようなお客さんの仲間になりたかったこと。それを買いさえすれば、素敵な自分になれると思い込んでいたこと。分不相応なブランドバッグやアクセサリーや時計を買う人の気持ちも同じでしょう。それさえ身につければ、そのブランドの広告イメージのような、素敵な人になれるんだと思うから買うんです。


 考えてみれば、一ヶ月は30日です。一週間は7日。本当に気に入った、自分を良く見せてくれる服の組み合わせが3つ、週末の休日用にもうひとつぐらい特別なものがあればこと足りる。着きれないほど服を買って、持って、特に自分を良く見せてくれるわけでもなく、着てしっくりとくるわけでもない服を持ち続けている。まぁ、バカ丸出しのクローゼットだなーと逆に感心したくなりました。ぶら下がってる服を見てると、自分の劣等感がモロに見えて自分がかわいそうになってきました。「ああ、こういう自分になりたかったんだね〜。何て言うの、エレガント?(笑)でも全然なれてないよね〜。あ〜こういうテイストにも挑戦してみたかったんだ〜。でも何も考えずに暴走するのって、挑戦とは言わないよね。同じものでも違う色ならまだ着れたかもしれないけど、完全に判断できない感じに脳がゆだってたんだろうね〜。板につかないから結局着れなくてここにぶら下がりっぱなしだもんね〜」って自分なぐさめひとり語り入るほどに……。


 私はそれらの、あまり着てない新品同様の服やバッグ、ついでに足が痛くて履けないサンダルなんかも全部集めてリサイクルショップに売り払いました。着れそうで着てない服は切ったり縫ったりして着れるようにした。


 あと、これは言うのも恥ずかしいんですが、いい年して私は食事はほとんど外食でした。しかも一人で食べるときは、大しておいしくもない店のパスタとか食べて「茄子とトマトのスパゲッティー二とか言いながら茄子二切れしか入ってねーじゃん。女子供をバカにすんのもいいかげんにしろよ! うわーセットのコーヒーも激まず!」とか思って険しい顔で店を出るのを繰り返してた。これももうやめようと思いました。三十路で始める自炊生活です。


 何を隠そう、うちの父は農協出身ですから、私はどんなに貧乏なときでも米だけは贅沢に魚沼産コシヒカリとか秋田小町とか食べてました。米はとりあえずある。料理、できなくても野菜を切ったり焼いたりぐらいならできるだろ! と思って簡単なものだけ作って食べることにしました。


 その、料理うまくない私のご飯が、おいしいんです。野菜が単純においしい。米がおいしい。そしておいしいものを食べてると、ガツガツした急かされるような物欲がだんだん消えてくるんです。突発的に「うわー欲しい!」と思うことはあるし、「これ素敵!」と目がクギ付けになることもあるけど、前みたいに5秒で「それ、ください。あとそれも!」ということにはならない。


 要するに私は、お金を使うことでストレスを発散してたんでしょう。スターバックスとかも超行ってた。別にコーヒーじゃない気分のときでも行ってたし、なんかお金で心の余裕を買った気分になって、つまんないものを買ったり、本当に気に入ったものじゃないものをなんとなく買ったり、していたのでしょう。そんなことしないで、友達でも誘って一緒におしゃべりしてお茶でもすればよかったのに。


 西原理恵子の「上京ものがたり」の中に、新しい服を買って街に出掛けて本屋に寄ったら、好きな画家の画集が出てて、高くて買えないと思うんだけど、その時に「なんで服買って、この画集が買えないんだろう、私は何のために東京に来たんだろう」とはっとする、という場面があります。


 私は、数年前から部屋に大きな姿見が欲しいと思っていて、この店で買いたいというのもすでに決めてあったのに、それがずっと買えないでいた。つまんないことにお金使ってたからです。数年間スタバに使ったお金だけで全然楽勝で買えてたと思う。いや、スターバックス大好きだしおいしいですけど! あのクソまずいパスタに払った金額だけで買えてたと思う。私には安い買い物じゃなかったけど、それでも買えてたはずなんです。


 「あの金で何が買えたか」なんて考えるのは、あんまり好きじゃないし、あまりにも過剰に浪費をセーブするのもストレスだと思うけど、ものを買う前に「本当に自分がこれを気に入っているか。ちゃんと使うか」というのを、値段に関係なく考えるようにすると、生活や部屋の中がなんとなくスッキリしてきました。野菜を腐らせたりすることもなくなったし、おいしくないものを食べて胸やけすることも、使わないものを買って結局捨てることになって罪悪感を感じることもなくなってきた。


 経験上、貧乏なときのほうが、無駄遣いしてしまったり、似合わないものを買ってしまったりする率が高いです。それは、世の中に「買えない値段のもの」が多すぎて、「買える値段」というだけでテンション上がってものがちゃんと見れなくなるから。学生時代のクローゼットなんてもう、ちぐはぐすぎて思い出したくもないです。会社員時代でさえ悪夢のような……。


 あとは、これも自分の経験ですが、もうひとつ無駄遣いしてしまうのが劣等感が強まっているとき。自分は美しくない、かわいくない、エレガントじゃない、安っぽい……。そういう思い込みにとらわれているときほど、何かものを買うことでそれを解決しようとする。本当はその前にクローゼットを一度整理して、何を買い足せば素敵になれるのか考えるのが先なんですけど、頭に血がのぼってそんなこと考えられず、上から下まで買っちゃったり、いきなりブランド物に手を出したりする。しかもそれが自分のテイストじゃなくて、なんとなく憧れている他人のテイストだったり、劣等感を刺激された相手のテイストだったりするから、結局あんまり似合わなかったりして、もう目もあてられないことになります。ふふふ、私がギャルになりたくて109で買って結局全然使えずに処分するハメになったものの数を数えていたら番長更屋敷並みのコワいことになりますよ……。


 私は姿見を買いました。あこがれの、『存在の耐えられない軽さ』に出てくるような大きい鏡(映画の中ではその鏡の前でわいせつなあれこれの行為がおこなわれているわけですが!)。伊勢では、珊瑚のピアスを買いました。お洒落というのは、センスだとよく言います。「何を着るかじゃない、どう着るかだ」という、まるで英文を直訳したかのようにスッキリとしたECD氏の名言もありますが、本当に素敵な人は、少ない服しか持っていなくてもいつでも素敵です。私はお金の使い方も、お洒落のセンスのうちに入ると思う。大金持ちであっても同じです。服を大切に着てない人って、おそろしいことにすぐにわかります。逆にひとつひとつの服をきちんと大事に着てそうな人も、すぐわかる。そういう人は、いわゆるお洒落な感じでなくても「品がある」んですね。こういうのってこわい。気分に合わせてちゃんと服を選んでいる人も、わかる。かっこいいんです、そういう人は。


 ブランドへの憧れは今でもたっぷりあるし、いくら生活レベルや年齢に見合わないものとわかっていても、欲しいものはあります。マックス・マーラのカシミアのコートとか、ミキモトのブラックパールとか、シャネルの腕時計とか、ティファニーのピアスとか。それを手に入れられるかどうか、そして似合うかどうかは、私のセンスにかかっているのでしょう。買えないこともないものもあるけど、それが何番目ぐらいに欲しいものなのか考えると、今買わなくていいと思えます。今は、旅行がしたい。そのことが最優先で、あとは小さな金額でどんな服を秋冬に買うか考えることが楽しいです。もう、買い物を排泄行為みたいにしたくないし、服や食べ物をそういうふうに扱いたくない。私の生活に、ジミー・チュウの靴は要りません。素敵なものは素敵だし、観てほれぼれはする。あとはいつか、履くような機会があれば(レッドカーペットの上とか? そんな状況あるんか)、そのときにガツンと買えるように、べつにいらない靴を買わないようにするだけです。自分をいい気分にさせてくれるわけでもなく、実用的でもなく、脚をキレイに見せてくれるわけでもない、そういう靴を買わないようにするだけ。


 30歳になったらバーキンを持つ、と、昔は思ってました。女性誌に影響されまくりのステイタス志向ですが、今はあんな重いバッグはもらってもいりません(いや、売ってもいいならください)。プレセールでバカ買いした服やバッグや靴は、旅やフェスで大活躍させました。残りの夏もたくさん着ようと思います。みなさんも、楽しいショッピングを。買うときはガツンと、本当に欲しいものを。どうぞ、手に入れてください。