『のだめカンタービレ』

※ネタバレしてます。注意!

 いまさら初めて読んだんですが、最初はなんか変な面白いところにゲラゲラ笑わされて、いつのまにか首までドップリ浸からされていて、この物語が内包しているシリアスなテーマにガッツリ向き合わされる、おそろしいマンガだった。まず、マンガでこれだけ音楽のことが描けるのかと驚いた。クラシックをやっている人から見たらまだまだ……って感じなのかもしれないけど、あまりクラシックに親しみのない凡人(私です)には、うまく印象を使って描いてあってわかりやすかったです。


 21巻まで出ているんだけど、この21巻がものすごい後味悪〜いところで終わっている。のだめは「ただ楽しくピアノが弾きたい」と思っているのに、苦手な練習や解釈を延々とやらされて、もう「音楽を楽しむ」という気持ちの糸が切れそうになっている。さらに追い打ちをかけるように、恋人である指揮者が別の天才ピアニスト(女)とものすごい演奏をしてしまう。それは、ある意味、本気の浮気みたいなものだ。音楽以外に何もないのに、その音楽でさえ他の女に抜かされてのだめは焦る。そして「結婚してください」と恋人に言ってしまう。


 誰の話だよ……とイヤな汗かいてしまった。自分もこういう状況で同じようなことを言ったことがある気がした。だって、仕事でどうにもならない自分なんて何の価値もないのに、それに希望が見いだせない、「どこまでがんばればいいの?」「もう疲れた」という気持ちだけがぐるぐる回るところまで来てしまったというとき、そういうときは誰かに「(仕事がなくても、音楽がなくても)君が必要だ」と言ってほしい。そうでなければ自分の存在意義が見いだせないのだ。


 同じ世界で生きる人と恋愛をすることは、常に仕事のレベルも含めて自分を見られるということだ。それは、本当はすごくきつい。だって仕事がダメなときに駆け込みたいのが恋人のところじゃないのか。仕事で同じキツさを味わっていればそんなつらさも分かち合ってくれる……。そう思いがちだが、実際は片方が昇り調子のときにもう一方が下がっていたりすると、「足ひっぱんなよ〜今せっかく調子いいのに、辛気臭い話聞きたくないんだよ」と上がってるほうは思うし、下がってるほうは結局どんなにつらさを他人に打ち明けたところで、しょせん自分の問題なんだから、恋人に話したところでどうにもならず、自分で解決するしかないわけで、余計に孤独を感じたりする。


 のだめは、彼氏が他の女と仕事で最高のコンビを組んでしまい、自分はそれに全然追いつけてないままもう息切れしているという状況の中で、まさに悪魔の囁きのように、世界的な指揮者から「本当に真剣に音楽に向き合ったら、何が楽しいのか教えてあげましょうか?」と誘われる。誘われているだけだけど、こんなの、ほとんど脅迫みたいなものだ。言ってる側は脅迫しているわけじゃないけど、状況からすればのだめの追いつめられ方は、脅迫に近いと思う。それをやる以外に、恋人を自分のもとに取り戻す方法はないし、自分の生きる術はないのだから。


 のだめには「音楽」という居場所が、ある。ただ、その居場所に「居続ける」ということは、常に努力し前進し続けなければならないということでもある。「夢を叶える」なんて、よく言うけど、本当は叶ったあとのほうがずっと怖い。死ぬまで追い立てられ、死ぬまで前進し続けてその「居場所」を守るしかない。もう一度楽しいだけのピアノを弾く生活に戻ればいい? 一度でもものすごい音楽の輝きを目にした人間が、そんなことできるのか。それは「一度死ぬ」ということとほとんど変わらないと思う。


 「本当に真剣に音楽に向き合ったら、何が楽しいのか教えてあげましょうか?」。これ以上の誘惑なんて、ない。もう前進するのに疲れた、音楽なんか辞めたい、かと言って他の人たちがどんどん自分を追い抜いて、よりによって自分の好きな男が他の女と手を組んで最高の演奏をしているところなんて見たくない、早く楽になりたい、いっそ殺してくれたほうがマシだという状況の人間にとって、そんな一発逆転のカードは他にない。だって、音楽が楽しくなったら、無敵じゃないか。前進し続けることがキツくて息切れしている人間にとってこんな魅惑的な言葉はない。楽しくて楽しくて走ってるだけで生きていける人生になるんだったら、そんな方法、知りたいに決まってる。


 私もその方法、知りたい。ただひとつ、信じて読み続けられるのは『のだめカンタービレ』が明らかに太陽のほうをまっすぐ向いているマンガであって、決してそこで最終的に提示される結論は、絶望ではないだろうということだ。この問題にいったいどんな結論を出すのか、ゆっくり楽しみに待ちたい。