デブという名の呪い crazy little thing called fat

★「バレンタインか〜。チョコ欲しいな〜」とか寝言を言っていたらほんとにもらってしまいました。女の子から! う、うれしい……。本命チョコでなくても嬉しいという男性の気持ちがちょっとわかった気がします。最近「逆チョコ」とか言われてますが(男性が女性に贈ることをそう言うんだよね)私は特にチョコレート好きだからかもしれないけど、本命じゃなくても男の人からちょっとした好意でチョコレートもらうの嬉しい気がするな。昔英会話教室に通っていたころ、アメリカ人の男の先生が「バレンタインは、アメリカでは男性が女性にプレゼントするものなんだよ〜」とチョコレートをくれたのを思い出します。


★正月を過ぎて一ヶ月。体重計に乗ると、今までに見たことのないデカい数字が表示され、びびったのは二週間ほど前。どれぐらい太ったかというと「あと2、3キロやせたら理想的なのにな〜」と思ってた体重からさらにプラス4キロ。要するにやせたい総キログラムは合計6、7キロという難事業に発展していました。


 で、ぶっちゃけ今まで私、ひとが「太った〜」とか「痩せなきゃ〜」とか言ってても「別にいいじゃんそのくらい! 全然変わって見えないよ」とか言ってたんですよ。本人が言うほど見た目は変わってないし、気になるんだったら運動するなり野菜食べるなり、健康的に減らせばいいじゃん! とかね。


 ところが、自分が太ってみて初めて、そーゆー問題じゃないことがわかったんです。太ることのおそろしさを実感したんですね。というか、自分が太ることを恐れていたということを初めて知った。今まで大して体重変わってなかったから気づかなかったけど「太りたくない」と実は強烈に思っていたんだなーと気づいて、けっこう自分でもビックリしたわけです。そしてまんまと「太った」というだけで呪いにかかりました。そう「何をやってもデブ」という呪いに……。


 具体的に呪われた私の様子を書くと、まず誰にも言われてないのに鏡の中の自分に向かって「デブ!」と言うこと百万遍。4キロ太っただけ(いや4キロてけっこうな数字ですけども)なのにすべてのことに自信をなくし、化粧してても「どうせデブだし、アイラインなんか引いたって別に何も変わらないよね……」と虚無感に襲われてついでにマスカラを塗り忘れ、服選んでても「どうせデブだから脚出しても見苦しいだけだよね……」。そろそろ髪が伸びてきて切りに行こうとしても「髪型変えたぐらいで何になるのよ?」すごいです。あきらめの嵐! 思い切ってやせようとウォーキングを始めたものの、簡単には減らない体重に「どうせデブだしもういいや」「ウォーキングぐらいで6キロ(理想体重までのキログラム数)も減れば誰も苦労しないんだよ!」と自分に逆ギレしながらお菓子を暴食して体重増加に拍車をかけるというどうしようもない事態に!


 正直ここまで「太る」ってことがダメージでかいと思ってませんでした。目の前がほんとに暗くなる感じ。私は過去に「何をやってもブス」(とくに肌がきれいじゃなかった)という呪いにかかって地獄に堕ちて、そこから自力で生還した経験があり、生還するためにはあきらめないでできることをして、少しずつ自分の思う「良い」方向に向かって、そこに喜びを見いだしていくしかないということを身をもって知っているんですよ、イヤというほど! その過程で「何やってもブス」というダークフォースに取り込まれてすべてを諦めるのがどんなに希望のないことかもわかっているのに、今度はあっさりと「何をやってもデブ」というダークフォースに……。


 こうなるとどうなるかというと、ホント「精神的にブスになる」という言葉をそのまんま具現化したような状態がやってきます。もう大塚愛がチューハイのCMで「カロリー88kcal!」とか言ってるだけで「おめーは別にカロリーたっぷりの酒飲んでもいいだろうが! カルアミルク10杯飲めや! このスレンダーボディが! 若いから飲んでも食っても代謝良くて太らねえだろ! 三十路過ぎは食ったぶんつくんだよ!」と反射的にののしるほどの心のみにくさ……(大塚さんすみません)。ぼんやり頭に浮かんでくるのは、昔好きだった人(スレンダー好き)がやせてて美脚ですんごいキレイで若い彼女と一緒に歩いてるのと街ですれ違ってしまうというおそろしい妄想です(「若い」とか「キレイ」とか微妙にもうがんばってもムリな項目までなにげなくトッピングされております)。もっとも怖いことを考え、ありもしない恐怖におびえ、そんなことにおびえてるヒマあったら運動でもしたほうがいいに決まってるのに、その恐怖から逃れるためにさらに食べ物を求めてしまうという極悪循環。「食べる」って現実逃避なんですよ。満腹になれば眠くなって、すべて忘れて眠れますからね。起きてもムダ肉は消えてませんけど!

 
 でもほんと、いいことと悪いことがわかってるのにそれができないというくらい精神的に自分で自分を追いつめてしまうんです。「デブ!」という言葉で。そしてそのストレスで一番してはいけない過食を自虐的に繰り返してしまう。デブであることをガマンするのと、食べるのをガマンするのを両方やらなきゃいけないと思うのが、ものすごいきついんです。私はとんかつやチョコレートが大好きなんですが、過食するときはそういう「好きなもの」とかじゃなくて、むしろ普段は食べないポテトチップスとか、どうでもいいコンビニのごはんとかを詰め込むように食べてしまうんですね。ここまで来れば拒食も間近です。「今吐けば太らない」って言われたら、吐くほうを選んでしまいそうな自分がいる。誰も見てなかったら吐いてると思う。いや、誰も見てないんですけど、一度吐いたらものすごいループ「吐けば太らないからいくらでも食べていい」に突入しそうでこわい……。


 太った自分のからだをこれほどものすごい勢いで嫌い、憎み、劣等感を燃え上がらせるとは思ってませんでした。「太った自分」を許容し、もういちど穏やかな気持ちで「新しい服買おう」とか「化粧品欲しいな」とか思えるようになるまで、ちょっと時間かかりました。ええ二週間ほど……。


 私はエロ本やAVなど、男性の欲望にかかわる仕事をしていて、多くの男性が「ちょいムチなくらいが好き」であることも、スレンダー好きでもそれぐらいは許容範囲であることも、肉感的であればあるほど好きだという人がいることや、体型に関係ない恋愛や性欲があることも知っていたはずなんです。やたらとダイエットをアオる女性誌もいかがなものかと思ってた。なのに、やっぱり自分も「やせてるほうがいいに決まってる」というおまじないにまんまとかかっていたんですね。世間の、というか女社会での「やせればキレイになれる信仰」に、入信してないつもりでガッツリ経文唱えてたわけです。ま、もともとけっこう体重あったんですけど(胸はないがお肉はある!)それでも「自分内セーフ」のゾーンから「自分内アウト、そしてあと2キロでアウトどころか試合が終わる!」というゾーンに入り込むのは大きな違いでしたよ。


 でも、そうなってわかったのは、やっぱりどんな太ろうが肌荒れようが脚むくもうが、そこで「あ〜もう何やってもダメだ〜」と投げちゃうのがいちばんダメだということです。そりゃ、きつい日はもう投げて寝ちゃっていいと思うけど、ずっとそれじゃ自分がきつい。「何やってもダメな自分」なんて、楽しいわけない。「これくらいのムチムチ感はむしろアリ」と肯定できるならそうして楽しく生きればいいし、「この肉のつきかたはイヤ!」と思うんなら、変えるために何かしなきゃ変わらない。もちろん、すぐは変わらないし、毎日毎日ちゃんと運動したり食事制限したりするのはきついよ。さぼる日もある。大事なのは、さぼっても「さぼったからもうダメだ」と投げないこと。腹筋10回でもやってれば、やってる自分のことは好きになれるし、すくなくとも認めることができるから。「今日おやつ食べちゃったよ〜。もうダメだ」と思っても、明日も明後日もその次の日も毎日おやつを食べ続けるのと、明日一日だけでも食べないのは違うはずなんです。ウォーキング何日さぼろうが、一日でも歩くのとずーっと歩かないのでは違うはず。ちいさな挫折を許容しないと、自分で自分をどんどん精神的に追いつめていってしまうから「今日も食べちゃった」「今日も運動しなかった」じゃなく、「今日はおやつ食べなかった」「今日はちょっと運動した」って、いいほうをカウントしていかないとキツい。


 叶恭子さまが、その著書(『知のジュエリー12ヶ月』)の中で「ブスという言葉は、あなたの辞書から捨てておしまいなさい」とおっしゃってますが、まさにその通りで、「デブ」なんて言葉は辞書からさっさと捨てるべきなのです。そして今の自分をとりあえず認めることさえできれば、ちゃんとまた、美容やら洋服やらのことが楽しく思えてくる。たとえスキニーデニムのサイズが1インチ上がっていても……(リアルな実話ですみません)。上がってても買うよ! おしゃれしたいもん! でも私の理想の熟女(あんま年変わんないんだけど)は光月夜也さんなので、やっぱりときどきウォーキングなどしてます。あんなキレイな身体になりたい……。あとショックで錯乱状態だったときにネットで買ったダイエットサプリを飲んだりしてますYO! おなじようなことでお悩みのみなさん、へこまず明るく毎日を過ごしましょうね。