ずーっと過渡期

★ひと月くらい前、NHKの『わたしが子どもだったころ』で、児童文学作家・上條さなえさんの回(http://www.nhk.or.jp/kodomodattakoro/hoso_sogo/index.html)を観るともなしに観ていた。私は上條さんのお名前は知らず、どんな話なのかも知らず、ただなんとなくチャンネルを合わせてたまたま観たのだけど、その内容があまりにもすごかった。


 上條さんは、ホームレス中学生なんて目じゃないほどの「ホームレス小学生」だったのだという。わけあって母と姉と別れ、父親に手を引かれて安宿をめぐる暮らし。宿には泊まれても、ご飯が食べられない日もあったという。父親はだんだん酒浸りになり、子供のさなえは本当に困っていた。


 窮地に立たされたさなえは、ひとりでパチンコ屋に行く。玉をひろって、台の前に座る。慎重に玉を打っていたら、数個目で玉が詰まった。「おや、詰まったのかい? そのボタンを押すんだよ」。隣の人が教えてくれる。ボタンを押すと、台の上から若い従業員が顔を出して「どうしたの?」と聞いてきた。さなえは思わず「お父さんが病気で……」と答えてしまう。従業員が黙ってひっこんだあと、さなえの台からは山のように玉がジャラジャラ出てきた。


 さなえはその玉でもらったタバコの山を抱えて、換金所へ行く。そこには若いヤクザの男がいて「なんで子供が昼間からパチンコやってるんだ?」と聞いてきた。さなえはまた「お父さんが病気で」と言う。「そうか、俺、正塚。このタバコ、この世界じゃ40円だけど、45円で買ってやる。そのかわり、お金が必要になったら、この店でやるんだぞ。俺か、俺の子分がいるから」。正塚はさなえの名前を聞き、「さなえちゃん」とよく声をかけてくれた。


 父親がさなえのへその緒の入ったボストンバッグを電車に忘れて、なくしてしまったとき、正塚はこう言う。「へその緒かぁ、それなくしたって、どうってことねぇさ。俺なんて、母親の顔も知らないんだから。だからこんなヤクザになったって言い訳はしたくねぇけど、さなえちゃん、生き方だよ、生き方。真っすぐに生きてけばいいんだよ。俺たちはもう無理だけどな」。そして、正塚は学校に行きたがっているさなえのために、さなえの父親を呼び出して説教する。さなえの父親はそれをきっかけに、さなえを千葉にある全寮制の養護学校に預けることを決意する。


 さなえが正塚にお別れを言いに行くと、正塚はいなかった。正塚の子分の森本という男がいて「兄貴は別荘に行ってるよ」と言った。さなえは「私、千葉県にある『竹田養護学校』に行くことになりましたって、そう伝えてください」と森本に言う。森本は「そうか……」と言い、財布からお札を抜き取ってさなえに渡す。「俺もそこにいたことある。これ、餞別な」「つらいこと多いと思うけどよ、俺たちみたいにはなるなよ」。


 養護学校に着いて、さなえは昼ご飯を食べる。みんなお弁当を開けているけど、自分は父が買ってくれたあんパンとジャムパンだけだった。離れたところでひとり食べようとしていると、先生が近づいてくる。「先生、あんパン大好きなんだよ。東京のあんパンはうまいからなぁ。よかったらさなえちゃん、そのあんパンと先生のお弁当、かえてくれないかな?」。さなえは先生のお弁当を食べる。さなえは久しぶりに、家庭で炊いたごはん、家庭でつくったおかずの味を味わった。「逃げられない、裏切れない」とそのとき、思ったという。「ここで、ちゃんといい子にならなきゃいけない」と。


 すごくつらい話なのだけど、子供のさなえさんの知恵や、周りの大人たちとのやりとりがあたたかく、面白い。あまりにも面白かったので、この話を母にしたところ、泣ける話の大好きな母が祖母に話し、祖母が上條さんの自伝本『10歳の放浪記』と『かなしみの詩』を買ってきて、二人で読んだと言って私に送ってくれた。


 その二冊には、読みやすい文章で子供時代のさなえさんのことが綴られている。母と父の複雑ななれそめや、美人で贅沢に慣れている勝ち気な母親(とても昔の人とは思えない!)のこと、父と母の板挟みになりながら、弱い身体を押して働き続ける姉のこと、そして、父にも母にも約束を破られ、学校にも行かせてもらえず「大人はうそばっかりつく」と思って、人を信じなくなった自分のこと。『かなしみの詩』には、養護学校に入ってからのことが書いてあるが、これもいきいきと情景が浮かんでくるような描写で、読ませる。「子供ってこうだよな」と、意外におとなびたことを考えたり、直感的にものを見ていた子供時代をなまなましく思い出すような、そんな本だった。


 母と祖母は『わたしが子供だったころ』を観ていないわけで、私は本を読んでいなかったわけだけど、本を送ってもらって読んだし、今は三人で上條さんの話ができる。「困ったときに子供のさなえちゃんが『マイッタナァ』って思うところがかわいいよね」「つらい話だけど、うらみごとじゃなく書いてあるのがいいよね。お金がなくて『あの、お父さんが中にいるので探していいですか』って言って映画館にタダで入っちゃうとか、おかしいよねぇ」と言い合ったり。


 うちの母は、ネットは一応見れる。けどあんまり使わないし、カードを持ってないのでamazonなども使わない。祖母はパソコンは一切触れなくて、情報源は新聞、雑誌、テレビ。欲しい本があれば大きな書店であるかどうか聞いて取り寄せたりする。私は新聞はとっておらず、ネット、テレビ、本屋さんは利用している。ネットで祖母の好きそうなものを見つけると、プリントして送ったりする。祖母は、新聞で面白い記事があったら切り抜いて送ってくれる。


 何の時代だ、とか主なメディアは何か、とか、ネットと出版どっちが勝つのかとか、そういう話はあるけれど、そんなの、ずーっと延々過渡期が続いていくだけじゃないのかなぁ、と思うこともある。中には消えていくものももちろんあるし、出版だってもしかしたらそうなるのかもしれないけど。


 でも、過渡期でいろんなメディアが混在しているからこそ、こういうやりとりができるっていうことは、豊かなことだと言ってもいいんじゃないかなと思ったりしました。上條さんの本、とてもよかった。テレビだけじゃなく、本も読んでよかったと思います。祖母は「この表紙もいいよねぇ〜」と絶賛してました。写真じゃわからないと思うけど、ツヤなしの部分とツヤありの部分に分けてあって、ノスタルジックな雰囲気もありつつ、ちょっと目を引く本なんですね。いい装丁です。[rakuten:book:11971807:detail]
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