つまんない美しさ

 杏子さんやシーナさん、山田詠美さんのような「美しさ」や「カッコよさ」を見ていると、ちょっとこぎれいなオシャレとか、無難な女らしさとか、ただの美人とか、もうほんとにどうでもよくなってしまう。


 ものすごく周りを圧倒するほど、「美しい」のならそれはそれで個性だと思うけれど、私のよーな凡人がさ、「美人」に近づこうとしていく作業って、たぶん「平坦化」だと思うんですよ。欠点をカバー、フォロー、そしてまぁまぁに見えるような「美人的」な服やメイクで美人風をつくるという。


 杏子さんやシーナさんのような、暴力的なまでの美しさを見ると、美人とかそんなのつまんねー、もういいよって思ってしまう。


 オシャレじゃなくていいよ。美人じゃなくていいよ。なりたいものは、そんなもんじゃないんだって思う。


 服なんてただの服だし、アクセサリーだってただの小物だ。それを、どういう意志が選んで、どういうふうに愛して、それと絡み合うのか、そういうことが重要で、まるで服とセックスしているような着方をしている人こそが、おしゃれというものだと思う。


 「スタイルのある人」というと、なにかルールがあって、それをはみださないようにしている人のようにイメージしがちだけど、本当はたぶん、逆なんじゃないか。いちばん自由な人が、いちばんスタイルのある人のような気がする。