★きのうロキノン文体についてのあれこれを人と話す機会があってうれしかったんですが、帰って思い出したんですけどロキノン渋谷陽一が「電車の中でも読めるカッコいいエロ本!」をコンセプトに『H』という雑誌を創刊したことがあるんですよ。一号目の特集は確かジョン・ウィリーとラス・メイヤーかな? 2、3号が順番まちがってるかもだけどロリータ、SM特集。4号目の記憶が曖昧なんだけどエロをとりあげてたのは3号か4号が最後で、リニューアル後は『H』っていうタイトルがまったく意味のない普通のカルチャー誌みたいなのになってしばらく続いてました。


 何が言いたいかというと、その『H』っていう、SM特集のグラビアが本当に最悪だったりした雑誌が発売される前にうたわれた「カッコいいエロ本を」という、その言葉がすごく自分の中に残ってて、カッコいいエロ本がぎりぎり実現したかな? と思えるのは最初の一号だけ(たぶんそれも今見ると恥ずかしいと思う。ものすごく。中2マインドで見るとかっこよかったかもしれないけどさ……)だとしても、渋谷陽一がエロに興味あります! っていうかエロってすごいよね! と思ってることが初めてその行動によってわかって、自分の中で「エロって、エロをカッコよくとかするのは難しくても(カッコよくすること自体は、実はそんなに難しくないと思う。才能あるひとに仕事頼めばすぐに実現するけど「採算とれない」「カッコいいエロは売れない」と「思われている」ので実現しない。確かに失敗例はあるんだけど成功例もあるので「カッコいいから売れない」とは言えないと思うんだけど、まぁ、冒険するのは怖いってことでしょうね。特に今は冒険なんてしてる余裕はない。ちょっとでも部数下がったら雑誌なくなるから……)渋谷陽一にこんな無茶な冒険させるほど、なんか魅力的なものなんだなー」という、その印象が強くて、それも自分がエロの世界にひっぱられてった一因になってるんじゃないかと思い当たったからでした。『H』の成功ではなく、失敗により「じゃあ本当のエロってどんなんなんだろ?」と思ったんだろうね。オシャレじゃないエロ、本当にカッコいいエロってどんなんだろって。そしてAZZLOとかに行ったりするようになって、『S&Mスナイパー』を出してる会社が社員募集してるのを見て就職! という流れだったな、自分の人生……。その社員募集をB-ingで見つけてページを破って私にくれたのが上海にいる友達だったのでなんかいろいろ思い出しました。


 エロに向かったのは自分の抑圧された性欲とかそういうものがもちろん大きくあるし、それをどーすんのかということが自分の中ではとても大事なことでもあったのですが、それとは別にエロに惹かれる部分があったのも事実で、まぁ私のあっさい興味は掘り下げられることなく今に到るんですけど、ロキノンからエロにつながるラインがあったことを思い出したらなんかいろいろつながってほしくないものまで全部つながった感があって、ちょっとびっくりしました。


 覚えてるんだけど、本当に忘れてることっていうのがあって、それがあるときに「これが伏線だったのか!」っていう感じに浮かび上がってくることがある。意味がないと思ってたことに意味が生まれたり、別にそんな物語としてきっちりつながってくれなくていいのに、思いつきで行動してるはずなのに、つながってしまう。自分の思考や行動のパターンが同じだからこうなるんだ! と思ってそこから逃れようと新しいものに手を出すと、そこにまた何かがつながってきて、ジャンプして飛び移ったはずが結局橋が渡されててつながっちゃうっていうことが繰り返される。人生とは物語化されそうになることからいかに逃げるかっていうことなのかなー、と思う3月。一貫性なんかほしくないよ。思考や行動がカオスだから面白いのに、物語化されるときにその混沌は無視されてひとすじにつながる流れだけに光があたって、ほかはないのと同じになる、そのことは、とても暴力的なことだと思うし、物語というものの、魅力的でわかりやすいものの、どうしようもない欠点だと思う。とりこぼされた部分にも光があるんだ、ほんとうは。私は自分の中のそういう、孤立した島みたいに点在していて仕事にも何にもつながってこないただ好きなもののことを、大好きでいる。