ETV特集吉本隆明の講演をやってて、私はこの講演を観に行ったにもかかわらず、あらためておなじ発言に感動し、しびれました。まぁ、まずは吉本隆明という人が、肉体的に非常にたいへんそうな状態にありながら、私らのような庶民相手になんの手加減もなく、ただ「伝えたい」という思いで向き合ってくれていること、ひとりの吉本隆明という人が、なぜ長年今発言しているようなことを考え続けてきたのか、そこには理由があって、そうせざるを得なかったのだということにその場ではとても心を打たれたんですが、テレビで冷静に見直してみると、本当にしびれたのは「芸術に金銭的な価値なんか関係ない」「言葉の根は沈黙にある」「他人に伝えるための言葉じゃなく、自分が沈黙の中でただ思ったこと、きちんとした言葉にならない、ひとりごとのようなその言葉が芸術の価値なのだ」と、きわめて大雑把な要約ですが、そこのところです。この言葉は何度聴いても勇気づけられるし、気持ちがひきしまります。


 で、そのタイミングである書評を読んで、その書評がほんとうに素晴らしくて、どう素晴らしいかというとその本を読んで私が感じていたのに言葉にできていなかった微妙な違和感の正体がなんなのかということがきわめて簡潔に、しっかりと言葉にされていて、なんのごまかしもなく本質を言い当てていたというところがすごかったのです。


 私はその本を読んで、気持ちを揺さぶられていたので、気持ちの「揺さぶられている部分」にしか目が行っておらず、その「揺さぶられている部分」については言葉にできた。でも、本当に大事なところはその「言葉にできる」部分じゃなく、「言葉にできていない」部分だった。


 書く仕事は、その、本来沈黙の中にある「言葉にできてない」「ひとりごとのような言葉」で感じている感覚を、いかにねじまげず、都合良い形にせず、そのまま言葉にできるかということにかかっている、と思いました。


 そして、誰もほめていなくても、ぜんぜん知らないものでも、それに向かうときに自分がどう感じるか、その感覚を大事にしなければならないし、みくびってきちんと見れなかったり、誰かがほめているからと自分の感覚をむりやり良い方向にねじまげたりしたらそこで終わりなんだと、そういうことを感じました。ものすごく当たり前のことだけど、日常でいちばん麻痺していきがちな感覚でもあるような気がするし、吉本隆明の言葉に対し、自分はちゃんとしてます、といつでも言えるかというと、私は言えない。そうありたいと思うけど、そうでなかったときも何度もあったし、失敗もたくさんしていると思う。自分の恥に向かい合わざるを得ない言葉で、こわい言葉だけど、それが不思議とこわくないのは、なぜなんだろうと思います。まだ言葉にできない沈黙の部分で、その「こわくなさ」を感じているんだと思うけど、それを言葉にしてとりだすことが今の自分にはできない。うそっぽいこじつけしか浮かんでこないです。