★いちばん長く仕事をしている出版社についての、きついニュースが聞こえてきて、同じ出版社で仕事をしている人に確認してみたら間違いがなく、「こーゆーことはこの先いくらでもあるだろうから、あんまりへこまないようにしよう」と思っていた私も覚悟が甘かったなぁと思うほどへこんでしまい、いやでもそこに勤めている人たちは私なんか比べ物にならないぐらい大変なのだろうし、そんなへこむ資格もあるのかどうか微妙だよなーと思いつつも、なんだか力がまったくわいて来ず、この先どうなるかということよりもその「自分の力がわいて来ない」という状態がかなりこわくて、このままずっと力がわいてこなかったらどうしようと思いながら、ぼんやり晴天の日に公園でビールを飲んだりしてみた(ホームレスになったわけではない)。


 長いことここに住んでいるのに、公園で昼間ビールを飲んだこともなかったなとか、いやもともとひとりでビール飲むことがないし、ふだんその存在を忘れているしって思ったりしつつ、暑さと酔いでのぼせて帰宅すると友達から「矢沢がテレビ出てる」とメールがきたのであわててテレビをつけて、矢沢永吉が話すお金の話の番組を観た。こわくて得体の知れない不安は、矢沢永吉の強烈なかっこ良さに吹き飛ばされた。不安なことよりも「あんなふうになりたい」という気持ちのほうが、その瞬間は強かった。矢沢をかっこいいと思える自分のことまで好きでたまらなくなりそうだった。センスいいじゃんと思った。


 いろんな浮き沈みのしかたがあって、わたしは沈んでいようといなかろうと、自分から積極的にライブや演劇に行ったり音楽を聞いたり話題の新刊を読んだりするタイプではなく、すべてにおいてなまけものなのだけど、それでもふとなにかいいものに無理矢理気持ちを塗り替えられてしまう瞬間があって、沈んでいると今度こそそんな瞬間がもう来ないんじゃないか、落ち込みっぱなしなんじゃないかと思うけど、まさかの矢沢のキュートな発言の数々にしびれたりかわいいと思ったりして思いがけず浮上して『止まらないha〜ha』を歌いながらベッドのシーツからかけぶとんカバーまで大物を洗濯し倒したりして、タオルを投げながら干したりしてしまうのだから、人生わからないものだと思う。「落ち込んでいても、何かしら浮上するきっかけは必ずある」と、信じるのはなかなか難しいんだけど、そろそろあまり根拠のないその説を、実体験に基づいて無条件に信じてもいいのではないか、という気がしている。35億の借金が突然できるようなことに比べたら、自分のことなんてまだ、なんとでもなる。