★わたしは今の世の中でないべつの世界やべつの時代のことをほとんど知らないので比較のしようがないけど、今は、人が死にたくなるのはあたりまえだと感じる。本当の死は受け入れられないときは絶対にあるし、死にたくなるのがあたりまえの世の中をそのまま受け入れる気はなくても、人が死にたくなっている気持ちについては自分のものも他人のものも、今そこにあるものとして受け入れるほかないと思ってるところがある。必要なのはがんばれ死ぬなっていうメッセージじゃないんじゃないか、と思うし、そういうメッセージでも1対1の深い関係であれば効果的に響くこともあるかもしれないけど、1対1の濃密な関係そのものを持たない人間もたくさんいると思う。自殺のニュースが完全に他人事である人は、今どのくらいいるんだろう。死ぬなんていうことを、かるがるしく言うのはいやだけど、ものすごくあやういバランスの上に人が生きていて、そのことが生きている本人にとっても、まわりの人間にとっても、すさまじい恐怖をもたらしている。恐怖に負けるのではなく、恐怖に疲弊する。果てのない恐怖とたたかわなければいけない人生に、疲れない人なんていない。婚活や出産は勝ち組になるための手段なんかじゃなく、サバイバルのための必死の知恵なんじゃないかと思ったりもする。


 生きのびるために、既存の経済にのっかるのか、のっからずに自分でやるのか、いままでの世の中の価値観に沿っていくのか、沿わずにいくのか、自分の基盤がぐらぐらするような決断を迫られているような気持ちになる。信じるべき考えは何なのか考えなくてはならない気がするし、でもあまりにも強硬になにかひとつのものを信じすぎるのも、あやういんじゃないかとも思う。考えなんか無力だという状況に追い込まれる可能性のほうがずっと大きい。でも、気力がなくなればすべておしまいだ。


 なんか、でも、あると思うんだよ、まだいっぱい楽しいことが。負の気持ちの歯車がバチッとすごい勢いで逆回転をはじめるようなことが。って、思っているけどね。