ポット出版の連載『セックスをこじらせて』更新しました(http://www.pot.co.jp/kojirasete/)。もやもやする展開ですがさらにもやもやしてくるのでなにとぞお付き合いください。


★水の危機がおとずれましたね。水どころの騒ぎじゃない地域の人もいて、そちらを軽視しているわけではありませんが、こういう想像だにしなかったことがつぎつぎに起こると「このあと日本は、東京はこうなる」という予想ゲームに興じる気は、さらさらなくなりました。


会社や仕事のために生活を犠牲にするような働き方でない仕事の仕方ができるようになればいい、少しでも多くの人が、自分の安心できる土地に行ければいい、その人の思う「いちばん良い選択」を選ぶのに、大きな障害があったり、失うものがとても大きかったりしない、そういう状況であればいいなと、ただの希望ですが、思ってます。


私自身は、東京が好きなので、東京での暮らしが安心できるものになればいいと思ってます。東京のことしか考えない東京至上主義野郎だからじゃなく、わたしにとって東京は自分の「住む土地」です。故郷に住んだ年数よりも、東京に住んだ年数が多くなる日を心待ちにするくらい、東京が好きで、この土地に愛着もあります。


街が暗い東京。店が早く閉まる東京。人が少ない東京。こんなふうになっていてさえ、私はこんな東京を見ていられることが実は嬉しいです。こうなって嬉しい、ということじゃない。まだ東京にいられて、自分の目で見られることが嬉しいです。


今は「こうしておけば間違いがない」ということが、ほとんどありません。特に家族のいらっしゃる方は、少しの判断にも慎重になるでしょうし、毎日毎日つぎつぎと現われる難問に挑んでいかなければならない。肉体的にも、必要な物資を買いにいろんなところをまわらなくてはいけなかったり、仕事だって今はめちゃくちゃになっていたりします。家族のようなチームの判断と、個人の判断のあいだにはかなり違いがあるなと感じています。


地震のとき、誰かに一緒にいて欲しかった、恋人や夫のいない自分の身をなげいた、という人もいるようですが、私は負け惜しみではなくまったくそう思わなかったし、今もそう思いません。私がおそれるのは、自分の意志ではなく「集団生活をしなければならない状態に陥ること」です。無事にひとりで家にいることなんかまったく怖くありません。


友人や両親が、一緒に暮らしてはいなくても、心は近くにいてくれるので、いざとなれば頼れる人がいてこその自由かもしれません。でも私が今ありがたいと思っていることは、身の安全の次にはこの「自由」です。こんなものは、奪われるときには一瞬で奪われる。


私は自分がもし家族をもっていたらと考えると、パニックになりそうです。家族がいるから心強いこともきっとあるし、助け合うこともできるのに「そうだったらよかったのに」と、今はとりあえず思っていない。


強烈に日常が変わり、もう未婚が負け組とか結婚したら勝ち組とかしょうもないこと言ってる場合じゃなくなって、そういうところはとてもすっきりシンプルになったと思います。自分で選んだ、自分の持っているものの良さを、それを失わずに済んでいることを、私はとてもありがたいと思ってます。


明日カメラを買いにいきます。東京の写真を、しばらく撮ろうと思います。