★いつも雑誌の連載の告知をするのを忘れがちなのですが、現在発売中の『ウォーA組』で、AV女優のまり丸ことまりかさんにインタビューしてます。乱丸でのぶっとびぶりが印象的で取材をお願いしたのですが、すごい努力家の女優さんでした。それにしても乱丸であそこまでアドリブかませるのはすさまじい才能です。


★現在発売中の『SMネット』最新号にもコラムの連載が載ってます。今回は、M男は笑われるのにM女は笑われないのはなぜなのか? という話を書いてます。


★前号の『SMネット』のコラムで書いた内容と少しかぶるんですが、代々木忠さんの本を読んでて、代々木さんの今までの人生の話はすごく面白かったし、人間的な魅力も十分描かれているのに、どうしても最後のあたりのセックスの快楽の話になるとつまづいてしまって読後感はあまり良くありませんでした。


 代々木さんがそういうことをおっしゃってるわけではないのはわかるんですが、読んでるとどうしても「心から解放された深いエクスタシー」を感じるセックス以外はジャンクなセックス、程度が低いって言われてるような気分になるのです。


 そういう解釈自体が非常に貧しい解釈だと言われればそれまでですが、私はずっと、代々木さんに限らずこういったもの言いにひっかかるところがあるんですよね。「こういうセックスは貧しい」とか「こういうセックスが良い」とか、私は人に言われたくない。「女はセックスに精神性を求めてる」とかいうもっともらしい言説ですらうざったいし、アダム徳永とかもうね……。アダムタッチが気持ちいいのはわかりますよ、そりゃ気持ちいいですよあんな触り方すれば。だけどたまには荒々しいのが良かったりするじゃないですか。毎回あんなじっくりやりたいわけじゃなかったりもするじゃないですか。精神性なんて、男だって求める人は求めるし「愛のないセックスは虚しい」と言ってる男もいっぱいいる。女だって精神性なんかいらないからただやりたいっていうときもある。


 私は、誰も聞きたくない話だと思うので言うのがはばかられるんですけど、挿入でエクスタシーを感じたことがありません。惜しいところまできてるのはわかるし、そりゃ感じられるもんなら感じたいですが、年々快感の度合いは深まるばかりで不満はまったくないし、なにがなんでも絶頂に達したいとは思ってません。絶頂できるかどうかよりも大事なことがほかにいろいろありますし。


 昔、このことで付き合っていた男性に「心を開いてないからイケないんじゃないのか」と言われたことがありました。これがもう、これ以上ないほど嫌でした。なんでそんなことを言われなきゃいけないのか。ただでさえ「私がイケないからそのことを不満に思われたらどうしよう」「イッてないから感じてないと思われたらどうしよう。気持ちいいのに。でもイッてるふりとかするのもだましてるみたいで嫌だし」とか思ってるのに、そういうことちゃんと説明したりしてるのに、さらに「心を開いてない」って、そんなきついプレッシャーをかけられなきゃいかんのか。


 よく世の中で「AVの悪影響で潮吹きさせたがる男が増えた」「精神性を重視せず、ハデなプレイをしたがる男が増えた」と、さも悪いことのように言われてますが、私はそんなことよりも「イカないのは心を開いてないから」とかいうふうに、「セックスでは精神性がものすごく重要」っていう言説の及ぼす悪影響によるデメリットのほうを強く感じてます。どんな反応や性生活にも、いちいち精神性を持ち出されちゃたまらないです。潮吹きなんかさせられても別にいいです。爪さえちゃんとしてくれれば。まぁ「挿入でイクのが普通」っていう思い込み自体、AVの悪影響なんでしょうけどね……。


 セックスに精神性が深い関係を持っていることは否定しませんが、なんの影響であっても「これこそが正しい反応だ」「これこそが『いい』セックスなんだ」と、それを根拠に何かを迫ってくるような人が、私は苦手です。代々木さんはそうではないので、この場合は「代々木さんの言葉を変なふうに利用する人」が苦手なんでしょうね。読んでると、どうしてもそういう人のことを思い出して、うーんと思ってしまいました。


 なんの影響であろうと、まるで正しい道が一本しかなくて、そこを進まなくてはならないかのようにふるまう人が、私は苦手です。セックスに限らずですけどね。自分がささやかにでも楽しいとか、気持ちいいとか感じることがあればそれでいい、っていう程度にハードル下げないと、セックスとはこうあるべきっていうことに何重にも縛られすぎて、するのがめちゃくちゃおっくうになるんじゃないかと思います。別にそれでもいいけど……いいけど……ちょっと困るような……。