★震災直後、東京でヒールをはいてひらひらした服を着るのがためらわれたのは、最初は「いつ帰宅難民になるとも知れないから」というのが大きな理由だったけど、1〜2週間後ぐらいの頃には「何かあったときに、逃げ遅れたり足が痛くて歩けなくなったりしても『こんなときにそんなカッコしてるのが悪い! 自己責任だ!』と、着飾ったことが自業自得なのだと言われるのではないか」という恐怖がおもな理由になっていたように思う。急な節電・停電になるかもしれないという話で治安が心配になったというのもあるけど。


 今直面している危機や、被害を受けた人たちのことを考えれば、こんなことは取るに足らないどうでもいいことではあるけど、その妙なプレッシャーがすごく息苦しかったのははっきり覚えてる。着飾れないこと自体がつらいというより、着飾ることを非難されそうな空気がきつかった。学生時代に体育教師とすれ違うときに、無地でなければならないリボンにかすかな地模様が入っていることを見とがめられないかハラハラしたあの感じに似てる。


 でも、自分も実際に余裕のないギリギリの状態になったとき、自分よりもヒラヒラチャラチャラしたカッコした人が「足いたーい。あるけないー」とか言ってたらキッとにらみつけて「お前が悪いんだろ! そんな靴はいて出歩くから!」って思ってしまいそうなんだよ。自分がヒラヒラしたカッコを我慢して、フラットシューズにジーンズとかで非常食まで用意して出歩いてたならなおさらだ。話がウロボロスの輪のごとくグルグルするけど、自分がそういう人間だから、誰からもハッキリ「そんなカッコで何かあっても自己責任だからな!」という言葉を投げつけられたわけではなくても、なんとなーくそういう視線があるんじゃないかとビクビクしたんじゃないだろうか。


 自由とはなんなのかとか、自分の中で正しいことはなんなのかとか考えるより、今はもっと具体的に対処すべきことがいろいろあるんだけど、原発も余震もこの先どうなるかわかんないから、いつでもまたあの震災直後の雰囲気が戻ってくるかもしれないから、そういうときにブレブレに揺れすぎないための心構えをしておきたいとか、どんなときでも自分らしくいるというのはどういうことなのかとか、そういうことをつい考えてしまうのかもしれない。よね。こんなのは、正気を失うほどの被害を受けなかった人間のたわごとだけど。