健全な性欲

 自分の性欲について、マイナスのイメージはない。オナニーして罪悪感を感じたことなんてないし、虚しいとも思わない。いやうそたまに思うけど、それは私がセックスしたいのにできなくて代わりにオナニーをしてるから思うだけで、嫌悪感はまったくない。


 マイナスのイメージはないのに、自分の性欲のことをちゃんと考えようとすると、あまりにもそれがドロドロに煮詰まっていて、苦痛だったりする。


 性欲が満たされたことが、まったくないわけではないけれど、満たされてもそれは一瞬のことでまたすぐに飢えた状態がやってくる。食べても食べても毎日ご飯を食べないとお腹がすくみたいに、おいしいものをお腹いっぱい食べても次の日になればまたお腹がすいている。食べ物ならいい。いつでもどこでも調達できるし、そんなにお金もかからないし、おいしいものを食べるにも、自分で工夫したりどうにでもなる。


 セックスはそういうわけにいかない。そこに至るまでにいろいろやりとりがあったり、危険があったりして、そういうことを乗り越えてもなお「なんか違う」とか「あんま合わない」とか、そういうのがあったりする。「とりあえず空腹は満たされた」っていう状態はあるけど、「興奮はしたけど、あんま気持ち良くなかったな」っていうこともある。その後の関係がめんどくさくなることもある。自己完結できない。


 やりたいときにやれたらいいのにって、もう何十年も思ってる気がする。相手を選ぶからいけないのか、と思って、会ったこともない人とそういう約束をしてみたことがあった。どんな人が来てもえり好みせずにやってみようと思って覚悟を決めた。相手を選ばないで誰とでもやれたら全部解決するような気がしたから、一度乗り越えてみればいいと思った。危ない人ではなさそうだったけど不安もあった。会ってみたら全然好みじゃないけどまぁ大丈夫そうな感じで、異常に興奮したし気持ち良かった。憧れていたことをいろいろしてもらった。終わったあと駅に向かって歩く途中で吐き気がした。積極的に受け入れたい人でない場合、キスやフェラチオが自分はだめなのだとよくわかった。家に帰って吐こうとしたけど何も出てこなかった。粘膜で絡み合っても溶け合うみたいにならずに、異物感があるなんていうことがあるんだと知った。


 興奮ってややこしいもので、私は男に対して「これをしろ」とか「これをするな」とか、きっぱり意志を示すようなセックスに興奮できない。自分のほうが強い立場になるとだめなのだ。でも本当はいやなことはいやだし、最低限の危険は避けたいと思ってる。終わったあとでえらそうにされるのも嫌だけど、機嫌を損ねたらもう燃えてくんないだろうなーと思ってついつい相手の好みに合うようにがんばってしまう自分も嫌だ。嫌だけど、そういうふうにしない限り自分の興奮するセックスってなかなかできない。


 考えると、すごくイライラして泣きそうになる。そういう細かいことを気にせず奔放に楽しめる人がうらやましくて、妬ましくて、憎悪すら感じる。もう病気とかうつされて死んでもいいからめちゃくちゃやって満足したいと思うことがある。そんなふうに生きていけるなら40ぐらいで死んでいい。できないなら今死んでもいい。こんな嫉妬と憎悪とともに生きるあと数十年なんて想像しただけでぞっとする。


 なんで楽しめないんだろうとたまに思う。いや、楽しんでることももちろんあるけど、空腹感が強いときにおいしい店を探すのが苦痛でなんでもいいから早く食べたいと思うように、セックスに至るまでの駆け引きとか、好みの人を探したり口説いたりする作業が苦痛に思えるときがある。自分好みのセックスを満たされるだけいっぱいしたいというのは、毎日寿司だけ、しかもおいしいお寿司だけ食べていたいって思うくらい、すごいワガママで実現が難しいことなんだろうか。毎日好きなだけ、なんていうのはお抱えの料理人を自宅に雇うぐらいのかんじなのかな。


 AVで他人のセックス見てるといまだにうらやましくて苦痛なときがある。まだそんなこと思ってるのかって自分でも呆然とする。あんま気持ち良くなさそうだったらそんなに苦痛じゃないけど、こういう女とやれて興奮したんだろうなとか、この男の人のセックス超好みとか思うと、どうしたらいいのかわからなくなる。こんな人生生きてて価値あんのかなと思ってしまう。価値は自分でつくりだすもの。そうなんだけど、それなりに頑張って努力もして手に入れても一瞬で消えて、頑張り続けなければどうしようもないっていうことに、ちょっと疲れた気持ちになってしまう。


 性欲自体に悪いイメージはないのに、性欲のことをちゃんと考えようとすると、それに付随するドロドロした感情がこみあげてきて、普通に楽しみを探すような前向きな気持ちになるのが難しい。なれるときもあるんだけど、プライドや劣等感や不安やらがぐつぐつに煮込まれた渦の中にとぷっと落ちてしまいそうなときもある。


 どんな不満があっても、自分の性格のめんどくささとかいろいろなハンディがあっても、自由になりたければ自由を求めるしかないし、求めなければ手に入らない、ということを考えると、ちょうど今ごろの晴れた朝の空みたいな気持ちになったりもするけれど。