イケメンAV男優サイン会

★今発売中の『てぃんくる』の巻頭特集の取材をしております。女性向けAVメーカー・シルクラボさんの作品に出演しているイケメンAV男優、一徹さん、月野帯人さん、ムーミンさん(シルクラボでは出演しているAV男優さんのことをエロメンと呼んでいるのですが、この三人のことを『元祖エロメン三銃士』と呼ぶそうです……!)のコメント記事をまとめております。


WEB上で今すぐ読めます! こちらです→http://www.tinkle.co.jp/kanto/456/main.html


 本日10日、秋葉原にてこのエロメン三銃士のみなさんのイベントがあると聞き、行ってきたのですが、これがなんというか予想以上にすごくて頭はクラクラ、喉はカラカラ(暑かったですからね)……いや本当にカルチャーショックを受けました。


 今回のイベントは、トーク中心ではなくサイン会が中心で、ファンの皆さん一人一人とのふれあいを大事にしたもの。まず月野さんが本日「旅行好きでインドに行ったら、胃腸炎になってしまったので……」という理由で欠席。月野さん目当てで来ていた方には日を改めてサイン会を開催する旨アナウンスがあり、終演間際には会場の全員で月野さんのために三秒間の黙祷がささげられました。い、生きてますよー!


 キャー! という歓声を浴びながら一徹さん、ムーミンさんが登場すると、そこからは怒濤のサインタイム。一人ずつとしっかり話しながら全員にサインし、そのあとはお二人と一緒にチェキを撮ってもらえるタイム。最初は遠慮がちだったファンの方から、だんだん大胆ポーズ(二人で挟んで抱っこして! とか)のリクエストが出るたび、キャー! と萌えの悲鳴が。


 トーク中に「何かして欲しいことありますか?」と聞かれると、客席から「脱いで!」と声が上がり「見せて! 見せて!(手拍子つき)」と見せてコールが巻き起こりました。恥ずかしがりつつ二人が脱ぎかけると「乳首見せてー!」、脱ぎ後は「乳首カワイイ!」……。なんか、今、新しい歴史が始まる音が聞こえた気がするっ……!


 こうやって文字に起こすと、なんかとんでもない下品な会みたいですが、そうではなくて、実際に来ていたのはみなさん本当にオシャレして来ている、品もあれば恥じらいもあるヤングから妙齢の女性のみなさんなんです。スターやアイドルにキャッキャするノリで、そういう要求が笑って楽しく受け入れられる場所だからこういう感じになっているんですね。女性限定のイベントだから言えるというのもあると思います。それでも下品とか思う人もいるかもしれませんけども、ちょっと考えてみてください。男には「おっぱい」っていう言葉がないんですよ。「おっぱい見せて!」とは言えないわけで、それはもう、乳首以上にソフトな表現がないんですから、乳首見せてって言うしかないじゃないですか……。いや別に言わなきゃいけないわけじゃないですけど、見たい場合は、ねぇ。「ちょっと前かがみで、谷間強調でお願いしまーっす!」って言ってるのと同じですよ! たぶん……。


 しかし、今回本当にビックリしたのは、一徹さんのプリンスぶりです。これ、もう女がイケメンAVイベントに行ってる時点で何を言っても言い訳にしか取られないのがアレなんですけど、私、若くてピチピチのイケメンって本当になんか遠い存在すぎてあまり異性としてはピンと来なくて、素敵な人たちだな〜とは思うものの、男優としては田淵さんとか笹木さんみたいなねっとり責め系とか、黒田さんや森さんみたいな激しいその、パワーセックス系とかがその、すごい好きなんですけど(今自分でも正直に心情を吐露しすぎて汗だくになりました)、今回、一徹さんの人気の理由がはっきりわかりました。


 ファンの中から一人、ハグしてもらう権利が当たる抽選があったのですが、ファンの女性が出てくると、ハグどころか何の躊躇も照れもなく、その場に誰もいないかのような勢いでガバッと抱きしめ、ギューッと抱いて離さないんですよ。そんでハグタイムが終了すると、その……こんな言葉キーボードで打つの初めてなんですけど、あの、笑い飯のネタの……いやごめんやっぱ書けない、一徹さんの小てっちゃんのポジションを、直しに行かれたのですよ。ち、ちいさくは、ないですけどね……。これほど、この場で求められていることを完璧に掴んだ表現がほかにあるか!? と驚愕しました。ガチで勃……いやなんでもないです。ガチならなおさらすごいですし! 抱きしめられてた人の報告を待ちたいところです。


 あんまり詳しい話は、のちほどもしかしたらどこかでレポート書くかもしれないので控えておきますが、今回のイベントで、異性としてとかではなく一徹さんのアイドルぶり、プロフェッショナルぶりにすごい尊敬の念を抱いてしまい、異性としてとかじゃなくスゴイな〜と思ったのちに、なんかすごいかっこいい! 尊敬できる→やだなんか見てたらドキドキする→それって思いっきり異性として意識してんじゃ……という少女マンガの連載初期みたいな化学反応が心の中で起こっておりました。言っておくけど性欲の言い訳のために尊敬とか言ってるわけじゃないですからね! このブログを読んでるような腐れサブカル男子のみなさんも、ももクロとヤリたいから好きになったわけじゃないですよね!? 芸とか歌とかアイドルとしての芯が通った感じとかに尊敬の念を抱いたり、すっげーかわいいとかピュアに思ったのちに「万が一『抱いて!』って言われたら、オレどうなっちゃうんだろう……」ってモワーンとしたよこしまな気持ちを抱くこともあったりするわけですよね?(違ってたら濡れ衣ごめんなさい)。


 女がジャニーズとか韓流スターにキャーキャー言ってると「どうせ女はイケメンが好きなんだろ!」とか言われますけど、それだって別に性欲とか恋愛100%じゃぜんぜんないと思うんです。そりゃ「抱きたい」って言われたら喜んで抱かれると思うけど、それが目的で追いかけてるわけじゃない。抱いてもらえない場合がほとんどなのに、それだけを目的に追いかけたらつらい気持ちも出てくるし、逆恨みみたいに思ったりもしそうだし、きっと無邪気に楽しむことはできないんじゃないかと思うんです。エロメンはセックスしてるのを見るところから始まってるわけで、性欲全開になっても当然だと思うんですが、なんかそれだけではない「楽しみ」をみなさん感じていらっしゃるように思えました。本番できなくても谷間見えただけで喜べるっていうか、好みの美人が近くにいるだけでウキウキするっていうか、なんかうまい例えが思いつかないですけども、やっぱり萌えてる感じに近いですかね。


 ちなみにムーミンさんですが、一徹さんの王子キャラとは対照的に、素でシャイな部分が隠しきれず、その初々しさにみなさん「カワイイ!」と萌えてらっしゃって、なんてうまいパワーバランスなんだ! と感心しました。この日欠席だった月野さんはどういう人かというと「天然」なんですよね。えらいうまい構成になってますな。


 そんなシルクラボさんのサイトはこちらです→http://www.silklabo.com/

健全な性欲

 自分の性欲について、マイナスのイメージはない。オナニーして罪悪感を感じたことなんてないし、虚しいとも思わない。いやうそたまに思うけど、それは私がセックスしたいのにできなくて代わりにオナニーをしてるから思うだけで、嫌悪感はまったくない。


 マイナスのイメージはないのに、自分の性欲のことをちゃんと考えようとすると、あまりにもそれがドロドロに煮詰まっていて、苦痛だったりする。


 性欲が満たされたことが、まったくないわけではないけれど、満たされてもそれは一瞬のことでまたすぐに飢えた状態がやってくる。食べても食べても毎日ご飯を食べないとお腹がすくみたいに、おいしいものをお腹いっぱい食べても次の日になればまたお腹がすいている。食べ物ならいい。いつでもどこでも調達できるし、そんなにお金もかからないし、おいしいものを食べるにも、自分で工夫したりどうにでもなる。


 セックスはそういうわけにいかない。そこに至るまでにいろいろやりとりがあったり、危険があったりして、そういうことを乗り越えてもなお「なんか違う」とか「あんま合わない」とか、そういうのがあったりする。「とりあえず空腹は満たされた」っていう状態はあるけど、「興奮はしたけど、あんま気持ち良くなかったな」っていうこともある。その後の関係がめんどくさくなることもある。自己完結できない。


 やりたいときにやれたらいいのにって、もう何十年も思ってる気がする。相手を選ぶからいけないのか、と思って、会ったこともない人とそういう約束をしてみたことがあった。どんな人が来てもえり好みせずにやってみようと思って覚悟を決めた。相手を選ばないで誰とでもやれたら全部解決するような気がしたから、一度乗り越えてみればいいと思った。危ない人ではなさそうだったけど不安もあった。会ってみたら全然好みじゃないけどまぁ大丈夫そうな感じで、異常に興奮したし気持ち良かった。憧れていたことをいろいろしてもらった。終わったあと駅に向かって歩く途中で吐き気がした。積極的に受け入れたい人でない場合、キスやフェラチオが自分はだめなのだとよくわかった。家に帰って吐こうとしたけど何も出てこなかった。粘膜で絡み合っても溶け合うみたいにならずに、異物感があるなんていうことがあるんだと知った。


 興奮ってややこしいもので、私は男に対して「これをしろ」とか「これをするな」とか、きっぱり意志を示すようなセックスに興奮できない。自分のほうが強い立場になるとだめなのだ。でも本当はいやなことはいやだし、最低限の危険は避けたいと思ってる。終わったあとでえらそうにされるのも嫌だけど、機嫌を損ねたらもう燃えてくんないだろうなーと思ってついつい相手の好みに合うようにがんばってしまう自分も嫌だ。嫌だけど、そういうふうにしない限り自分の興奮するセックスってなかなかできない。


 考えると、すごくイライラして泣きそうになる。そういう細かいことを気にせず奔放に楽しめる人がうらやましくて、妬ましくて、憎悪すら感じる。もう病気とかうつされて死んでもいいからめちゃくちゃやって満足したいと思うことがある。そんなふうに生きていけるなら40ぐらいで死んでいい。できないなら今死んでもいい。こんな嫉妬と憎悪とともに生きるあと数十年なんて想像しただけでぞっとする。


 なんで楽しめないんだろうとたまに思う。いや、楽しんでることももちろんあるけど、空腹感が強いときにおいしい店を探すのが苦痛でなんでもいいから早く食べたいと思うように、セックスに至るまでの駆け引きとか、好みの人を探したり口説いたりする作業が苦痛に思えるときがある。自分好みのセックスを満たされるだけいっぱいしたいというのは、毎日寿司だけ、しかもおいしいお寿司だけ食べていたいって思うくらい、すごいワガママで実現が難しいことなんだろうか。毎日好きなだけ、なんていうのはお抱えの料理人を自宅に雇うぐらいのかんじなのかな。


 AVで他人のセックス見てるといまだにうらやましくて苦痛なときがある。まだそんなこと思ってるのかって自分でも呆然とする。あんま気持ち良くなさそうだったらそんなに苦痛じゃないけど、こういう女とやれて興奮したんだろうなとか、この男の人のセックス超好みとか思うと、どうしたらいいのかわからなくなる。こんな人生生きてて価値あんのかなと思ってしまう。価値は自分でつくりだすもの。そうなんだけど、それなりに頑張って努力もして手に入れても一瞬で消えて、頑張り続けなければどうしようもないっていうことに、ちょっと疲れた気持ちになってしまう。


 性欲自体に悪いイメージはないのに、性欲のことをちゃんと考えようとすると、それに付随するドロドロした感情がこみあげてきて、普通に楽しみを探すような前向きな気持ちになるのが難しい。なれるときもあるんだけど、プライドや劣等感や不安やらがぐつぐつに煮込まれた渦の中にとぷっと落ちてしまいそうなときもある。


 どんな不満があっても、自分の性格のめんどくささとかいろいろなハンディがあっても、自由になりたければ自由を求めるしかないし、求めなければ手に入らない、ということを考えると、ちょうど今ごろの晴れた朝の空みたいな気持ちになったりもするけれど。

★メンズナウの連載『AV監督への33の質問』、ビーバップ・みのる監督後編がアップされました。

http://www.mens-now.jp/column/pref/d/201109/w/amamiya/p/1/


きみはペット』状態で家賃を払わない生活をしていたみのる監督が語る「ペットとしての心得」とは……!? 同棲・結婚するかもという方も必読!(と、心から思うようなことをおっしゃってました)
「女に幻想がなかった」「今までバカにしてた感動系の番組や映画の良さに気づいた」など、監督としての心境の変化が、お話うかがっていて面白かったです。


★むかし『ビジスタニュース』で書いた原稿が、ビジスタニュースのブログに再掲されました。

http://bisista.blogto.jp/archives/1504977.html


2007年3月。いったいなにを書いたんだと思ったら、ドラマ『華麗なる一族』の北大路欣也の乳首についてアツく語ってました。何を言ってるんだ、自分……。『華麗なる一族』は、ドラマにハマりすぎて原作も読んだんですが、北大路欣也の愛人(鈴木京香が演じている)が、3Pの翌日にエステに行く描写があり、3Pはやっぱ心身疲れるんだよ! みたいなことが書いてあっておののきました。

なぜかこの頃から今まで、好きになったドラマはリアルタイムで観るという習慣がありますねー。集中度が録画だと変わってくる気がします。古い人間っぽい発言だな。

岡崎京子の未刊の長編を読んであまりにすごい内容に衝撃を受ける夢を見て目覚め、今日も自分が出来損ないのサブカルガールであることに絶望した。しかもマンガの内容覚えてない。このっ……役立たず!(ポカポカと自分の頭を殴るマンガ的表現を思い浮かべてください)

★今年の夏のいちばんの思い出は『まんが道』(藤子不二雄A先生)を読んだことですね。いまどきのドラマチックなマンガや、内面のややこしい部分を描くマンガに慣れていると、すごくシンプルで淡々とした表現に感じるのですが、印象的なエピソードをこれだけ絞り込んで描けるのがまず、ものすごいです。マンガに関わるエピソードと、田舎の少年が成長していく日常のエピソードが、わかりやすく、くどくなく、楽しんで読めて大事な部分は省略しないバランスで描かれていて感嘆しました。


号泣するようなデカい名場面に向かって物語が進んでいくようなタイプの話ではないのに、じわじわくるものがあって心からしびれます。満賀道雄才野茂に対する嫉妬や劣等感は読んでてとても身近に感じられるし、それ以上に満賀道雄から見た才野茂がいかにすごい人であるかも感じます。そして、満賀道雄才野茂のことを、どれだけ好きかなのか深く感じます。はっきり「好きだ」なんて描かれてないのに、ずっと「好きだ」という体温が伝わってくる感じで、読み終えて本を閉じたあとでしみじみと泣けてきます。


1巻を読み始めたときから、少年がひたむきな気持ちでマンガを描いてるだけでもうたまらないものがあります。高校野球見て「こんな若い子らが一生懸命この日のために毎日練習してきたんだなー」とジーンとくる人は多いと思いますが、まさにそんな感じです。しかも私たちが見ている「高校球児」はあの「藤子不二雄先生」なんですから、もうジーンとくるなんていうレベルのもんじゃないです。


私はマンガをだいたい現実逃避の手段として読んでいることが多いのですが、この『まんが道』だけは、読んでいると「こんなにすごい藤子不二雄両先生が、自分の何万倍も初心を忘れずに努力しているのに、私はなんなんだ!」と落雷にうたれたような気持ちになり、一度投げ出した仕事に着手してやりとげるという奇跡の健全なループが起こりました。仕事が進むマンガです。


ライフハックとか、世の中をうまく渡っていこうとか、そういうことではない地道な努力が、今読むととても新鮮に感じます。周りにどんな天才がいても、筆の速い人がいても、表面で真似するんじゃなく、ただ自分たちのできる最大限の努力をしている。自分に欠けているものをひたすら数えるようなことはせず、仲間とはげましあってがんばっていく。


ふたりの謙虚な姿勢を見ていると「非モテ」とか「非リア」とかっていう言葉を使う自分が、ひどく傲慢で浅はかな人間に思えてきて反省しました。自分がそういうことを言う気持ちの中には、どこか「人並みにモテて、人並みに充実した人生を自分だって送れるはずだ。なのに、なぜそうならないんだ!」という不満があったんじゃないか、だとしたらそれは傲慢な考えじゃないのかと。四畳半の下宿に引っ越して「広い!」と大喜びするふたりを見ていると、いくつか欠けたものがあるからなんなんだ、という気持ちになってきます。


長年忘れていた初心というものを強烈に思い出し、枯れ果てていたやる気がこんこんと泉のようにわき出してくる、仕事をするには最強のマンガでした。ちょっと何回か読み直して心に刻み付けてきます。

NHKの『未解決事件』のシリーズ面白すぎる! 昭和っぽい男たちの再現ドラマがセクシーすぎる! と再放送で二度目の視聴をしているのですが、昭和っぽさがセクシーというのとは別に、ミステリー特有の色気というのがあるような気がしています。私はミステリー小説の名探偵につねに欲情していて、抱いて! と思いながら読んでますが、あれってなんなんでしょうね。『未解決事件』の事件を追う男たちは、名探偵とは違うけど、なんかたまらないんですよね。かっこいい人たちが演じているからという身もフタもない理由かもしれないですけど。