みそじの楽しみ

★『セックスをこじらせて』というポット出版の連載で「女をこじらせて」とかいう読んだだけでゲンの悪さがうつって婚期が遠のきそうなサブタイトルの文章をながながと書き散らかしている私・雨宮まみ・33歳(ことしで34歳)ですが、こじらせてる部分も多々あれど、さいきんは「三十路、思ってたよりぜんぜんいいじゃん!」教に入信しております。


 いや、昔は思ってたんですよ、「なんだかんだ言っても、30過ぎるといろいろキツいんだろうな〜」とか。女性誌のインタビューでステキな三十路ライフを語る女性を見ては「……こんなに必死でステキさを自己演出せないかんほど、三十路ってキツいんだろうか」と逆にへこんだりしたくらい「みそじ楽しい」ってことに疑問ありありっていうか、疑心暗鬼っていうか。みそじが怖いあまりに27歳の誕生日を迎えたときから「もうだいたいみそじみたいなもんだから、今日からみそじとして生きる覚悟を決めよう」と思って、実際に30歳を迎えたときは「え? まだ30歳?」と拍子抜けしたくらいで。


 なんでそんなにみそじが怖かったのかというと、周りの男性・女性がみそじの女性のことを「あの人、30過ぎてあんな生活して何考えてんのかねー」「もう売れ残ってることに気づいてないのかねー」「ぶっちゃけキツいよね」みたいな、心ない言葉でおとしめていたからというのが、かなり大きな要素だったように思えます。仕事で大きな成果をあげている人や、十分に美しい人に対してもそういう言葉は容赦なく浴びせられていて「どんなに仕事も美容もがんばっても、実年齢が30過ぎたらこういうこと言われるんだ……」とおそれおののきました。


 そうなんだけど、実際に30過ぎて数年経ってみると、キツいどころか逆に楽しかったりして、あの20代後半のびびりぶりは何だったんだ!? という気がしてきました。


 まず、見た目の老化や劣化に関して言うと、30過ぎると確かにじわじわお肉がついてきます。私、いったん7キロ増になりました。それも一気に増えたわけじゃなくて1年2キロぐらいじわじわ増えて、フランス旅行でバター食いまくって帰国した直後がマックス体重になり、そこからダイエットで5キロ落としたという経験あり。でも落とそうと思えばそこまで大変なことしなくても落ちるので、太るのがイヤな人は地道に注意してれば7キロ増とかいう悲劇にはならないと思います。


 もっとも気になるのは、お肌! だと思いますが、これも私は若い頃がにきびで一番肌が汚かったので、むしろ今は肌の状態が安定しててラクです。毛穴とかもにきびひどかったときのほうがずっとひどかった。血眼になってにきびを治すべく高い化粧品をライン買いしていた頃を思えば、こんなにラクなことない。化粧品もそうやって若い頃に買いあさったおかげで「ライン買いしたからって劇的な効果はない」「高い美容液ほど効くというものではなく、高くても効くものと効かないものがある」「結局は自分に合うかどうか」みたいなことが身にしみてわかって、それなりに「これはいい」っていうものも発見したから、基本のお気に入りを知った上で気楽に新製品を試したりできるようになったし。


 自分では毎日見てる顔だから気づかないけど、周りから見たらそりゃ20代のころに比べたら劣化してるかもしれん。しかし! なぜそれがそんなに気にならないかというと、これがもっとも言いたかったことなんだけど30代になるとまじで「身体に脂がのってくる」から!


 具体的に「脂がのってくる」って、どういうことなのかよくわかってなかったし「要するに太るってことでしょ?」と思ってたんだけど、違うんだよね。こう、お肉がやわらかくなってきて、ダイエットしても身体のラインが丸みを帯びてくる。触り心地がふにふにして気持ちよくなる。こーゆーのって「ハリのある若い肌最高!」っていう人には受け入れられないかもしれないし「何が何でもスレンダーじゃなきゃイヤ!」っていう人にもきびしい現実かもしれないけど、そういう方たちにはジムなりエステなりでがんばっていただくとして、私はこの状態を満喫してます。


 熟女系エロ雑誌でお仕事してるから、熟女の状態を好意的に受け入れられてる部分もあるのかも。けど、田辺聖子も書いてるとおり、20代のころは自分のからだがいいって思うと、今すぐにでも男に見せなきゃ、早く早く! って焦ってたのが、30代になると自己充足して自分のからだいいな〜ってしみじみ思えるっていう(かなり要約。『苺をつぶしながら』の冒頭だったと思います)ナルシスト的な自己満足がひたひたと忍び寄ってきて、あんまり太りすぎるのはいやだけど(今まで買いあさった服が入らなくなるから!)、今までの人生でいちばん自分のからだが気に入ってる状態になってる気がします。昔はすっごく、呪いたいくらい嫌いだったし、太い脚も広い肩幅もひらべったい胸も、街で見かけるキレイな女の子と比較しては自分を傷つけたくなるくらい切実に嫌だった。今もキレイな人を見ると「こんな脚出してごめん……」って気持ちになることはあるけど、ささやかな公害だから許してくれっていうずうずうしさも出てきたし、なんか「常にマニキュアとか塗って、常にメイクも完璧で、かならずヒールはいて下着も勝負下着じゃないと女失格!」みたいな、女度に対する勝手な激しい思い込みもほどよく緩和されて「今日は気分じゃないからアイメイクはなしでいいや」「いっぱい歩くからヒールはいいや」「つめ傷んでるからマニキュアお休みにしとこう」とか適当イズムも出てきたし、それより健康で元気で楽しいことやってるのがいちばんだよね〜みたいなお気楽極楽思想が身についてきてしまいました。


 あと、なにより予想以上に楽しいのが、女友達との交流ね! 昔も楽しかったけど、距離感間違えたり気をつかいすぎたりつかわせすぎたりしてたのがほどよくこなれてきて、こなれてきた同士で飲んだりしゃべったりするのがすごくすごく楽しすぎる。男しか見てなかった20代には、こんなに女が好きになるとは思ってなかった。「いろいろたいへんだったよねー。今も! たいへんだよねー」っていう連帯感みたいなのがあって、30過ぎて楽しい顔して生きてるだけであんたえらいよ! みたいな尊敬の念がお互いにめばえてくるというか……。そんなにハードなんか、30過ぎまで生き抜くのって! と思うけど、そりゃいろいろあるよねぇ。あったよねぇ。まだまだあるよねぇ!(現在進行形) 女同士でパーッとしなきゃやってられんっつーの! というやさぐれ気分もあるかもしれんが、女同士でもステキな女や気が合う女と飲んだりごはん食べたりするの、楽しいんですよ。自分好みの女を指名している一対一のキャバクラみたいなぜいたくな気分になったりするんですよ。


 べつにすごく美しい話にするつもりはないし、たまには嫉妬したり、対抗意識を持ったりもするし、好きな男の人が若くてすっごいキレイな女の子が好きだったらどうしようとか思うと絶望的な気持ちになることもあるし、ほうれい線を必死でマッサージしてなんとかしようとしたりすることもあるけど、若い男女ってこの年齢になって見るとみんなつるっとしてて、おなじ生き物じゃないみたいに見えることがあって、そこまで嫉妬したり若返りたいって思わなかったりする。話すと共感できること多いんだけどね。若いひとがみそじを見る気持ちも「全然つるっとしてないし肉もぷよぷよしてて、別の生き物みたい」っていう感覚だったのかな? と思う。そりゃ、こわいよね、別の生き物になっちゃうのは。


 こういう「若さを失った負け惜しみ」にしか聞こえなかったことを自分が言い出すとは思わなかったけど、実際みそじに自分がなってみると「あの人みそじなのにこれからどうするつもりなのかしら……ヒソヒソ……いきおくれっていうかもう結婚とかムリなんじゃないの?」的な意見って直接言われることないから聞く機会もなくてどんどんずうずうしくのさばっていくようになるのですよね。そして「みそじサイコー!」とか言い出すという一例として受け止めていただければと思います。でも余命を数えるような年齢になると、ちょっとくらい「あの女イタイ」とかヒソヒソされるくらいのこと、ある程度どうでもよくなりますよ。でも、でも……まだモテたいとか思うけど……。あきらめが悪いような気もしますけどがんばって生きていこうと思います。