世界でいちばんしびれる女

私はその昔、夢野まりあという女優さんが妙に好きで、彼女に取材させてもらえることになったときはとても喜んだ。ちょっとアメリカンポルノみたいな感じの、人気のある女優さんだった。私が彼女に取材できたのは、彼女が人気の全盛期を過ぎて、少し年齢を重ねてきてからのことだった。


夢野まりあは取材に遅刻してきた。遅刻するところも「すみませ〜ん!」と言いながら駆け込んでくる姿も、心からいいなぁって感じで、私は全然いやな気分になんかならなかった。


「ちょっとごめんなさい、写真撮るんですよね? メイクしてもいいですか?」と言って彼女は化粧ポーチを3、4つバッグの中から取り出した。「もちろんいいですよ、どうぞ」と言うと、彼女はなんとマニキュアから塗り始めた。マニキュアが乾くあいだに、爪に当たらないよう器用にメイク道具を駆使して、ファンデーション、チーク、アイライン、アイシャドウ、マスカラを塗っていった。時間はさほどかからなかったと思う。


ポーチから出てくる化粧品は、ディオール、シャネル、ゲラン、エスティローダー、どれもブランドものの、パッケージからゴージャスなものばかりで、寝不足で疲れているらしい彼女の顔がそれらの化粧品で一気に輝きを増していく様子は本当に女優っぽくて、少し疲れていることすら魅力的だった。でも、最高にしびれたのはそのあとだった。


ブランドもののポーチの中から、白っぽいパールのマニキュアを施した彼女の指が、使い古されてロゴがかすれた細いマッキーのペンを取り出した。そして長い爪でキャップを開けると、鏡を見ながら唇のななめ下にマッキーを軽く押し付け、ほくろを描いた。


唇の下の色っぽいほくろは夢野まりあのトレードマークだった。それがマッキーで描かれたものだったなんて、一度も思ったことがなかった。


マッキーのキャップを閉めた夢野まりあは「じゃあ始めましょうか」とにっこり笑って、サービス精神旺盛に、若い男の子の編集者のヒザにまたがってくれたりしながら軽やかにトークしてくれた。そこにいるのはビデオの中で見る夢野まりあそのもので、いつも通りに最高で、いつも通りに夢野まりあだった。


彼女がきらびやかな光にあふれた化粧ポーチから、ボロボロのマッキーをまるで魔法の杖のように取り出して変身する姿を思い出すと、いつでもたまらない気持ちになる。この世界には最高の女たちがいて、ボロボロのマッキーみたいなもので魔法を使って魅了してくれる。そう思うとどんなことでも、できそうな気分になってくる。この先に最高の瞬間がいくらでも待っていそうな気がしてくる。


だけど、最高にしびれる女は、私にとって夢野まりあかもしれないなとときどき思う。