今“こじらせ系女子”がアツい!

「こういうタイトルつけときゃはてブ稼げるんだろ!? ああん?」と言わんばかりのタイトルで始めてみましたが、こんなブログをお読みのこじらせガールのみなさんに朗報です。朗報と言い切るのもお恥ずかしいですが、私がひっそりしつこく長文を垂れ流していたポット出版のサイトの連載『セックスをこじらせて』が、単行本になります。まさか、こじらせパワーで本まで出すことになるとは……今わたしもしかしてこじらせガールの中でも重症具合がトップクラスに入るんじゃなかろうか……。


そして単行本には、九州長女系こじらせガールとして私と存分にタイマン張れる、久保ミツロウ先生との対談が収録されます。お互いにお互いのこじらせっぷりを慰め励まし分析し合って幸せになれる道を探るつもりが樹海の奥深くに分け入ってしまったみたいな超ゆかいな対談です。「九州長女系は根が深いから、そんなに簡単にこじらせが治療できない」という、私がこのしょぼい生涯を賭けて否定したい説を……より強力に証明してしまったような気が……。発売は12月予定ですのでみなさん、どうかお小遣い握りしめて待っててください!


『セックスをこじらせて』をきっかけに、さまざまなこじらせガールたちとお酒をのんでは語り合い、自分を含めこじらせ女子とはなんなのかを考えてきましたが、こじらせの根本的な原因は見た目では絶対にないんですよね。むしろ、一般的にはじゅうぶん普通の範疇に入る見た目でも、必要以上に気にして自虐に走るその心意気……いや心意気っていうか……。何か決定的に社会性がないとか、生活力がないとか、人間としてものすごくダメっていう部分がある場合は少なくて、むしろしっかりしていて信頼できる人が多くて、本人が悩んで「問題だ」と捉えている部分は、おもにコミュニケーション能力とか男を惑わす能力とか、女子力とか性的魅力とかそういうことばかり。まさしく「こじらせてる」としか言いようがないんですよね。


こじらせガールの特徴としては、小ずるい女子テクニックを嫌っていたり(江古田ちゃんで言う「猛禽」みたいなテクですね)、嫌ってはいなくてもそれを駆使するのに異常に照れがあってまともにやれないとかいうことがあります。いきなり告白する勇気はあるのに、さりげなく飲んでるときに膝にタッチするとかそういう、思わせぶりなことに対するハードルが高い。そして「真剣に純粋に思う気持ちが大切」みたいな。純愛信仰がけっこう、ある気がする。こじらせガールを三十年以上やってきた身としての重責を感じてるかた言うけど、何百日、何年間純粋に思い続けようと、態度に示さなきゃ伝わらないし、相手に自分を「好きにならせる努力」をしないで、「思いが伝われば受け入れてくれるかも」って思うなんて、甘いですよ! あーすっごい自分の言葉が茨のムチのように痛い……。私もこういうことに気づいたのほんと最近だからね! もうかなり遅いからね! でも、気づくまでは『失恋ショコラティエ』では薫子派で薫子を応援してたけど、気づいてからは「薫子って何にもしてなくない? 真剣に好きなのかもしれないけど、デートにすら誘わないで自分の気持ちに気づいてもらおうとか、好きになってもらおうとかムシが良すぎない!?」という気持ちになってしまい、薫子派から爽太派にランクアップ(?)しました。爽太は努力しててえらいよね。


話をこじらせに戻すと、面白いのは、こじらせ系女子は他のこじらせ系女子と会った場合「うわーこの人、こじらせて大変そう!」ってお互い思うということです。「私よりこの人のほうが大変そう。私のこじらせって、この人に比べたらまだ全然軽症かも」って思うの! そう思ったことあるあなた! おめー十分重症だかんな! 油断するなよと言いたい。こないだも私、こじらせまくっている超重度のサブカル男子に「こじらせたかわいそうな人」として見下した態度を取られて「えっ、わたしこいつよりは100倍マシなリア充人生を送ってるのに……なんで?」とポカーンとしましたが、これはあれですね、「こじらせ版鏡の法則」っていうヤツですね。他人を見て「こいつこじらせてんなー」「私はこいつに比べてマシ」と思ったら、自分はその人と同じかそれ以上にこじらせているというおそろしい法則です。私が最近発見しました。


というように、こじらせについて考えていると、デカいこじらせは切除したつもりでも細部にこう、転移しているこじらせが発見されて本当に自分がイヤになってくるので、わたし最近こじらせをなんとかしたい一心でひきこもりを脱出して外に出まくり、荒療治をいろいろしてます。してますけど、まだまだこじらせてる事実を受け入れなければ治療は不可能なんですよね。ギギギ……。


ただ、こじらせガールと話すのはほんと面白いんです。こじらせガールは客観の視点をかなり強く持っている場合が多いので、自分をうまいことネタにできる人が多い。だいたいこの客観の視点が必要以上にシビアすぎることがこじらせの原因だったりもするんですけど。わたし、自分のことあんま好きって言えないけど、自分以外のこじらせガールは面白いし、じゃっかん普通とズレたところに恥じらいやかわいげがあって大好きです。ひいき目じゃなく、優しくて、気配りの細やかな、人の気持ちを考えられる人が多い。そして、人の気持ちを考えすぎて固まってしまい、自由気ままなわがまま小悪魔になれないのがこじらせガール……。それで世の中を逆恨みしたりするんだったらアレだけど、そこで自分で小悪魔になれない理由をしかと認識し、自分が悪いって反省しちゃうのがこじらせガールなわけですよ。愛おしいじゃんね。


出版のあかつきには「こじらせガール総決起集会」的なイベントでもブチ上げたいと考えておりますので、なにとぞよろしくお願い致します。

WEBスナイパーの特集「女性向けAVの現在形」で、JUICY DINERの作品、二作品のレビューを書いてます。

『オナ×MEN feat.健太〜予備校に通う“メガネ男子”とラブホで…』
http://sniper.jp/300special_issue/3009adultmedia_for_woman/avmenfeat_juicy_diner_2.php


『オナ×MEN feat.服部〜たくましい“ガテン系筋肉男子”の…』
http://sniper.jp/300special_issue/3009adultmedia_for_woman/avmenfeat_juicy_diner_1.php


よろしくお願いします!

WEBスナイパーで女性向けAV・シルクラボの最新作『恋するサプリ』のレビュー書きました。よろしくお願いいたします。


http://sniper.jp/300special_issue/3009adultmedia_for_woman/av_silk_labo_1.php#more


あと、恥ずかしいので告知しないでおいたんですけど、WEBスナイパーのネットラジオ四日市エヴァエヴァ60分』の中の『雨宮まみの今日もどしゃ降り』というコーナーで自分のひきこもりライフについて語ったり、遠藤遊佐さんといろいろお話したりしてます。


http://sniper.jp/007radio/0071ykic_evaeva/60holiday_special.php#more


四日市さん、ラジオ向けの声してるな……。私はおもにひきこもりが外に出る苦痛をボソボソしゃべってますが、声が小さいのもまたガチひきこもり(発声の仕方を忘れる。一日の中でしゃべるのは「温めますか?」「けっこうです」のみ)っぽいですね。「リアルは発言の公開範囲を設定できないのが苦痛」とか、ネット廃人らしい終わってる発言満載です。


ひきこもりが外に出なきゃいけない理由なんてあんまりなくて、私はもっと理想の環境でひきこもりたいので外貨を稼ぐためには外に出なければならないと思ってるだけなんですけど、家にいて考えるのは、ひきこもりの生活って、人生というゲームをイージーモードでやってるようなものなんです。特にコミュニケーションという一点を考えると、自分にとってクローズドなSNSのコミュニケーションは、もっとも得意な文章のコミュニケーションなわけで、コミュニケーションである以上失敗もありますがリアルで会うよりはずっと得意。しかもクローズドな場所なら、敵は最初から排除できるので戦うこともない。見たくないような発言をする人は知り合いでもカジュアルにブロック! 別にネットでいちいちつながらなくてもいいじゃないの、知り合いだもの。用事があればメールか電話でいいじゃない。そんな感じです。おもに仕事の範囲がかぶってて仕事の話をする人とかはネットであんま見ないようにしてますねぇ。焦るじゃないですか、仕事してる報告とか見ると。こっちはひきこもってるんですから。


というわけでひきこもりは最高にラクだし快適なんですけど、ゲームってやってるうちに強くなるともっと強い敵と戦ったり、ハードモードでクリアしたりしたくなるじゃないですか。私が外に出ようと思った理由って、それかなとちょっと思ってます。だってみんな仕事ですばらしい業績あげたり、結婚したり出産したり、ハードモードなリアルライフを軽々こなしててかっこいいじゃないですか。人生というゲームやってるゲーマーとして憧れるじゃないですか。わたしも、人生、うまくなりたいっ……。難易度高くて毎日ゲームオーバー、毎日コンティニューの繰り返し……。そんな感じで今日じつは誕生日を迎えましたが、まじでリアルの世界ハードモードすぎて早く本格的なゲームオーバーでお迎えが来てくれないかと祈るばかりです……。ちなみにネット内弁慶なので、知らない人から友達申請とかされたら敵とみなします。さがさないでください。そのうち勇気を出してTwitterとかはじめますから……その日まではネットの中でぐらいひきこもらせて! もうちょっとレベル上げてからじゃないとわたし会話できない! あとこれ以上ネットやる時間増えたらお皿とか洗う時間なくなる……。わたしはブログが好きですよ。

 WEBスナイパーの「女性向けAVの現在形」という特集で、シルクラボのプロデューサー・牧野江里さんのインタビュー記事を書いております。ほかにもシルクラボ『恋するサプリ』のレビューや、この夏リリースが始まったばかりの新規女性向けAVレーベルJuicyDinerの『オナ×MEN』のレビューも書きましたので、近日中にはアップされると思います。『恋するサプリ』で「オレの前でだけは、ダメでいいんだよ……」というセリフを聴いてヒザから崩れ落ちました。シルク作品はほんと、韓流ドラマとか好きな人はわりとハマると思うわ!


牧野江里さんインタビュー
http://sniper.jp/300special_issue/3009adultmedia_for_woman/avsilk_labo.php#more

ミューズ願望

 『監督失格』で気になるのは、平野ギャル(平野さんのファンの女の子)がどれだけ出現しているかということだ。今なら、今ならわたし桃井かおりばりのボブで煙草ふかしながら「女にはね、あるのよね。ハメ撮り監督のミューズに憧れる季節が……」って、言えるっ……! 心で血の涙流しながらうら若き乙女たちに忠告したいことがあるんだけど、それは「ミューズになりたがるような女は、永遠にミューズにはなれない」っていう事実だYO! 


 「クリエイターになりたい」「イケメンになりたい」「美人になりたい」世の中にはさまざまな欲望や夢があふれてますが、居酒屋のカウンターでつくねに玉子の黄身つけながら「なりたーい☆」って語ってる人がそういうものになれるとあなた思いますか? 世の中、本気で美人になりたい人は即自宅に帰って「整形外科 口コミ」とか検索してるし、クリエイターになりたい人は「箭内道彦 事務所 求人」とかで検索するところからスタートトゥデイなわけですよ。私だって、私だって美人にもクリエイターにもミューズにもなりたいですけど、もう佐々木希みたいになれなかったという残念な事実が判明して、残酷な神が支配するわけですよ! 「ミューズになりたい」、そんなたわごとを34年間(一週間以内に35歳になるのに往生際悪く34歳表記)言い続けてもきた。ミューズになりたいと思う人に会う機会とかもあった。でも、でも、そういうクリエイティブ上流階級の人間に接して思うのは、圧倒的人間力の差っ……! 自意識が複雑骨折してるような人間が、ミューズになんかなれるわけねー! というカイジの鉄骨渡りばりの絶望! 


 そもそもなんで「ミューズになりたい」なんて思ったのか考えてみてごらんなさいよ。自分が思いっきりミューズ体質じゃないからでしょ? 本物のミューズは自分がミューズだということすら特に意識せず、駅の階段とか登れないような靴でタクシー乗って、冬でもドアtoドアの移動だからノースリーブとか着て、メニューも見ないで「わたし今日ウサギが食べたいな〜。ピンクのシャンパンある?」って言ってますよ!(貧民が想像したせいいっぱいの贅沢)「ミューズになりたい」なんてことを思う時点で「私はミューズ体質じゃありません」と認めてるようなもの。


 心が折れた? 折れましたか? わたしもっとずっと折れ続けてますよ。心が折れてるみなさんの先輩として、心折れ界のトップランナーとして独走中ですよ。だけど、だけどっ……心が折れたって人間死なないんですよ。心がどんなに血を流しても胃に穴とかそうそう開かないし、げっそりしたつもりでも1kgもやせてないんですよ! つらい気持ちをポエミーにTwitterに書きなぐって朝になって恥ずかしくなってアカウント消去してその日の夜には新しいアカウント取り直してすべてがなかったことみたいな顔してる程度で、傷ついたとか心折れたとか言ってちゃいかんですよ。


 この残酷で不平等な世界を呪いながら、自分の持っている材料で、どれだけの快楽が得られるか、どれだけの面白いことが見れるか、そういうことを考えて綾波レイばりに心に包帯巻きながら生きてくしかないですよ。あれっなんかちょっとしたグチをつぶやくつもりが、すごいシリアスな話に……。『闇金ウシジマくん』を読んだせいで心がむしばまれてつい……。最近は『GANTZ』読みました。最初はヤラせそうでヤラせない展開にイライラしてましたが、すっごい面白かったです! こんな壮大な話をテンションまったく下げずに最後までカタつけようとしてるところにもう、震えますね〜。『GANTZ』と『進撃の巨人』の最新刊をたて続けに読んだので、夢に異様な造形の大きい人が出てきて「利息はトゴ(十日で五割)な」とか言いそうです。がんばって明るい話にしようとしたのに、ならなかったのでもうあきらめることにします。みなさん今日も元気でがんばりまっしょい!

『監督失格』についての些細なことがら

 『監督失格』公開されましたね。町山智浩さんが『監督失格』について「自分の妻にカメラを向けて「林由美香に執着する夫をどう思う?」とインタビューするシーンが欲しかった。平野勝之監督『監督失格』で足りないのは林由美香を追い続ける監督と彼の妻たちとの関係だと思う」(http://twitter.com/#!/TomoMachi/status/109655892873588738)とTwitterで書かれていました。私は、平野監督の『わくわく不倫講座』を初めて観たとき、失恋に嘆く平野監督の姿を見ながら「コイツ(コイツ呼ばわりしてすみません)別の女と結婚したのに何やってんだ」と思った記憶があります。そして『由美香』を観たとき「離婚しないくせに好きだとか言いまくる男って頭湧いてんじゃないの!?」「ケンカしてるけど、お前(お前呼ばわりしてすみません)に彼女を責める資格ないだろ!」と衝撃を受けました。あまりにも当たり前のように、対等な立場で恋愛してるみたいな口ぶりだから混乱しましたよ。あれだけ好きだ好きだと言っておいて「だから離婚する」という話に一度もならないのが不思議でしょうがなかった。私の中の倫理委員会が紛糾しましたよ……。


 そうは思ってるんだけど、奥さんを引っ張り出せば良かったとも思ってなくて、奥さんを引っ張り出して、奥さんがどういう態度を取ったとしてもこの話は簡単に「夫婦の絆ってすごい!」「夫婦の愛情ってすごい」「他の女を追いかけてる平野さんを許す奥さんすごい」とかいう話に、観る側によって(作り手がどう意図しようと)すりかえられるんじゃないか、と思ってて、それは想像するとなんだか気持ちが悪い。それに、引っ張り出してきてそれが「平野監督の素材」になっていたら、それはそれでイヤな気持ちになると思う。作品の完成度としては、どちらがいいのか私には判断がつかないですけど、確かに『由美香』や『わくわく不倫講座』で最もショッキングだったのは奥さんの登場するシーンでした。


 それを言うなら、由美香さんだって「素材」になっているわけで、それをわたしたち観る側の人間は「林由美香は全身女優みたいな人で、素材になってどう切り取られても、そこに監督の意志があるならそれを許す人だ」というエクスキューズがあるから不快感なく観れているだけ、という気もしますけど。


 少し話がそれますが、私は別れたあとで「あいつはいい女だった」(遠い目)みたいに言う男のことを気持ち悪いと思います。いい女だと思うなら追いかければ? と思うし、今ほかに彼女がいるのに「いい女だった」とか言ってたら、もう無神経以外のなにものでもない。結局「真正面から向き合ってつきあうのは疲れるくせに、遠くから眺めて『いい女だった……』みたいな距離感でホメるのが気持ち悪い」ってことなんですけど。私は別れた男たちに、何も語られたくない。だって、しょせんは別れた男じゃん。続かなかったんだし、私から逃げ出したか、私が拒んだか、どっちかなわけで。試合は終わったんですよ。


 恋愛が終わったあとで、信頼のあるあたたかい関係になれることがあるのはわかるけれど、そこに男のロマンとかセンチメンタルな感情が乗っかってくると、急に気持ち悪いものに変化する。今現在の女の苦しみや孤独感や感情の振れに真っ向からつきあっていないのに、知ったような口をきかれることに違和感がある。自分は今ここにいるのに「今ここにいない、過去に別れた女」に対する幻想を背負わされているように感じるからかもしれない。


 『監督失格』に出てくる「今までの男が全員で棺をかつぐ」とかいうのも、もし自分がされたらと考えるとすごいイヤ。自分がああいうことされたらゾッとする。まぁされるような人徳もないけど(棺が持ち上がらない人数……)(いや一人でもいれば上出来)、断じて嫉妬ではなく、本気でイヤだと思います。


 私はカンパニー松尾ファンなので、この映画の中でカンパニー松尾が撮っているシーンがものすごく好きなんですが(ひと目でわかる。風景の色が完全にカンパニー松尾。濡れてる)、あれは「去った男の悲しみ」がよく出ているシーンだと思っている。もしかしたらもっと深く関わっていたかもしれない、今は頻繁に会うこともない、そういう関係だからこそ何かできなかったのかと悔やんだり、そういう関係だからこその喪失感があるのだろうなとすんなり腑に落ちる。平野勝之の喪失感はもっと思い込みが激しくてグチャグチャしてて、運命の女を失った、みたいな感じがあるんだけど、なんかそれって生身の女じゃないみたいに思えるときがある。生身でつきあっているはずなんだけど、遠い。誰よりも深くつきあった過去があり、今でも関わりがあるのに、それはもう恋人同士の関係とは違っている。


 私が思うのは、これを愛の物語だと呼ぶのなら、なぜ離婚して林由美香と結婚しなかった? ということだし、たとえ失ってからでも本当にそれだけ愛しているのなら、けじめとして離婚すればいいと思うし、結局、どんなに苦しんだとしても、他の女に軸足残してるじゃないか、ということだったりする。美しい愛の物語だなんて、絶対に思わない。自分が妻だったら、映画館に放火するよ。


 平野勝之林由美香の関係が、どれだけ深いものであったのか私は実際は知らないし、それを愛情と呼べるかどうかもわからない。でも、関係の深さに関わらず、一方的に思い入れ、一方的に深い傷を負うことはある。それを運命だと思い込むことも。一人の女に呪縛された、と感じるのはいつだってされている側の思い込みでしかない。そういう男のロマンみたいなものや激しい思い込みの見苦しさや醜さ、みっともなさみたいなものが平野監督の作品ではよく出ていて、この映画の感想で「美しい」とか「愛情」とかいう言葉をよく見かける気がするのは、その飲み込みづらい気持ち悪さを、観た側がなんとか飲み込もうと全力で肯定しようとしているからじゃないかと思う。それだけ「飲み込みたい」「受け入れたい」と思われたのなら、それは愛されてるのと同じことじゃないだろうか。


 美しくなくても、気持ち悪くても、そう感じることがこの作品をおとしめることにはならない。美しくなくて気持ち悪くて、不倫でしかもとっくの昔に別れてて、それでも整理しきれない感情がいろいろあって、私はそういうのが大嫌いなのに『監督失格』を観ている最中にはその不快感をまったく感じない。あとで思い出すとこんなにイヤなのに……。観てる間は、飲み込まれてしまう。理不尽な気持ちでも、そういうことがあるのだと、自分自身のことのように感じてしまう。


 世間的に正しいことだけが正しいわけじゃなく、責任をともなった愛情表現だけが愛情表現ではない。当たり前のモラルからはずれてこぼれて落ちたようなものが、こうして人に観られていて、支持されたり、やっぱり嫌悪感をもよおされたりしていて、でも、正しくない道しか進めない人間のこと、正しくなくても魅力的な道を選んでしまう人間のこと、私は否定する気にならない。そんなこと言ったら、AVだって肯定しようがなくなってしまう。私の神様は欲望だから、どんなに見苦しく、モラルに反していて、私の好みや主義主張とはまるで違っている作品であっても、そこに平野さんの100%の欲望が見えるかぎりは、やっぱり支持してしまうような気がするし、そこが平野さんのすごいところだと、なんとなく思っている。

西炯子先生の『姉の結婚』、面白いねえぇ……! 恋とか愛とかって、なんなんだろうねぇ。普通の恋愛なんていうのはどこにもなくて、誰もが恋愛で絶望の淵に追いつめられたり、一生一度の相手にすべてを賭けたり、そういうことをしているのかもしれないね。ちょっと、街の風景からしてたまらないものがあって、景色もなにもかもすべてが有機的につながっていひとつの場面、ひとつの物語、ひとつの心情や状況を描いていると感じます。背景が「人物と切り離された、後ろにあるもの」じゃなくて、つながっている感じ。場所も立場も状況も、恋愛ではなにひとつ切り離せないし、その切り離せない中でどうするかを考えるしかなくて、常にがんじがらめになることを思い出させられます。続きが早く読みたいです。