「少女は挿入される生き物」第三回

★5/26,5/28の続きです。第三回。そして「全三回」ではなく、「全四回」の延長戦に突入します。長くてすいません……。

 昨日今さらan-anのセックス特集を買ったら「女2・男1の面白プレイ」とか書いてあって驚愕しました。お、面白くねーよ! 泣いちゃうっつーの! 姉ちゃん、女が楽しいのは圧倒的に「男2・女1」だと思っていたのですが、なんで「女2・男1」なんだろう?(ちなみに「男2・女1」は載ってない。「男5・女1」とかも載ってない)。基本的にこの特集が「男を喜ばせる」方向なので、そういうことなのかなーとも思うけど……。
 昔はもっと、「自分が感じるには?」みたいな感じだったような気もする(そうでもないか? 私は多分十年前ぐらいのan-anで得たあるテクに関する知識をいまだに活用しています……。マジで役立つなぁ、an-anよ!)けど、今はなんかもう「滅私奉公」の域のような。一読して感じたのは「ここまでやんなきゃやってもらえないのか?」っていう「疲れ」でした。男性誌でここまでリアルなテクが詳細に書いてあるのってあんのか? せいぜい「潮吹きテク」ぐらいしか見たことない気が、姉ちゃんするんですけど……。「濡れにくい人は、股間にローションを仕込んでおく」なんて、ソープ嬢のテクですよ。まぁでも「ローション使って」って言って「俺じゃ濡れないのか!?」ってしょぼーんとされたりするよりは、仕込んでおく方が気がラクってことだよな……。ヘコむ。
 セックスの時って「サービス」はアリでも「嘘」はナシって気がするんですよ。みうら×リリー対談の「セックスは真面目にやれ!」というのは、いい発言だなー。

(余談終了。本編に入ります)

 で、ここでやっと「少女は挿入される生き物」の話に戻りますが、この作品を観て私が感じたもやもやは、まず作品が「右派パート」と「左派パート」に分かれているということに対する居心地の悪さです。この「分裂」を、「右派は前半を観て満足できるし、左派は後半を観て満足できる。そのうえ、右派が最後のパートを観て、左派に転向したり左派の良さも理解するようになるかもしれない」という、非常にポジティブな捉え方をすることもできます。実際に観た人の意見としては、そういう「満足したし、面白かった」という、ダブルで満足な意見も見られました。

 しかしこの作品は「右派/左派」という分裂とは別に、もうひとつの分裂構造を持っています。それは最後パートに登場する「ゆめちゃん」という女性が、ドキュメンタリーの素材としては面白い素材であっても、肝心のセックスがそれほどエロくない、ということに関する分裂です。堀内監督は彼女を可愛く、彼女のセックスをエロく撮る努力はしているし、あるレベルは越える程度にその努力は成功していると言っていいとは思いますが、この人のセックスはちょっと「イタイ」んです。そして、ドキュメンタリーのパートは、この人のセックスを「よりエロく」見せるという風には作用しない。この作品は「エロい」部分と「エロくない」部分に分裂しているのです。その二つの分裂は、同じようで、同じではありません。

 私は、AV右派(特に極右)の人たちが左派AVを極度に毛嫌いする理由のひとつに、それが「エロくない」ということが挙げられることを、知ってます。左派のエロくないAVほど、オナニーしたい人間をムカつかせるものはありません。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言われて、せめてケーキぐらいは食えるかな〜と思ってたらマカロンとか全然腹の足しになんないわけのわかんないお菓子を出されたっていう腹立ちに近いものがあります。左派のつまんないAVは、マカロン以下なのです(マカロンには何のうらみもないですが……。けっこう、おいしいですよね。でも色ばっかかわいくてそんなでもないって印象が強いのです……)。それに対し右派AVは、まずくてもとりあえず腹はふくれる(接合部のズボズボとかが映っていればとりあえず無理矢理でもオナニーはできる。強めににぎってみる、とかして)という、そういう部分があります。AVのお客さんが右派に傾倒してゆくのも、さもありなんという感じです。私が右派のつまらない作品よりも、左派のつまらない作品により強い怒りを感じるのは、その「腹の足しにもなんない感じ」が理由です。「だって、メシ屋だろ!」っていう気持ちがその根っこにはあります。だって、エロ屋だろ。エロくなくて、どうすんだよって思うんです。

 でも誤解しないで欲しいのですが、「左派AV」であることと「エロくない」ということは、イコールではありません。エロくない左派AVが多いのも事実ですが、そのせいで「エロくないのが左派」なのだと思われてしまうことには、強い怒りと悲しみを覚えます。「左」の大きな役目は、エロさより他のものに重点を置くことでも、とりあえずセックスさえあれば後は自分の撮りたいモン撮っていいだろってことでも、ありません。そんなものは、AVじゃない場所で撮ればいいんです。私は、正しい左派とは、「エロ」と「エロでない部分」が、ぴったりと引き剥がせない状態でつながっているということだと考えています。「エロ」を撮るために、「エロでない部分」を撮る必然性がある、ということです。

 簡単に言うと、ナンパビデオのナンパシーンって、それだけでは別にエロくないですよね。裸になってるわけじゃないし、会話してるだけです。でも、じゃあそれはいらないかというと、そんなことはない。「さっきナンパされた女がヤッてる」という興奮を味わうためには、それは要るんです。そのような状態で「エロでない部分」が、「エロ」を最大限に引き立てるために入っている左派作品は、少しだけ塩の入ったチョコレートのようなもので、ものすごくおいしい。脳天からとろける官能の味がします。今すぐ外に出て、誰かとセックスしたくなる。右派AVの多くが、オナニーだけで完結できる世界であるのに対し、左派AVが描こうとしているのは、現実のセックスにより近いものであるという傾向があります(例外ももちろんありますが)。そこもまた、純粋にオナニー用のAVを探している右派に、左派AVが嫌われるゆえんでもあります。

(明日につづく)