面白いAV

三浦大輔ポツドール)の演劇を『顔よ』しか観てないくせにエラそうなこと書きますが、三浦大輔がV&RのAVの影響を受けてるんじゃないかとかそういう発想は、古いんじゃないかと思う。


 AVライターです、と名乗ると過去のV&R作品の話を振られることは多くあって、私もそれらの影響を受けていないわけではないし、好きな作品もあるんですけど、はっきり言ってもうものすごくうざったいわけです。カンパニー松尾ファンの私でさえ! HMJMの方角に向かって一日三度の奇妙なお祈りを欠かさない私でさえ! だから三浦さんも「バクシーシ山下監督のAVについてどう思いますか?」とか聞かれて内心「うっぜ〜! この俺様が誰かの影響受けてるって言わないと満足できないワケ? この俺様がとつぜん何のルーツも持たずに現れた天才だとしたら不安になってしまう小市民なのだねチミは……。早く帰ってネコでも撫でながらお茶飲みたいな〜」と思ってると思うよ! 音楽ライターです、と名乗った瞬間に小沢健二の『LIFE』って名盤だよね〜アレスゴイよね〜と言われてるようなもんで、そりゃ確かに名盤だしスゴイけどさぁ……って感じ。自分のいる業界が過去の遺産でしか語られないってどんな状態なのよ。「じゃあ昔のV&Rより面白いものってあんの?」と言われたりするともう……死んで! 死んで永遠に中古ビデオ屋の販売コーナーをNOAH求めてゾンビのようにさまよって!(←べつに松江くんのことを言っているわけではないですよ。気を悪くしたらごめんよ。松江くんは自転車通勤が功を奏して日に焼けてゾンビには全然似ていないよね!)


 セックスやエロとサブカルチャーの間に、昔のV&Rのような形の接点しか見いだせない考え方は、ちょっと歪んでると思う。エロいかエロくないかなんてどうでもいいくせにただAVを、自分たちの感じている何かを語るための道具にしているように思える。今のAVはそういう道具にしづらいから過去の作品を使うしかない。セックスを語ることに腰がひけぎみの人たちにとって、過去のAVには語りやすいフックがあった。今のAVには、セックスに不自由してる人やセックス弱者はあまり出てこない。そういう人たちに対して劣等感がある人たちは過去の、自分よりもっともっとセックスに不自由してる人たちが出てくるAVを観て「面白い〜!」と笑う。見下してるつもりが敗北宣言。だから宇野常寛にエラそうにセックスがどうのとか言われたぐらいでみんなハハーッてひれ伏しちゃうんじゃないのカナー?(読んだことないけど) もっと敗北感に泣きながらAV観て自意識鍛えたほうがいいよ! 私みたいに!


 私は三浦大輔が、ある種の敬意を持ってギャルやB-BOYやそういうチャラい存在を描いていると思っていて、それは何に対する敬意かというと、欲望剥き出しで生きている人たちへの敬意だと思う。もっと言えば、強者への敬意、肉体性への敬意。社会の中ではいろんな価値観で人は評価されるのが普通なんだけど、どんだけ何をがんばっていても、モテないとか顔がアレとかセックスしたことないとか、そういうこと言われたらおしまいみたいな価値観の軸があって、そういう軸を基準に生きているような人種は、まるで弱肉強食みたいで、けだもののように強く見えることがある。そういう基準にさらされたときにぶざまにうろたえるしかない人は一生ギャルとかに勝てないんじゃない? と言ってるんじゃないのかな。私は勝てなくていいよ。ギャルを崇拝してるから! 文化系は総じてギャル的なものに対して崇拝するか嘲笑するかどっちかの態度しかとれなくなりがちだよね〜。ということで私は崇拝派。先週も109でギャル様の御光にあやかろうとサンダル買いました。ビクつきながら! 大量の汗でキャミをグッショリ濡らしながらな! こんなびびってるのに勝てるわけないじゃん。


 最新号の『小悪魔ageha』の特集は「病んだっていいじゃん」で、age嬢はAV出てないかもしんないけど年齢的にもファッション的にもage嬢みたいなコがいっぱいAV出てたりするわけで、AVはそのまままっすぐに現実と直結してる。そして、セックスの情けない部分とかイタイ部分とかどうしようもない部分とかじゃなくて、気持ちいい部分や楽しい部分、泥沼みたいないやらしい部分っていう、他の分野じゃ照れ隠しのエクスキューズなしではなかなか描かれにくい、でもセックスの一番本質的な部分が描かれていて、ド真ん中なメディアなのに、なんでそんな重箱のスミをつつくような「面白いAV」を求めるのかね。その姿勢っていうか視点そのものがもう「面白くない」んじゃないの? AVを面白いかどうかで観るって、映画をエロいかどうかで観るのと同じくらい珍しい生き物ですよ。私はエロは、欲望に直結してるぶんだけ「強い」と思ってる。欲情するか否かなんて、何のエクスキューズもないでしょう。ポツドールがセックスとかを描くのは、それが「強い」ものだからじゃないのか。少なくとも自意識に対してこれだけの破壊力を持つものは、他にそれほどたくさんはないと思う。セックスは、自意識という浅間山荘にガーンガーンと打ち付けられる鉄球みたいなもんだ。だから、ポツドールのセックスシーンはもうちょっとエロいほうがよかったと思います。女優さんも俳優さんもはずかしいと思うけどプレイ気分でがんばってください。


 三浦大輔は、「面白いから」セックスを描くのかな? 彼のやってることは、少なくともセックスを出しさえすれば「面白く」て「刺激的」だと思ってるような人のやってることとは違うと思うし、「面白い」と言うにはあまりにもキツいと思う。「これでも笑えるのか? これでもまだ笑えるのか? ここまで言ってもまだあんたこれを他人事だと思ってるのか?」と首根っこに刃物を押し付けてくるようなお芝居だと思った。


 今のAVに不満があるとすれば、それは「面白くない」ことじゃなくて、「気持ち良さ」や「興奮」の描かれ方が定型化していて飽きが来やすいことかもしれない。でもAVが「何かを語るための道具」としてサブカルチャーの奴隷になり下がるよりは、「どうせ今のAVなんて、ただのズリネタでしょ?」ってバカにされてるほうが全然マシな気分です。ただのズリネタのほうがサブカルチャーの奴隷よりもずっとメジャーだからな! それに本当にエクストリームなものは、ズリネタとして突き抜けすぎたものの中にあるよ。って、どっからどう見てもサブカル臭プンプンの私が言ってみました。思いっきり自意識重ねてAV観てたクセに……。すべて忘れて生まれ変わりたいYO!