『テレクラキャノンボール2009 賞品はまり子*Gカップ』

 カンパニー松尾のことを、やたらと熱く書く、思い入れたっぷりでそれしかない自分の文章のパターンに嫌気がさして、しばらく書くのをやめていた。AVのことも、他のどんなことも「批評」したり、「議論」したりするのが嫌になっていた。何を書いても結局「自分が一番わかってる」って言いたいだけのような気がして、自分の批評は、批評ではないんだと気づいた。ただの独占欲だった。きちんと何かを研究して突き詰めて考えて「批評」している人たちと自分とでは、心がまえのところからして全然違っていて、ちゃんとどこまでも一つのことにとことんつきあう気のない自分に、そういう「批評」は、できないしするべきではない、と思った。


 あんなに必死でAVを「批評」しようと思っていた気持ちは何だったんだろうと思いながら、ほそぼそとAVレビューを書いて、仕事をしている。「批評」をしようという気持ちでは書いていない。読む人に何かを伝えること、面白い、楽しい、喜びのある文章を書くこと。そのことにしか希望を見いだせないから、とても漠然とした、とらえどころのない「そのこと」を思いながら仕事をしてきた。ここ数年のことだ。


 それはそんな、簡単なことじゃない。何をやっても、喜ばれるどころか、反対のことが続いた。自分の欠点ばかりに気づかされ、その欠点をわざわざ親しい人に呼び出されて泣くまで叱責されたりもした。そういうことがある度に、逆に自分の今までの傲慢さや、愛情の無さに気づかされた。疲れた。力が足りない努力が足りない能力がそもそも足りない。できるかどうかわからないことを、だめもとでやり続ける毎日だった。もともと鬱病だから月に何日か起き上がれない日がある。助けて、と言えない。みんなにはみんなの生活があるから。そこまで切羽詰まってないでしょう、今までだって一週間以内には起き上がれたし、立ちくらみがして床に座り込んだりしながら、病院が開く8時30分を待った。本当に落ちているときは先生の目が見れない。どうしましたか、と聞かれても、特に何があったわけでもないんですけど、としか言えない。もう全部やめたいんです、と言うと泣いてしまうのがわかっているから。今までが大丈夫だったからといって、これからもずっと大丈夫だとは限らない。ああ、もう、今度こそだめかもしれない。起き上がれないまま自分がこれだけは守ろうと思っていたことを破って、信用を失って、仕事ができなくなるかもしれない。たいしたことない鬱病だとわかっている。けれどその最中にいるときは、そのことに気づけない。


 私は芸術や、音楽や、マンガや、本や、AVが好きで、それらは全部つきつめて考えればこの世には必要のないものなのかもしれないけど、それらは、今まで何度も、私の心に希望の火をともしてくれた。落ちると、寝たきりの自分の周りを重いカーテンがぐるっと取り囲んで、それらの希望を遮断する。そういうものに、気分を変える力があると思えなくなる。どうせ何をやったって何も変わらないという気持ちになる。そういう気持ちのまま、届いてから何日も、カンパニー松尾の新作を観ていなかった。


 『テレクラキャノンボール』は、男たちがバイクや車を走らせて、そのタイムと到着地での素人娘ゲットの得点を競い合うレースだ。私は「男たちの戦い」にも「バイク」にも「車」にも興味がない。だからそこには熱くならない。でも観たら面白かった。相変わらず腰がヘナヘナになるような声で「僕と○○ちゃんがこの広い地球で出会ったことがもうすごい偶然じゃん、だからもっと仲良くなりたいんだよ〜」と意味がわかるようなわからないような口説きを呪文のように繰り返して女をだんだん自分の網の中におびきよせるビーバップみのる監督、普通に出会い系とか出会い喫茶に行って口説いてるのに、なぜか「ザ・バクシーシ山下作品」としか言えないような女ばかり引き当ててしまうバクシーシ山下監督、さらに口説き落としても肝心のセックスが弱くて普通に発射できないみのる監督(せっかくハメてるのにがんばって手コキで発射)、喘ぎ声がなんかわざとらしい女の子、借金まみれの女の人、トシを十歳以上サバ読んで来た50代のドスケベ女性、撮影されて燃えまくる39歳、迷彩柄のパンツに真っ赤なフリルのトップスを着た気はいいんだけどよくわからない女性、食って、走って、ヤッて、4時間の駆け引きとバカバカしい必死の勝負。笑って、考えて、笑って、最後の5分でひきずりこまれるように泣かされた。


 なんで「こうあるべき」とか「これが正しい」とか、そんなことに縛られていたんだろう? 人の言うことばかり気にして、何もできないでいたんだろう。自由な人はいつもやすやすと、そんなものを踏み越えてゆく。余裕で、縛られてガチガチの人たちに笑顔で手を振りながらロープをすりぬけてゆく。かっこいいね。そう、そうなんだ。面白いことは、自由に手を伸ばすことでしかつかまえられない。慎重なふりをして、びびっているだけではだめだし、むちゃくちゃに手を振り回すだけでもだめなんだ。そう、走りながらさっと、もぎとっていくしかない。


 心に火がともる。炎がともる。いままで自分を縛っていたすべてが一瞬にして燃え去り、なにもなくなる。重いカーテンが燃え落ちる。何度でもこうしてカンパニー松尾を好きになり、何度でもこうして這い上がり、また同じような文章を書いて、しょうもない人生にどんどん似たようなしみをつけていく。ちゃんとしたレビュー、書けなくないんだよ。まがりなりにもライターだから。書けるけど、それより、それじゃないんだ。心が揺れて、しょうがなくて、こうなっちゃうんだ。食って、書いて、寝て、人にバカにされて、迷惑かけて、恥かいて。謝りたい人がいる。顔を合わせられない人がいる。でも、何もやらないんだったら、意味ない。苦しさも申し訳なさも消えない。でも続きを、やるしかない。どうせくだらないことばっかやってるんだ。わからない。わからない。わからない。でもまた、始めるしかない。


 AVは、ほんとはひとりきりで観るものだ。だからひとりきりの人間に、ときどき何よりも深く刺さりこんでくる。上手すぎる撮影、上手すぎる編集、きったねえなこんな編集しやがってと悪態をつきながら涙が止まらない。もう、出かける時間だよ。さあ早くシャワーを浴びて、着替えて、外に出よう。また、外に出られる。また、仕事をさせてもらえる。チャンスをもらえる。その間に。燃やせ、燃やせ、燃やせ、全部。どうかこの気持ちが、届きますように。