★『Arne』という雑誌が終わってしまった。さっき最終号を読みました。売れなくて終わったわけではないのでそういう悲しさはないけれど、自分の楽しみがなくなってしまったという意味で純粋にかなしい。『Arne』は3月、6月、9月、12月と年に4回出ていました。私はそれを忘れたことはなくて、いつも「ああ、そういえばそろそろ出る頃だな」と思っては本屋に行き、525円のこの本を買っていた。今までの30冊ぜんぶ持っている。ぜんぶ持っている雑誌はこれだけです。たいへんなことが書いてあるわけではないし、難しいことが書いてあるわけでもない。でも「センス」という意味で、とりあげるものやとりあげかたがすぱっと頭ひとつ分もふたつ分も抜けていて、毎号「こんなすごい人がいるのは知らなかった」とか「こんなすてきなものがあるのは知らなかった」と思わされました。


 びっくりすることや、ためになることも大事だけど、こういう、ささやかな楽しみがなくなるのは、本当にさびしい。私にこの本を教えてくれた祖母も、たいへん悲しんでいます。編集長の大橋歩さんが別冊やギャラリーの活動で、またいろいろなものを見せてくださるよう祈ってます。こんどは祖母をギャラリーにつれてゆきたい。


 『Arne』はあまりに売れているし、今では都内の書店では手に入りやすいからそういう目で見るひとは少ないかもしれないけど、出始めた頃は本当に一部の書店にしか置いてなくて、大橋さんがひとりで写真を撮って取材して本のほとんどの部分を自分だけで作っていて、私はこれを「ミニコミ」のようなものだと思っていた。「ミニコミ」は違和感あるな。「個人誌」ですね。つくっている大橋歩というひとが偉大だから、そして『Arne』が結果的にとても成功しているから、そんなふうには考えにくいかもしれないけど、これは「万人が受け入れるわけではない、けれど確実にそれを好きな人がいる」というものを、好きな人のもとに届けるという商売のしかたの、とても大きな成功例だと私は思ってます。


 村上春樹の自宅への取材、なんていうのもありましたね。たべものの記事がいつもおいしそうで(今回もすごいうまそうだ……)、ニットやバッグ、帽子の紹介も素敵でした。今号の「お直し」の記事もすごくよかった。『Arne』は生活にまつわるいろいろなこと、住まいや着るもの、食べるもの、家に置くいろいろなもののことを紹介する雑誌で、いまのような時代には、とても楽しい雑誌でした。いまだけの雑誌ではなく、ずっと読み返していろいろ考えられる本でもあると思う。


 次の3月には、あたらしい『Arne』は出てないんだな、と思うとほんとにさみしい。


★そしてこれ、本当によくわかるなぁ!
http://www.1101.com/store/sayonaraarne/2009-12-19.html


 糸井重里大橋歩さんの対談。面白いのは、私はどちらかと言わなくても糸井さんの歩んできた道のりとほとんど同じ考え方の経路をたどっていることだ! 女なのに……。男成分の強い女だったのでしょうね。そのときはそれがいいと思って、おさえつけてた女の部分があったから、なんだかいびつになっていたし、今もその後遺症のようなものを感じることもあります。


 でも、そういう意味で、男の人も女のような感じ方や考え方をすることがあるのはすごくわかるし、逆は自分の経験でわかります。男の人の感覚をぜんぶわかるとか、そういう傲慢なことは思わないし、男や女とひとくちに言ってもそれぞれ個人で感じることはまったく違うので、それをひとくくりにするような考え方は苦手、というかものすごく嫌いですけど。「男」や「女」でなく、個人の感覚で通じるものがあれば、それでいいと思うんですよね。男と女だから通じない、わかりあえないなんていうのは、そういうことが実際にあるのは事実だけど、わからなくてもわかろうとしている人、わかりたいと切実に思っている人に対して、あまりにも失礼だと思います。