今日『ミュージックマガジン』を読んだ。自分が老後について考えることによく似たことが書いてあった。


老後のことを、ときどき考える。今のままじゃまったく生活していけない額の年金しかもらえない。国民年金基金というのがあるけど、年金も生活保護も破綻するんじゃないかというときにそれがちゃんと機能してるのかかなりあやしい。ある程度貯金できていたとしても金がないだろう。身体も動かなくなるかもしれない。


今までは他人事として考えていた老人の生活を、自分もいつかそうなるのだと地続きのものとして考えたら、絶望的な気分になった。なるほど、だからみんな会社に終身雇用してほしがっていて、地方に引っ越して家を買ったりしていたんだなと初めて腑に落ちた。


自分が見る限り、老人はずっと社会のお荷物みたいな扱いをされてる。自分が老人になったら「社会のお荷物になったんだな」って絶対に感じると思う。誰だって、誰かのお荷物になんかなりたくない。


老人は、老人のイメージを押し付けられる。老人だから優しい、みたいにいいイメージを押し付けられることや、老人だから頑固、人の話聞かないから話してもムダ、とか思われることもあるだろう。年金で社会に食べさせてもらってるんだからワガママ言わず謙虚に生きろ、みたいなムードも感じる。


私は社会から女のイメージを押し付けられることを経験しているから、老人のイメージを押し付けられること自体はそんなに怖くない。今から覚悟を決めておけば、華麗にシカトできると思う。今の性格がトシとっただけで直るとは思えないから、性格悪いまま年寄りになりたい。「おばあちゃん? 私あんたのおばあちゃんになった覚えないし。そもそも子供産んでないから誰かのおばあちゃんですらないし。名前あるんだから名前呼んでくんない?」それは性格悪いとは思わないけど、まぁそんな感じになりそうだ。


だけど、老人になれば、経済的にも肉体的にも自立している今とは何もかもが違ってくるだろう。誰かに頼って生きなければならなくなるときに「普通の老人」とは違う「自分の生き方」を主張できるだろうか。


貧乏でも、自分だけの空間と自由があるから生きてられるんだ。たとえ福祉施設が充実してそこに入れることになっても、私は他人と暮らしたくない。でも、誰かに迷惑をかけるとわかっていて、ひとりでいたいと言えるだろうか。「好きな生き方がしたいと思うなら、自分で金払って好きにすればいい」。そう、そして金以外の解決策は今のところなさそうに見える。


老後のことを考えるとき、最高に幸せだと思う未来は、60ぐらいで死ぬことだ。それぐらいまでなら何をやってでも働ける、生きられる。長生きしたいと思わないどころか、金も体力も続かないのに長生きしてしまうことが最も怖い。


だけど、そんなことを思うのは絶対におかしいと思う。大きな怒りに近い感情がある。


老人になるのがこんなに気が重い社会も、老人になったらまるで私が私じゃなく「老人」という生き物になるみたいな感じがすることも、全部間違ってると思う。


生きてることが苦痛だったり、ただ生きてるだけで誰かに遠慮しなきゃいけないような気分になったり、年をとったら何かをあきらめなければならないような気分になったり、人に迷惑をかけないことを第一に考えるような社会は、絶対的に間違ってないか?