★これって→http://anond.hatelabo.jp/20101008154452

 ちょっと不思議なんだけど、なんで自分が負け組だと思う女性に対してここまでの気持ちを抱くのかな。身の程を知らない感じが気に障るんだろうか。逆転のチャンスなんてもうないわけだよね。彼女たちに対して情があって、ひとりで老いていくことをかわいそうに思ってて、何やってんだよ、くだらない失敗やらかしてんじゃねえよって思うのかな。


 あと、こういうのを読んで気になるのは、加齢で臭いとか肌にしわがあるとか、そういうこと、この人は自分の奥さんに対しても思うんだろうか。愛する人なら気にならないのか。


 ここから、話はずれてあんまこの匿名ダイアリーには関係ないけど、妙齢結婚問題などについてちょっと書いてみます。


 高齢出産がやばいこととか、年齢を経て考え方が頑固になったり価値観がいまさら変えられないことなんて、わかってる。若くない自分に市場価値がないこと、どれだけ仕事でキャリアを積もうと女としての価値になんの関係もないことも知ってる。そんなことは10代ですでに感じることだと思う。


 女としての価値に自信がないから、せめて仕事で自信を持ちたいと思う女性もいる。私だけど。子供を産みたいと思えないし、産みたいと思ったところでそういうことを一緒にしてくれる相手があらわれるかどうかわからないから、少なくとも自分の意志だけでどうにかなる「仕事」だけはやってみようか、と思う女性もいる。私だけどね。結婚をあきらめたところから人生はじまってる女もいる。ええ私ですけども! 小学生ですでに結婚はあきらめてたなー。女の子らしくなかったから。


 「結婚かー。もう無理だと思ってるんだよね」なんて、思ってても言うと空気重くなるじゃん。私は無理だと思ってるし、それ以前に恋愛ももう無理かもって思ってるけど、そんなこと言うと周りが気を遣うから、どんな男とつきあいたい? とかどんな男が好き? とかいう話題には、そんなこと言ったって誰も私とつきあいたいなんて思ってないよ、ってむなしく思いつつ、いちおう答えるよ。


 負け組だからさ、っていう自虐の社交術を使うのも、私はちょっとめんどう。負け組だから、って言って笑っても、それってはたから見るとやっぱ笑えないだろうし、イタい感じになる。周りに気を遣わせたくないのに、結婚したいって言ってもしたくないって言っても「したいとかしたくないとかじゃなくて、『できない』んじゃないの?」っていう現実が重たくのしかかってくるし、かといって「できないしね」と現実を言えば言ったで気を遣われる。「そんなことないですよー」なんて、言われてもアレだけど、言う優しさもわかるだけに何も言えない。


 こうなるともう、周りに不快感を与えないためには外に出ちゃいけないぐらいのことになるよね。どんだけ社交スキルを磨かなきゃいけないんだ、と思う。


 わたしがいちばんわびしくてみじめだと思うのは、結婚できないことでも、負け組であることでもなくて、自分が自分の思うままに生きているのに、そのことを人から哀れまれることや、人の哀れみの感情を察して自分が変に気を遣ってしまうことかもしれない。たとえひとりぼっちで老いて死のうとも、堂々としてたいよ。誰もこんな人生、勝ち組だなんて認めてくれない。認めてくれなくていいけど、自分まで自分のことをだめだとか、そんなふうに思わなくてもいいんじゃないの。それなりに必死で生きてるし、つらいこともあるし、がんばったこともあるし。誰にうらやまれなくても、私にとっては、じゅうぶんばら色の人生なんだよ。あきらめてた恋愛もできた。仕事にもありつけた。容姿も昔よりずっとましになった。良い友達にも恵まれてる。


 それでも、結婚や出産をそろそろあきらめなきゃいかんかもな、って思うことに、なんの迷いも痛みも感じないなんてことはない。そういうふうにできなかった自分に対して、なんの後悔もないなんて言えない。ちょっとは思うし、もっと自分にかわいげがあって、素直で、若いうちから結婚したいとか言えるような人間だったらなんか違ったのかなと思ったりもする。結婚って、私にとってはしたいとかしたくないとか、ひとことできっぱり言えるような、そんなことじゃない。できればしたい気持ちもあるし、自分に結婚生活ができるんだろうかという不安もある。妊娠出産もできればしたくないくらい怖い。育児だって怖い。でも、育児板の幸せそうなコメント読むと泣けるし、夫や子供がいるっていいな、うらやましいって思う。自分はそういう方向で幸せになる努力をしなかったから、うらやむ資格はないと思ってるけど。


 世間的に結婚は絶望的って思われてても、自分でもそう思ってても、人生なにがあるかわかんないし、もしなにかあったときにそれを喜んで受け入れるようなかわいげをこっそり持ってたところで、誰に非難されるいわれもないと思う。こういうのんきな感じとか、ありえないことを信じてる感じがバカみたいで、賢く生きてる人から見たら本当に、いらだたしくて哀れなのかもね。


 男にも女にもすっごくたいへんな現実が、いまは目の前にある感じがするし、人に迷惑かけずにこっそり夢を見るくらい、ほんのちょっと現実逃避するくらい、そのくらいの自由とか、まぬけな感じとか、あったほうがいいような気がする。こんなしがない暮らしをしてても、私、一軒家買いたいとか、海外にも住みたいとか、きれいな宝石がほしいとか、いろいろ思ってるよ。死にそうにつらい現実はいやでも追ってくるから、夢を見ることは生き延びる知恵でもある。30代の女って、私が思うにいつ死んでもおかしくないくらい危うい存在で、まだ未経験だけどこれが40代になっても続くんだったら相当きつい。


 だからしぶとく、きれいな服着て、こじゃれたお店でおいしいもん食べて、おしゃべりして、旅行して、今日一日、一ヶ月、一年、楽しみを貪り尽くすように生きていくんじゃないか。なんてね。


★追記。
上の匿名ダイアリーを読んで感じる不快感の正体は、いつまでもいくつになっても、この男性が「自分は女を選ぶ側の人間」だと思っているところかな。「女は選ばれる側の人間。だからそれなりに努力せよ、男心をそそれない、子供も産めない女なんて価値ないだろ」ってことを、選ぶ側の視点で書いて女にアドバイスしてるつもりになってるところだな。


 そして、この人がなんで同窓会の女たちに対して、匿名ダイアリーで吐き出すほどの感情を抱いたかというと、「選んでる側」にいるつもりの女たちに対して、ばっかじゃないのってむかついたからだろう。お前らは選ぶ側なんかじゃないのに何を勘違いしてるの? って思ったんだろうなー。


 働いてて、子供を産むかどうかって、そんなに簡単に決められることじゃないよ。産休制度があろうがなかろうが、仕事を休んでブランクができることは怖いし、そのあとずっと育児しながら、保育園に迎えに行きながら仕事するって大変だし、産んだ子供に本当に愛情を持てるのか、きちんと育てられるのかって、考えるよ。産めばかわいいに決まってるって言うし、そりゃそうだろうなとは思うけど、実際は時間も体力も容赦なく奪われる。その中で責任もって育てられるのか、金銭的にもちゃんと面倒みれるのかって、怖くて当然じゃない? 未婚女の誰もが、いつまでも自分にいい男が寄ってくるって漠然と信じてるあいだに間抜けに婚期を逃したわけじゃないと思う。血がにじむほど迷って悩んでできなかった、しなかったのかもしれない。なにも考えずにいられないでしょ、ふつう。


 友達で、このうえなく子供を愛してる優しいお母さんがいるが、彼女ですら初めての子供の育児中は、子供がずっと泣き止んでくれなくて『今出てったら叩いてしまう、虐待しちゃうかもしれない』って思い詰めてトイレに閉じこもって、苦しくて泣いて出ていけなかったことがあるそうだ。


 子育てがたいへんなのは母親だけじゃない。父親も大変だって、実際に自分を育ててくれた父のことを考えると思うけど、それでも育児や家事を「手伝う」「協力する」のがいい父親だとか言われてるような、「あくまでも主に家事や育児をするのは母親」ってことを無言で押し付けられてるような世の中で、家事や育児をやるのはすごいストレスだと思う。手伝うって何? 誰の子供なの?


 好きな男のめんどうぐらいみたいとか、自分のことより相手を優先させて尽くしたいとか、そういう気持ちは、そりゃ持つよ。持つけど、実際には自分のことだけでもくたくたで、気持ちが板挟みになって、泣きたくなる。こんなんで、これ以上相手の生活を背負うこととか、さらにもうひとり、子供という家族が増えることとか、できるのかって思う。男の面倒みれないだけでも感じなくてもいい罪悪感感じたりするのに、子供の面倒って。はてしない罪悪感との戦いになるのは目に見えてる。


 いちばんきついのは、そういう気持ちを「ひとりで」抱えなきゃいけなくなることだ。


 未婚女がみんな「男の条件を高望みしすぎたせいで結婚できなかった」っていうのは偏見だと思う。収入よりも気持ちの面で折り合わないことのほうが多いんじゃないか。「自分の気持ちに寄り添ってくれる相手と結婚したい」っていう、すごく単純なただひとつの条件がクリアされることがなくて結婚できないっていうことのほうが、私にはしっくりくる。


 たったひとり味方がいれば、世の中からなんと言われてもかまわないんだ。その、たったひとりの味方をみつけることがとても難しい。そういう気持ちの問題を無視して結婚の問題を語ろうとすると、なんかおかしくなると思う。