『MUSICA』宇多田ヒカルインタビュー

★『MUSICA』宇多田ヒカルインタビューより、引用。(途中雨宮による補足・略あり)


「母のほう(に対して)は、凄い歪んだマザコンみたいな感じ。憧れなんですよ、ずっと。凄い距離が遠くて絶対に触れ合えない、みたいな。(中略)だから私に対しても彼女なりに確立した私の見方があるんだけど、でも私としてはあんまり彼女が私を見ている感じがしない、みたいな。(中略)直接関わったって気分はまったくしないんですよ……諦めてるんですかねぇ」

ーーいや、もっと深いところで繋がりたいというか。寂しくはなかったですか?

「寂しいことは寂しいですよね。でもいろいろ求める感じとか、『ママァ〜』みたいな感じは届かないっていうか、あんまり上手く行かないんですよ。それはもう、完全に子供の頃から諦めてた感じですね。『この人にそれは通じないんだ』みたいな。自分からあまり積極的に求めないっていうのも、そこに大きく関わっているだろうし。母だけじゃなくて、世界に対して、私のコントロールはまったく及ばないって思ってるんですよ。(後略)」

ーーそれでいいと思えるのは、どうしてなんだろうね?

「……中途半端に受け入れられないんだったら、そういうことを求めない。願いが叶わないってことを学んだら、もう願わないっていう、防御的なことって誰でもするじゃない? 傷つくのを恐れて自粛する、みたいな。それを中途半端にやってると、結局は凄く願ってるっていうのがあるから辛いと思うんですよ。でも私は、『結局は凄く願ってるな』っていう地点から離れ切っちゃったから。音楽を作る時には時々(そういう想いを抱いた自分という)その人を呼び出すんだけど、それ以外の時はもう全然、それこそ他人って感じ。完全に離れちゃえばもう大丈夫よ!みたいなところがある」


「私、何もしていないと、本当に存在しないくらい何もないんですよ。自分としては存在感が凄く薄い、気持ちとしては幽霊なんですよね。だからひとりでいると一番自然って感じ」


「彼(紀里谷)の方が大変だったと思いますね。要するに、孤独みたいな私の像を救おうとしてくれたんですよね。でも結局、私は救われようとしなかったのかな……というところに帰結するんですかね。何か違う救われ方を望んでるのかもしれないですね」


「彼の言っている救いみたいなものが、私は違う気がしちゃったのかな……(中略)私に欠けてたものを与えてくれようとはしたんだけど、結局、私は割と元のまんまで。(中略)でも自己解決しちゃったって言えば、それだけのことかもしれないですね」


(この文章は、長い長いインタビューの中のほんの一部なので、本当にちゃんと知りたい人は『MUSICA』という本を買って(書店流通はあまりしてなくて、CDショップの方が入手しやすいようです)全文を読んでください。これだけを読んで、宇多田ヒカルという人を誤解したりなさらないように)

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 「ママー!」と何かを求めて、それが通用しなくて、求めても求めても得られなくて、そのことの悲しさと絶望から自分を守るためにその地点を遠く離れてしまった人を「愛する」というのはどういうことなのかと、このインタビューを読んで考えた。


 私なら、もういちど、生まれたときのように、大声で叫ばせてやりたいと思うだろう。そして、誰かを求めるその欲望を、愛情を貪るように求めるその気持ちを、ぜんぶ、自分が埋めてやりたいと思うだろう。こわくて大声で叫ぶことができなくても、求めて得られないことがこわくて絞り出すような小さな声しか出なかったとしても、そして、その人が求めているものを与えてやれなかったとしても、それを、近くで見ていると思う。その人が生きて、いちばんこわいことを自分からしようとしているところを、じっと見ていると思う。