★「L'OFFICIEL JAPON」でなんと安井かずみの特集が組まれていますね。恥ずかしながら、というか全然恥ずかしいとは思ってないんですけど、私の憧れの女性は安井かずみ森瑶子です。パーティ−ではバッグを持たず、夫の加藤和彦のスーツのポケットに口紅だけを入れていた、というエピソードがもっとも好きですね。こんな二人が好きだから、私は貧乏人のくせにブルジョワ趣味になり、社交界において何が格好良くて何が恰好悪いのか、などの必要のない知識を学び、パーティーなんて「ソフト・オン・デマンド大賞授賞式」「アウトビジョン忘年会」の二つしか誘われないのに(誘ってくださってありがとうございます!)、その、男のポケットに口紅だけを入れて出掛ける。ということは、ちょっとしてみたいです。それ以外に恋人の存在価値ってあるんですかね。


★「(服とは)何を着るか、ではなく、どう着るか、だ」という名言は、確か『バァフアウト!』内の連載『指黒日記』の中で、ECD氏が発したものだったと思いますが、この言葉は長い間私の中に残り続けていて、たとえば改装後の高島屋とかの、たまらない場所に行ったときでさえ、この言葉を思い出すと、きらびやかで素晴らしく美しいものの中に、「自分が着れるもの」「自分にこそ似合うもの」は、ほんの少ししかないことがわかる。自分を良く見せてくれない服を着るぐらいなら裸で歩いた方がマシ。ですし、また、着ているのに自分がまるで裸でいるような感覚になる服。というのもあります。しっくり来すぎて、もう、「着ている」という感覚さえないほどの。


 とは言っても、わりあいまともに買い物ができるようになったのはつい最近で、ちょっと前までは本当に買っても着ない服とか、なんか妙なイキオイで買ってどうにもなんない服とか、いっぱいありました。似合わなくないけど、着ていてなんだか居心地が悪い服。というのもあった。高かったし全然着てないからとっておこう。という服もあった。でもあるとき、一ヶ月は30日しかないことに気付き、一週間は7日しかないことに気付き、ということは、気に入らない服なんか着ているヒマなんてないことに気付き、そういった服を全部、いい服は似合う人にあげたり、親戚のお下がりにしたりして処分して、クロゼット(と、呼べるようなものはうちにはないんですけど)の中身を把握できるようにしてからは、やみくもに何でも欲しくなることは少なくなりました。


 服。というものにどれだけの情熱を注ぐか、は人によってそれぞれだと思いますが、私は好きなんですね。賢い服の選び方や、面白い服の選び方をしてるというだけで、その人が良く見えてきたりする。


★ディータ・ヴォン・ティーズのショウに行きたい! と書いてもはてなは何もしてくれないことぐらいわかってますが、行きたいですねぇ……。地道に懸賞に応募してますけど、当たればいいなぁ。現代の裏セックスシンボル、ディータ! 彼女のインタビューに、こんなセリフがあります(「Numero2」)。

ーー自分を生まれつきセクシーだと思いますか?

「私は普通のルックスよ。ミシガン生まれのブロンドで、メイクやヘアやコスチュームの威力や変身の力をとても信じているわ。(中略)マリリン・モンローもかわいい人だったけど、彼女がどういうメイクやヘアをして、どういう服を着たかがより重要。歴史に残っている偉大なスターは、メイクやヘア、コスチュームがとても印象的。私も昔から、自分をそうしてみようと決めてやってきた。私は自分自身のことがよくわかっているの。どんなルックスかも。そんなに美人でもないし、ブロンドの髪だし。このままでは誰も私に注目しなかったはずよ。明るいブロンドを真っ黒に染めたし、このホクロもタトゥなのよ」


 昔、夢野まりあの取材に行ったとき、ノーメイクで現れた彼女が目の前でゴージャスなブランドもののメイク道具を使って化粧を始め、仕上げに使い古したマッキーの油性ペンで、ホクロをちょん、ちょんと描いて「はい、始めましょうか」とニッコリ笑って言ったことを思い出しました。